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1954年の高橋ユニオンズでは、1954年の高橋ユニオンズの動向をまとめる。
この年の高橋ユニオンズは、チーム創設1年目のシーズンであり、浜崎真二監督の1年目のシーズンである。
パ・リーグは1949年オフの誕生以来、7球団制を通してきたが当時の永田雅一パ・リーグ総裁(大映オーナー兼任)は「球界発展のため、偶数球団にしてプロ野球を活性化すべき」と新球団の新規参入を促進。当初はビール業界第2位のアサヒビール(当時の社名は朝日麦酒)が文化事業に熱心だったこともあり、アサヒがプロ野球界に参入するのではないかという噂が流れた。しかし、アサヒビールの山本為三郎社長が「永田さんが球団を作ってくれと言われても、私には(球界参入の)自信がない」とコメントしたこともあり「新規球団は誕生しない」と言われたが最終的には永田の友人である高橋龍太郎がオーナーを務める高橋ユニオンズが誕生し、前年まで阪急の監督だった浜崎真二が初代の監督に就任。永田総裁がオーナーの大映をはじめ、パ・リーグ各球団は余剰選手を高橋に提供した。チームは開幕こそ最下位に沈み7月まで東映、大映と最下位争いが続いたが最後は8球団中6位と、浜崎監督の1年目はまずまずのスタートを切った。投手陣はチーム防御率3.43でリーグ6位と健闘し、リーグ3位の49完投とまずまずだったが、打撃陣は貧打にあえぎチーム打率.229でリーグ7位、守備でもリーグ最多の209失策で投手陣の足を引っ張る形となった。
1954年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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西鉄 |
--
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毎日 |
--
|
西鉄 |
--
|
西鉄 |
--
|
西鉄 |
--
|
西鉄 |
--
|
西鉄 |
--
|
2位
|
毎日 |
1.5
|
西鉄 |
1.5
|
毎日 |
0.5
|
毎日 |
0.5
|
南海 |
5.0
|
南海 |
0.5
|
南海 |
0.5
|
3位
|
南海 |
2.5
|
南海 |
4.0
|
南海 |
1.0
|
南海 |
5.5
|
毎日 |
5.5
|
毎日 |
10.0
|
毎日 |
10.5
|
4位
|
阪急 |
4.5
|
阪急 |
6.0
|
近鉄 |
8.0
|
近鉄 |
10.0
|
近鉄 |
11.5
|
近鉄 |
16.5
|
近鉄 |
16.0
|
5位
|
近鉄
|
近鉄 |
8.5
|
阪急 |
8.5
|
阪急 |
10.5
|
阪急 |
14.5
|
阪急
|
阪急 |
23.5
|
6位
|
大映 |
5.0
|
東映 |
11.0
|
大映 |
16.0
|
東映 |
20.5
|
高橋 |
24.5
|
高橋 |
30.0
|
高橋 |
37.0
|
7位
|
東映 |
6.5
|
大映 |
11.5
|
東映 |
16.5
|
大映 |
20.5
|
東映 |
28.0
|
東映 |
33.0
|
東映 |
38.5
|
8位
|
高橋 |
11.5
|
高橋 |
13.5
|
高橋 |
17.5
|
高橋 |
20.5
|
大映 |
31.0
|
大映 |
37.5
|
大映 |
46.0
|