鼻利莫古
表示
鼻利莫古 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 비리막고 |
漢字: | 鼻利莫古 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | びりまくこ |
鼻利莫古(びりまくこ、生没年不詳)は、『日本書紀』に登場する百済官吏である。官位は奈率、その後、徳率に昇進[1]。541年に百済聖明王が主宰した「任那復興会議」に出席するほど任那に精通していた[1]。蒙古出身の人[2]。「莫古」は「蒙古」に由来する[2]。
概要
[編集]『日本書紀』欽明天皇二年七月条によると、任那日本府と新羅とが計を通じたと聞いた百済聖明王は、紀臣奈率彌麻沙、鼻利莫古、奈率木刕眯淳らを任那に遣わし、近肖古王代以来、百済と任那が友好関係にあったことを言い聞かせ、聖明王の任那政策を伝達し、任那が新羅と通じることを戒めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c “비리막고(鼻利莫古)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 松岡静雄 編『日本古語大辞典』刀江書院、1929年、141頁。