龍臺
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龍臺(りゅうだい、1751年(宝暦元年) - 1843年(天保14年7月2日))は、江戸時代後期に土佐国で活動した真言宗の僧侶。
清瀧寺、襌師峰寺、青龍寺、金剛頂寺の住職を務めた後、土佐二大本山の一つである賢法山常通寺(現在は廃寺)の住職になる(常通寺は土佐藩家老と同格の格式のある寺だった)。
天明7年、吾川郡名野川川郷村の農民が伊予国に出奔した際は、龍臺の働きかけにより一人の咎人も出ずに農民が帰村している。文政4年常通寺を去り、月洞山寿命院を再興した。天保14年7月2日93歳で没。
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