ブラック・フラッグ
ブラック・フラッグ Black Flag | |
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ブラック・フラッグ(2019年) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハモサビーチ |
ジャンル | ハードコア・パンク |
活動期間 | 1976年 - 1986年、2003年、2013年 - 2014年、2019年 - |
レーベル | SST |
メンバー |
グレッグ・ギン マイク・ヴァーリー アイザイアス・ジル ジョセフ・ノーヴァル |
旧メンバー |
キース・モリス ロン・レイズ デズ・カデナ ヘンリー・ロリンズ レイモンド・ペティボーン チャック・ドゥコウスキー キラ・ロゼラー ロボ 他 |
ブラック・フラッグ (Black Flag) は、1976年に南カリフォルニアで結成された、ハードコア・パンク・バンド。「Black Flag(黒旗)」は、アナーキストの象徴。
来歴
[編集]1976年に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハモサビーチで結成された。キャリアを通じてメンバーの入れ替わりが激しく、結成から解散までバンドに在籍していたのは、リーダーでギタリストのグレッグ・ギンだけだった。
1981年に、S.O.A(ステイト・オブ・アラート)のヘンリー・ロリンズが、ボーカリストとしてバンドに加入。ロリンズの参加は、東海岸でもブラック・フラッグの名前が知れ渡るきっかけになった。バンドはこの頃から活動を活発にしていき、日本公演を含むワールド・ツアーをこなしながら次々とレコードをリリースする。
彼らのレコードの多くは、ギンが設立したインディー・レーベル「SST Records」[1] を通してリリースされた。SSTは、ブラック・フラッグの作品以外にも、ミート・パペッツやミニットメン、ハスカー・ドゥ、バッド・ブレインズ、ソニック・ユース、ダイナソーJr.、サウンドガーデンなど、ハードコアや初期オルタナの音源がリリースされており、1980年代のアメリカを代表するインディ・レーベルとなった。
1986年に解散。実質的な活動期間は長くはなかったが、アメリカ、特に西海岸のハードコアシーンに与えた影響は大きい。ただし、一般的なハードコアと違い、ブラック・フラッグの音楽は必ずしもスピードに重きをおかない。また、ブラック・サバスをはじめパンクロック以外の音楽からも影響を受けている。この傾向は特に、ロリンズ加入後(1980年代前半)の曲で顕著である。また、SSTはDIY精神の先駆者であり、2011年現在もインディ・レーベルという存在そのものに影響を及ぼしている。
2013年に本格的に再結成することを発表。2バンドに分かれての再結成や、ヘンリー・ロリンズは参加しないことなどが話題を呼んだ[2]。
メンバー
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ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『ダメージド』 - Damaged (1981年、SST)
- 『マイ・ウォー』 - My War (1984年、SST)
- 『ファミリー・マン』 - Family Man (1984年、SST)
- 『スリップ・イット・イン』 - Slip It In (1984年、SST)
- 『ルース・ナット』 - Loose Nut (1985年、SST)
- 『イン・マイ・ヘッド』 - In My Head (1985年、SST)
- 『ホワット・ザ…』 - What The... (2013年、SST)
ライブ・アルバム
[編集]- 『ライヴ'84』 - Live '84 (1984年、SST)
- Who's Got the 10½? (1986年、SST)
- Live at the On Broadway 1982 (2010年、CD Presents)
コンピレーション・アルバム
[編集]- Everything Went Black (1982年、SST)
- 1982 Demos (1982年、None)
- 『ザ・ファースト・フォー・イヤーズ』 - The First Four Years (1983年、SST)
- 『ウェステッド・アゲイン』 - Wasted...Again (1987年、SST)
EP
[編集]- Nervous Breakdown (1979年、SST)
- Jealous Again (1980年、SST)
- Six Pack (1981年、SST)
- TV Party (1982年、SST)
- The Process of Weeding Out (1985年、SST)
- Minuteflag (1986年、SST)
- Annihilate This Week (1987年、SST)
- I Can See You (1989年、SST)
脚注
[編集]- ^ 「SST」とは「SOLID STATE TRANSMITTERS」の略。この名称は、アマチュア無線の愛好家でもあったギンが、ラジオ部品を販売するために設立した会社であったことを示している。この事業でも、ギンは相応の成功を収めたという。
- ^ @niftyミュージック 2013年1月30日付記事 再結成ブラック・フラッグは2バンド!? ヘンリー・ロリンズはどちらにも参加せず