FIFAクラブワールドカップ2012
FIFAクラブワールドカップ2012 FIFA Club World Cup 2012 | |
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大会概要 | |
開催国 | 日本 |
日程 | 2012年12月6日 - 12月16日 |
チーム数 | 7 (6連盟) |
開催地数 | 2 (2都市) |
大会結果 | |
優勝 | コリンチャンス (2回目) |
準優勝 | チェルシー |
3位 | モンテレイ |
4位 | アル・アハリ |
大会統計 | |
試合数 | 8試合 |
ゴール数 |
21点 (1試合平均 2.63点) |
総入場者数 |
283,063人 (1試合平均 35,383人) |
得点王 |
セサル・デルガド 佐藤寿人(3点) |
最優秀選手 | カッシオ |
< 20112013 > |
FIFAクラブワールドカップ2012(英: FIFA Club World Cup Japan 2012)は、2012年(平成24年)12月6日から12月16日にかけて、日本で開催された9回目のFIFAクラブワールドカップである。
概要
[編集]日本での開催は通算6回目である。後述の通り初めて公式にゴールライン・テクノロジーが導入された大会である。
出場クラブ
[編集]クラブ名 | 所在国 | 所在大陸 | 参加資格 | 回数 |
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蔚山現代 | 韓国 | AFC | AFCチャンピオンズリーグ2012 優勝 | 初出場 |
アル・アハリ | エジプト | CAF | CAFチャンピオンズリーグ2012 優勝 | 4回目 |
モンテレイ | メキシコ | CONCACAF | CONCACAFチャンピオンズリーグ2011-12 優勝 | 2回目 |
コリンチャンス | ブラジル | CONMEBOL | コパ・リベルタドーレス2012 優勝 | 2回目 |
オークランド・シティ | ニュージーランド | OFC | OFCチャンピオンズリーグ2011-12 優勝 | 4回目 |
チェルシー | イングランド | UEFA | UEFAチャンピオンズリーグ2011-12 優勝 | 初出場 |
サンフレッチェ広島 | 日本 | AFC | Jリーグ ディビジョン1 2012 優勝(開催国枠) | 初出場 |
会場一覧
[編集]2011年(平成23年)12月16日、国際サッカー連盟 (FIFA) のゼップ・ブラッター会長および小倉純二当時日本サッカー協会会長が、当大会の一部の試合を東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地で開催する意向を示した[1][2]。宮城スタジアム(宮城県宮城郡利府町)、仙台スタジアム(宮城県仙台市)、カシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)が候補として挙がっていた[1]。しかし、議論の結果、結局去年と同じ2会場での開催となった。
豊田 | 横浜 |
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豊田スタジアム | 横浜国際総合競技場 |
北緯35度05分04.02秒 東経137度10分14.02秒 / 北緯35.0844500度 東経137.1705611度 | 北緯35度30分36.16秒 東経139度36分22.49秒 / 北緯35.5100444度 東経139.6062472度 |
収容人数: 45,000人 | 収容人数: 72,327人 |
審判
[編集]大陸連盟 | 主審 | 副審 |
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AFC | ナワフ・シュクララ | イブラヒム・サーレハ ヤセル・トゥレファート |
アリレザ・ファガニー (リザーブ) | ハッサン・カムラニファル (リザーブ) レザ・ソハンダン (リザーブ) | |
CAF | ジャメル・ハイムディ | レドゥアン・アシク アブデルハク・エチアリ |
CONCACAF | マルコ・ロドリゲス | マルビン・トレンテラ マルコス・キンテロ |
CONMEBOL | カルロス・ベラ | クリスティアン・レスカーノ バイロン・ロメロ |
OFC | ピーター・オレアリー | ジャン=ヘンドリック・ヒンツ ラヴィネシュ・クマル |
UEFA | ジュネイト・チャクル | バハッティン・ドゥラン ターリク・オングン |
賞金
[編集]賞金総額は、1650万USドル(12億8840万円)で、優勝が500万USドル(3億8830万円)、2位が400万USドル(3億1230万円)、3位が250万USドル(1億9520万円)、4位が200万USドル(1億5610万円)、5位が150万USドル(1億1710万円)、6位が100万USドル(7800万円)、7位が50万USドル(3900万円)[4]。
結果
[編集]トーナメント表
[編集]プレーオフ | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
12月6日 - 横浜 | ||||||||||||||
サンフレッチェ広島 | 1 | 12月9日 - 豊田 | ||||||||||||
オークランド・シティ | 0 | サンフレッチェ広島 | 1 | |||||||||||
12月12日 - 豊田 | ||||||||||||||
アル・アハリ | 2 | |||||||||||||
アル・アハリ | 0 | |||||||||||||
コリンチャンス | 1 | |||||||||||||
12月16日 - 横浜 | ||||||||||||||
コリンチャンス | 1 | |||||||||||||
12月9日 - 豊田 | ||||||||||||||
チェルシー | 0 | |||||||||||||
蔚山現代 | 1 | |||||||||||||
12月13日 - 横浜 | ||||||||||||||
モンテレイ | 3 | |||||||||||||
モンテレイ | 1 | |||||||||||||
5位決定戦 | 3位決定戦 | |||||||||||||
チェルシー | 3 | |||||||||||||
サンフレッチェ広島 | 3 | アル・アハリ | 0 | |||||||||||
蔚山現代 | 2 | モンテレイ | 2 | |||||||||||
12月12日 - 豊田 | 12月16日 - 横浜 |
プレーオフ(開幕戦)
[編集]この試合の4日前、オランダの17歳以下のクラブチームによる試合において審判を行なっていたリチャード・ニウエンハーゼン (Richard Nieuwenhuizen) が自身の息子が所属するクラブの対戦相手と試合後にいさかいを起こし亡くなった。FIFAはこの死を悼み、試合前には1分間の黙祷が行われた[5]。
準々決勝
[編集]5位決定戦
[編集]準決勝
[編集]3位決定戦
[編集]決勝
[編集]
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優勝クラブ
[編集]FIFAクラブワールドカップ 2012 優勝 |
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コリンチャンス 8大会ぶり2回目 |
順位
[編集]順 | クラブ名 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 点 | 得 | 失 | 差 |
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1 | コリンチャンス | 2 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | +2 |
2 | チェルシー | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 3 | 2 | +1 |
3 | モンテレイ | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 6 | 4 | +2 |
4 | アル・アハリ | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 2 | 4 | -2 |
5 | サンフレッチェ広島 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 5 | 4 | +1 |
6 | 蔚山現代 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 6 | -3 |
7 | オークランド・シティ | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | -1 |
- PK戦で決着がついた試合は記録上引き分けとなる
得点ランキング
[編集]順位 | 選手名 | 所属クラブ | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | セサル・デルガド | モンテレイ | 3 |
佐藤寿人 | サンフレッチェ広島 | ||
3 | パオロ・ゲレーロ | コリンチャンス | 2 |
ヘスス・マヌエル・コロナ | モンテレイ | ||
5 | フアン・マタ | チェルシー | 1 |
フェルナンド・トーレス | |||
アルド・デ・ニグリス | モンテレイ | ||
アル=サイド・ハムディ | アル・アハリ | ||
モハメド・アブトレイカ | |||
青山敏弘 | サンフレッチェ広島 | ||
山岸智 | |||
李根鎬 | 蔚山現代 | ||
李鎔 |
表彰
[編集]- FIFAフェアプレー賞: モンテレイ
賞 | 受賞者 | 所属クラブ |
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ゴールデンボール | カッシオ | コリンチャンス |
シルバーボール | ダヴィド・ルイス | チェルシー |
ブロンズボール | パオロ・ゲレーロ | コリンチャンス |
トピックス
[編集]- 2012年7月5日、スイス・チューリッヒの国際サッカー連盟 (FIFA) 本部で行われたサッカーのルールを決める機関である国際サッカー評議会 (IFAB) 特別会合において、満場一致で「ホークアイ (Hawk-Eye)システム」と「ゴールレフ (GoalRef) 」の両方のゴール機械判定技術(ゴールライン・テクノロジー。略称GLT)採用を決定した。FIFA主催の大会ではこの大会から本格的に導入され、ブラジルで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2013及び2014 FIFAワールドカップでも続けて使用された。2012年11月27日、FIFAは今大会で導入するGLTについて、横浜国際総合競技場で「ゴールレフ」、豊田スタジアムで「ホークアイ」を使用すると発表した[6]。なお、GLTをその試合で実際に使用するかどうかは、試合開始90分前に審判団が判断する[7]。2012年12月6日、横浜国際総合競技場で行われた開幕戦サンフレッチェ広島対オークランド・シティー戦で、史上初めて公式戦でGLTの1つであるゴールレフが使用された。→詳細は「ビデオ判定 § サッカー」を参照
- 決勝開催日の2012年12月16日に第46回衆議院議員総選挙と2012年東京都知事選挙が行われ、試合途中の20時ちょうどに投票締め切りとなったことから、ホストブロードキャスターでもある日本テレビは日本国内向けの放送では投票締め切り30秒前の19時59分30秒から3分間試合中継を中断して選挙速報を放送、以後も試合終了までU字型画面で選挙速報を放送しながらの試合中継を行った。
- この大会の10年後となる2022年に、コリンチャンスは「これがコリンチャンスです。」と日本語の縦書きで書かれた記念ユニフォームを制作し、実際に試合で着用された。
脚注
[編集]- ^ a b クラブW杯、来年は被災地で…サッカー協会会長(読売新聞 2011年12月16日)
- ^ “Blatter: Reforms will be carried out”. FIFA.com (17 December 2011). 2012-04-06T05:48Z閲覧。
- ^ “FIFA Club World Cup Japan 2012 - Appointment of Match Officials” (PDF). FIFA.com. 2012年12月6日閲覧。
- ^ クラブワールドカップに関する数字-FIFA公式HP2012年12月4日
- ^ “Blatter shocked at Dutch linesman death”. ロイター (2012年12月6日). 2012年12月18日閲覧。
- ^ “ゴール判定で審判補助の新技術導入”. www.yomiuri.co.jp. 2018年10月14日閲覧。
- ^ FIFA事務局長、ゴール判定システムに自信-サンスポ2012年12月5日
関連項目
[編集]- 2012 FIFA U-20女子ワールドカップ(同年に日本で開催されたFIFA主催大会)
外部リンク
[編集]- FIFA Club World Cup Japan 2012 - FIFA.com
- RSSSFによる記録
- 日本テレビ・番組サイト