第三十三航空隊
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第三十三航空隊[1](だい33こうくうたい)および1942年11月1日に改称した第九三二海軍航空隊(だい932かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争序盤から中盤までジャワ島スラバヤを拠点に蘭印航路の防衛を担当した。
沿革
[編集]フィリピン上陸戦が進捗したため、主力航空部隊である第十一航空艦隊は、第二次侵攻作戦のために蘭印方面へ進出することとなった。攻略後の近距離哨戒やゲリラ掃討に備え、十一航艦よりも小回りの利く部隊の必要性が高まった。これに対応すべく、第三艦隊は自由に使用できる附属航空隊を改編し、局地戦に対応した三十三空を編成し、残敵掃討・対潜哨戒任務に当たらせた。
- 3月8日 陸軍第48師団、スラバヤ占領。
のちに三十三空進出。第48師団の占領作戦・2月27日のスラバヤ沖海戦への支援行動は行っていない。
- 3月10日 ジャワ島防衛のために第二十一特別根拠地隊が編制され、その隷下に入る。
- 5月7日 小スンダ列島戡定作戦(S作戦)発動。25日の完了まで参加。
- 6月20日 第二南遣艦隊所属航空隊を再編。
艦爆隊を第三十五航空隊に譲り、艦攻のみの定数8に削減。以後、ジャワ島近海の対潜哨戒に従事。
以後、ジャワ島・セレベス島近海の対潜哨戒に従事。
- 昭和18年(1943年)
- 6月23日 マカッサルにB-24空襲隊16機襲来。分遣隊機全力迎撃、体当たりで1機撃墜。
- 7月23日 スラバヤ初空襲、機材・乗員に被害。
- 昭和19年(1944年)
- 5月15日 イギリス機動部隊、スラバヤを奇襲。機材払底。
近隣の水上機隊より捻出した水上機によって再建。
- 10月1日 解隊。東印海軍航空隊に再編。
沿革にあるように、地道な対潜哨戒任務が延々と続いたため、際立った独自の活動は極めて少ない。ジャワ島は次第に孤立化し、自活は可能ではあったものの、部隊としての維持は困難を極めた。解散後は実質的に基地要員のみで構成される乙航空隊の東印空となって終戦まで駐留した。
主力機種
[編集]歴代司令
[編集]- 佐土原親光 大佐:1942年2月1日[2] -
- 是枝操:1943年9月5日 - 1944年10月1日改編 …改編後の東印空司令に留任。
脚注
[編集]- ^ 内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号附与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号附与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り漢数字の「百」や「十」は使用しない。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第805号 昭和17年2月2日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084200
参考文献
[編集]- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
- 『戦史叢書 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』(朝雲新聞社 1969年)
- 『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』(朝雲新聞社 1972年)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)