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黒田長貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
黒田 長貞
時代 江戸時代中期
生誕 元禄7年12月14日1695年1月28日
死没 宝暦4年9月10日1754年10月25日
改名 辰三郎、長治、長貞
別名 通称:市大夫、修理
戒名 耀誉祐歓興願院
墓所 福岡県朝倉市古心寺
東京都渋谷区祥雲寺
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家継吉宗家重
筑前国秋月藩
氏族 野村氏→黒田氏
父母 父:野村祐春、母:黒田一貫の娘・鶴子
養父:黒田長軌
上杉綱憲の娘・豊姫(瑞耀院)
女子、長邦、春姫(秋月種美室)、長通酒井忠聴酒井忠陸養子)、女子(甘露寺規長室)、信助、女子(唐橋在家室)、満徳院(堤栄長室)
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黒田 長貞(くろだ ながさだ)は、江戸時代中期の大名筑前国秋月藩4代藩主。室は上杉綱憲の娘[1]

生涯

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元禄10年(1697年)、福岡藩家臣・野村祐春の子として筑前国福岡にて誕生した[1]。母は黒田一貫の娘[1]

正徳5年(1715年)11月、黒田長軌の病が重くなり養子となり、同年12月25日、遺領を継いだ[1]

享保元年(1716年)1月15日、8代将軍徳川吉宗御目見する[1]。同年7月22日、従五位下甲斐守に叙任[1]。財政窮乏化のため、定免制蔵米知行制度導入による藩政改革を行なっている。

宝暦4年(1754年)9月10日、秋月にて死去した[1]。58歳[1]。法号は耀誉祐歓興願院[1]。同地の古心寺に葬られた[1]

家督は長男・長邦が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 寛政譜 1923, p. 216.
  2. ^ 酒井忠陸の養子。

参考文献

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