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B-380 (潜水艦)

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B-380
Б-380
セヴァストポリで浮きドック「SPD-16」に入渠中の「B-380」(2008年1月10日)
セヴァストポリで浮きドック「SPD-16」に入渠中の「B-380」(2008年1月10日)
基本情報
建造所 ゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)、クラスノエ・ソルモヴォ工場英語版ロシア語版[1]
運用者  ソビエト連邦海軍(1973年 – 1991年)
 ロシア海軍(1991年 – 2009年)
級名 タンゴ型潜水艦(641B型潜水艦<ソム>)
母港 セヴァストポリ
艦歴
起工 1981年10月15日
進水 1982年8月
就役 1982年12月30日
除籍 2016年
除籍後 2019年12月14日に沈没、浮揚後に解体。
改名 ゴールコフスキー・コムソモーリッツ(1982年12月30日 – 1992年2月15日)
スヴァートイ・クニャージ・ゲオルギー(2008年 – 2016年)[2]
要目
排水量 2,770トンt[2]
水中排水量 3,600t[2]
全長 90.2m[2]
8.6m[2]
高さ 12.2m
吃水 5.7m[2]
機関 2D42Mディーゼルエンジン×3基
PG101電動機×2基
PG102電動機×1基
PG104電動機(140馬力)×1基
電源 60SU蓄電池×4基(112セル)
出力 水上:5,700馬力 (4,250 kW)
水中:5,400馬力(最大)
電力 4.6MW
推進器 3軸[2]
速力 水上:16ノット (30 km/h)[2]
水中:13ノット(24.1km/h)[2]
シュノーケル航行:7.0ノット
燃料 軽油420t
航続距離 水上:1万4,000海里/7ノット[2]
水中:450海里/2.5ノット[2]
潜航深度 通常:240m[2]
最大:300m
乗員 78名[2](うち士官・政治将校17人)
兵装 533mm魚雷発射管×6基
魚雷×24本または機雷×44個)
C4ISTAR 火器管制装置「レニングラード」
レーダー MCI-25水上捜索レーダー(NATOコードネーム「スヌープ・トレイ」)[1]
電波探信儀「カスケード」
ソナー 音波探信儀「ルビコン」
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B-380ロシア語: Б-380)は、ソヴィエト/ロシア海軍通常動力型潜水艦で、タンゴ型潜水艦の最終艦である。

艦歴

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B-380はタンゴ型潜水艦の最終艦として、1981年10月15日にゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)のクラスノエ・ソルモヴォ工場英語版ロシア語版で起工(シリアル番号133)され、1982年8月に進水、1982年12月30日に就役した[2]。就役にあたり、ゴーリキーのコムソモールを顕彰して、「ゴールコフスキー・コムソモーリッツロシア語: «Горьковский комсомолец»)」の艦名が与えられた[2]

B-380は黒海艦隊に配備され、1984年に2回の哨戒任務に就いたほか、1985年と1986年にはI・V・パナセンコ艦長の指揮で、海軍の雷撃競技会で名誉賞を受賞した[2]

ソ連崩壊後

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ソ連崩壊後、B-380はウクライナ海軍に配分されたが、ウクライナ海軍はB-380を編入せずに放置した。また、ウクライナとの協定で黒海艦隊への新造艦の配備はウクライナの同意が必要なことから、潜水艦不足に悩むロシア海軍黒海艦隊が就役済みの潜水艦を求めた。そのため、B-380は早々にロシア海軍に編入され、黒海艦隊に復帰した。1992年2月15日、「ゴールコフスキー・コムソモーリッツ」の艦名が廃された「B-380」に改名、セヴァストポリで長期修理に入り、B-380には最低限の乗組員だけが残った[2]。2000年には、B-380の艦隊復帰とアドミラルティ造船所による近代化改修が決まり[2]、ニジニ・ノヴゴロド市の援助でセヴァストポリの浮きドック「SPD-16」で大規模修理に入った。新たな乗組員も補充され、乗組員の8割がニジニ・ノヴゴロド市内から採用された[3]。2006年10月には、ニジニ・ノブゴロド教区ロシア語版からフョードル・ウシャコフイコンが寄贈された。

B-380は2008年に入ってもなお修理中で、アドミラルティ造船所による音響タイルの貼付工事が行われていた。乗組員は黒海艦隊で唯一稼働状態だったキロ型潜水艦アルローサ」で訓練を受けており、兵舎が改築されたほか、電化製品電話が寄贈された。B-380はニジニ・ノヴゴロドに要塞を築いたユーリー2世に因み「スヴァートイ・クニャージ・ゲオルギーロシア語: «Святой князь Георгий»)」と再命名され[3][4]、年内には修理が完了する予定だった。しかし、ロシア金融危機ロシア語版に伴い修理は無期限で中断した[2][5]

退役

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2010年4月1日、黒海艦隊が費用対効果の面から、同じく修理を中断していたキーロフ級ミサイル巡洋艦「アドミラル・ウシャコフ(旧キーロフ)」とB-380を除籍する予定だと報じられた[6]。しかし2012年には、ラーダ型潜水艦サンクトペテルブルク」戦力化までのつなぎと訓練用に、ロシア国防省が修理費を捻出して2013年の艦隊復帰を目指し修理を終えることが明らかになった[7]。艦体を輪切りにして蓄電池を交換する大規模なものだったが、2016年4月19日にロシア国防省はB-380を含む8隻の艦艇を解体する入札を行った[8]

B-380は修理中断後も「SPD-16」に入渠したまま係留されていた[2]が、2019年12月14日に「SPD-16」ごと沈没し[2][9]、12月16日に解体のため浮揚した[10]

記念物に

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2020年2月、B-380をモスクワ州で展示施設にするため、ロシア海事伝統クラブ(Ассоциацией«Клуб Русская морская традиция»)が解体中の艦体を購入し復元することになった。当初は切断された艦体を復元する予定だったが、すでに非武装化のために解体された箇所が多かったため、復元を断念し8月に艦体の一部をモスクワ州に移送した[11]。艦体の半分が失われているため、復元チームはツシノ英語版ロシア語版ロシア海軍歴史博物館ロシア語版で展示されている同型艦「ノヴォロシースキー・コムソモーリッツロシア語版」を参考に復元作業を続け、2021年4月の段階で司令塔や操舵室などの艦体の中央部が復元された[12]

展示施設は、ミストラルホテルの敷地内にあるイストラ貯水池の堤防が選ばれた[12]が、長さ12m以上、高さ5m、重量30tにもなる艦体を運搬する道路は狭隘で、シャホフスカヤ村ロシア語版からホテルの間には高さ制限がある場所が2ヶ所あった。そのため、復元した艦体は司令塔と艦体で分割して4日間かけて運搬され、4月19日にB-380の艦体が運び込まれた[13]

ロソス型潜水艦[14]が展示されるソ連潜水艦艦隊歴史展覧会(Экспозиции истории подводного флота ВМФ СССР)は、元海軍士官でソ連/ロシア海軍の歴史に関する著作があるニコライ・アンドレーヴィチ・チェルカシンロシア語版の出席の元、2021年10月15日に開会した[15]

出典

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  1. ^ a b ノーマン・ポルマー英語版:編著、町屋俊夫:訳『ソ連海軍事典』 原書房 1988年 ISBN 4-562-01975-1 P.213
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Подводная лодка "Б-380" Черноморского Флота”. flot.sevastopol.info. 2020年10月17日閲覧。
  3. ^ a b “Делегация Нижегородской области принимает участие в праздновании 225-летия Севастополя”. regions.ru. (2008年5月12日). http://regions.ru/news/2141845/ 2020年10月17日閲覧。 
  4. ^ “Нижний Новгород: 11 призывников отправятся служить на подшефную подводную лодку”. ロスバルトロシア語版. (2008年6月24日). https://regnum.ru/news/polit/1018900.html 2020年10月17日閲覧。 
  5. ^ “Кризис оставил ЧФ с одной-единственной подлодкой”. ИА REGNUM. (2009年3月30日). https://www.rosbalt.ru/ukraina/2009/03/30/629795.html 2020年10月17日閲覧。 
  6. ^ “Черноморский флот России может лишиться нескольких кораблей”. インテルファクス通信. (2010年4月1日). https://www.interfax.ru/russia/130440 2020年10月17日閲覧。 
  7. ^ Алексей Михайлов 、Дмитрий Бальбуров (2012年11月22日). “Самая старая подлодка России вернется в состав Черноморского флота”. イズベスチヤ. https://iz.ru/news/539425 2020年10月17日閲覧。 
  8. ^ Сведения Закупки”. Федеральное казначейство. 2020年10月17日閲覧。
  9. ^ Сергей Винник (2019年12月15日). “В Севастополе всплыла подлодка, затонувшая вместе с доком”. ロシア新聞. https://rg.ru/2019/12/15/reg-ufo/v-sevastopole-vsplyla-podlodka-zatonuvshaia-vmeste-s-dokom.html 2020年10月17日閲覧。 
  10. ^ “Затонувшую в Севастополе подлодку отправят на утилизацию в понедельник”. RIAノーボスチ. (2019年12月15日). https://ria.ru/20191215/1562416270.html 2020年10月17日閲覧。 
  11. ^ “ЭТАП 1: ПРИОБРЕТЕНИЕ ЭЛЕМЕНТОВ РУБКИ Б-380 (ФЕВРАЛЬ – АВГУСТ 2020 ГОДА)”. Ассоциацией «Клуб Русская морская традиция». (2020年). https://www.clubrmt.ru/ekspozitsiya/istoriya-sozdaniya/etap-1-priobretenie-elementov-rubki-b-380-fevral-avgust-2020-goda.html 2023年9月23日閲覧。 
  12. ^ a b “ЭТАП 2: ВОССТАНОВЛЕНИЕ И РЕСТАВРАЦИЯ (АВГУСТ 2020 Г. – АПРЕЛЬ 2021 Г.)”. Ассоциацией «Клуб Русская морская традиция». (2021年). https://www.clubrmt.ru/ekspozitsiya/istoriya-sozdaniya/etap-2-vosstanovlenie-i-restavratsiya-avgust-2020-g-aprel-2021-g-.html 2023年9月23日閲覧。 
  13. ^ “ЭТАП 3: ТРАНСПОРТИРОВКА (АПРЕЛЬ 2021 Г.)”. Ассоциацией «Клуб Русская морская традиция». (2021年). https://www.clubrmt.ru/ekspozitsiya/istoriya-sozdaniya/etap-3-transportirovka-aprel-2021-g-.html 2023年9月23日閲覧。 
  14. ^ “ЭТАП 4: УСТАНОВКА ПОДВОДНОЙ ЛОДКИ "ПИРАНЬЯ"”. Ассоциацией «Клуб Русская морская традиция». (2021年). https://www.clubrmt.ru/ekspozitsiya/istoriya-sozdaniya/etap-4-ustanovka-podvodnoy-lodki-piranya.html 2023年9月23日閲覧。 
  15. ^ “ОТКРЫТИЕ”. Ассоциацией «Клуб Русская морская традиция». (2021年). https://www.clubrmt.ru/ekspozitsiya/istoriya-sozdaniya/otkrytie.html 2023年9月23日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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