A・キャロライン・マクドナルド
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A・キャロライン・マクドナルド(A. Caroline Macdonald、1874年10月15日 - 1931年7月18日) は、明治末から昭和初めにかけて日本で活動したカナダの女性宣教師[1]。姓は、MacDonald ともされる[2]。また、同時代の日本語の文献では、エー・シー・マクドナルドとして言及される例もあった[3]。
経歴
[編集]マクドナルドは、カナダでキリスト教女子青年会 (YWCA) の活動に従事していたが、世界YWCA の幹事であり、日本で宣教師としての経験があったクラリッサ・H・スペンサー (Clarissa Hale Spencer) に見出され[3]、1904年に日本にYWCAを組織する目的で派遣されて来日した[1]。翌1905年には、麹町土手三番町にあった彼女の居宅を所在地とする形で日本YWCAと東京YWCAが結成された[4]。日本YWCAと東京YWCAの初代幹事となったマクドナルドは、その後も、横浜や大阪などでYWCAの組織化を進めた[1]。当時の津田英学塾(後の津田塾大学の前身)で教鞭もとった[1]。
1916年にYWCAの役職を辞任し[1]、いったん帰国したが、1920年に再び来日し[2]、以降は、同年に東京親隣館を開設して、セツルメント活動に従事するなどした[1]。1931年に病気療養のためにカナダに帰国したが、ほどなくして死去した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 20世紀西洋人名事典『A.キャロライン マクドナルド』 - コトバンク - なお、この記述にある「YMCA」は「YWCA」の誤り。
- ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『マクドナルド』 - コトバンク - なお、この記述にある「YMCA」は「YWCA」の誤り。
- ^ a b 榑松かほる「日本 YWCA 機関誌『明治の女子』の書誌分析」『桜美林論考 心理・教育学研究』第1号、桜美林大学、2010年、59-78頁。 NAID 110007809271
- ^ 中村かほる「女子青年教育機関としてのYWCAの定着過程 : 1920年代の日本YWCAと東京YWCAの動きを中心として」『東洋大学大学院紀要』48(文学(哲学))、2011年、405-421頁。 NAID 120005649936