黒岩淡哉
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黒岩淡哉 | |
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生誕 |
1872年3月16日 東京都港区 |
死没 |
1963年3月1日 (90歳没) 大阪府守口市 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 彫刻家 |
黒岩 淡哉(くろいわ たんさい、明治5年2月8日(1872年3月16日) – 昭和38年(1963年)3月1日)は、明治時代から昭和時代にかけての彫刻家(彫塑家)。本名は高木倉吉(のちに黒岩家の養子となる)。
年譜
[編集]- 明治5年(1872年)2月8日 - 東京府芝区(現・東京都港区)に生まれる。
- 明治27年(1894年) - 東京美術学校彫刻科(第1期生)卒業。
- 明治31年(1898年) - 東京美術学校の彫刻科助手、兼教務となる。
- 明治33年(1900年) - パリ万博に「子守」で金牌受賞。
- 大正3年(1914年) - 大阪府立職工学校へ転任。
- 昭和5年(1930年) - 勲六等瑞宝章を受ける。
- 昭和8年(1933年) - 広島文理科大学教育学研究所第2回卒業生の記念品「ペスタロッチ像」制作。
- 昭和14年(1939年) - 4月、山本笙園、越田尾山ら共に工芸美術輸出報国会を結成。[1]
- 昭和15年(1940年) - 紀元二千六百年記念行事、記念レリーフ「神武天皇」制作。
- 昭和38年(1963年)3月1日 - 死去。