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斎藤万寿雄

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斎藤万寿雄

斎藤 万寿雄(齋藤 万壽雄[1]、さいとう ますお、1889年明治22年)5月[1][2][3] - 1954年昭和29年)3月26日[1])は、大正・昭和期の農業経営者、政治家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

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千葉県出身[1][2][3]。斎藤萬衛文の長男として生まれる[2][3]。1909年(明治42年)大喜多中学校(現千葉県立大多喜高等学校)を卒業[1][4]。1912年(大正元年)家督を相続し農業を営む[2]

1917年(大正6年)夷隅郡西畑村(現在の大多喜町)会議員に就任[1]。同村長、千葉県会議員、同自作農審議会委員、同地方森林会議員などを務めた[1][4][5]。1939年(昭和14年)千葉県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1][4]。在任中は研究会に所属した[1]

実業界では、西畑酒造社長、西畑水電社長、千葉地方木材社長、小草畑銀行取締役、上総銀行取締役、桜組工業監査役などを務めた[1][2][3][4][5]

その他、千葉県森林組合連合会会長、大日本山林会評議員、千葉県耕地協会評議員、日本赤十字社支部商議員なども務めた[5]

家族

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妹の初恵は男爵池田謙斎の四男充四郎に嫁いだ。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』201頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』サ83頁。
  3. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』千葉15頁。
  4. ^ a b c d 『千葉大百科事典』346-347頁。
  5. ^ a b c 『貴族院要覧(丙)』249頁。
  6. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『千葉大百科事典』千葉日報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。