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黒岩大助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒岩 大助(くろいわ だいすけ、1916年 - 1983年10月28日[1])は、日本気象学者電子顕微鏡研究から気象学に転じた経歴を持つ。

来歴

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高知県に生まれる[1]。1940年に東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業後、逓信省電気試験所(現・産業技術総合研究所)に入所し、電子顕微鏡の研究に従事する[1]。1942年に電子顕微鏡の一般向け解説書である『電子顕微鏡』を刊行した[2]日本電子の設立者である風戸健二は、本書を読んで電子顕微鏡研究を志したという[3][4]

1943年、電子顕微鏡をの結晶やの研究に活用する目的で中谷宇吉郎に招かれ、北海道帝国大学低温科学研究所の助手に就任[1]根室千島地方で採取した霧粒子の核を電子顕微鏡(日立製作所製)で撮影することに世界で初めて成功する[1]。この撮影は核の物質特定に影響を与え、その点が評価されて1955年に気象学会賞を受賞している[1]。黒岩自身ののちの記述によると、霧の研究は陸軍からの「飛行場の滑走路上の霧を消す」要請がその目的であった[5]

太平洋戦争後の1950年代後半以降は北海道大学低温科学研究所で教授として雪の研究を手がけ、1967年に日本雪氷学会賞を受賞[1]1972年札幌オリンピックに際しては、スキーボブスレーのコース設営について研究・助言を行った[1]

1980年紫綬褒章を受章[1]

1983年10月28日、閉塞性黄疸により死去[1]

著書

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  • 『電子顕微鏡』ラジオ科学社、1942年
  • 『スキーヤーのための雪の科学』共立出版《科学ブックス》、1972年
  • 『雪の科学』共立出版、1977年

論文

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 孫野長治「黒岩大助氏の死を悼む (PDF) 」 - 『天気』1984年4月号、日本気象学会、p.50
  2. ^ 電子顕微鏡 - 国会図書館サーチ
  3. ^ 創造と開発 日本電子の歴史 (PDF) - 「わが社の歴史」『SEAJ Journal』2011年9月号(No.134)、pp.26 - 27
  4. ^ 孫野長治の追悼文では具体名を出さずに、「この書に触発されて電子顕微鏡の製作所を興して成功を収めたさる会社社長から、後年立派な錦絵を贈られたことがよほど嬉しかったらしく、飲む機会があるとよく自慢話をきかされた」と記されている。
  5. ^ 黒岩大助「北大における雪氷学」『北大百年史』通説、北海道大学、1982年7月、908-920頁、NAID 120000966752