シトロエン・C4 WRC
シトロエン・C4 WRC(Citroën C4 WRC)はフランスの自動車メーカーであるシトロエンが開発したワールドラリーカー。
カテゴリー | ワールドラリーカー | ||||||
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コンストラクター | シトロエン・レーシング | ||||||
デザイナー | クサビエ=メステラン・ピノン | ||||||
先代 | シトロエン・クサラWRC | ||||||
後継 | シトロエン・DS3 WRC | ||||||
主要諸元[1] | |||||||
全長 | 4,274mm | ||||||
全幅 | 1,800mm | ||||||
全高 | 1,400mm | ||||||
トレッド | 1,598mm | ||||||
ホイールベース | 2,608mm | ||||||
エンジン |
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トランスミッション |
6速シーケンシャルシフト 四輪駆動 | ||||||
重量 | 1,230kg | ||||||
タイヤ | |||||||
主要成績 | |||||||
チーム |
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ドライバー |
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コンストラクターズタイトル | 3 (2008, 2009, 2010) | ||||||
ドライバーズタイトル | 4 (2007, 2008, 2009, 2010) | ||||||
初戦 | 2007年ラリー・モンテカルロ | ||||||
初勝利 | 2007年ラリー・モンテカルロ | ||||||
最終勝利 | 2010年ラリーGB | ||||||
最終戦 | 2010年ラリーGB | ||||||
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概要
[編集]WRC(世界ラリー選手権)にクサラWRCで参戦し、デビュー以来タイトル連覇という大成功を収めていたシトロエン・トタル・ワールド・ラリー・チームは、ワークス参戦を休止していた2006年の間にリソースを次期型マシン開発へ集中。2007年にその結晶となる、シトロエン・C4 クーペVTSをベースとする本車を投入した。
テクニカルディレクターはクサビエ=メステラン・ピノン[注釈 1]。ドライバーは当時3年連続チャンピオンだったセバスチャン・ローブと、同郷の王者カルロス・サインツと入れ替わるように加入したダニ・ソルド[注釈 2]。またPHスポールの育成チーム「シトロエン・ジュニアチーム」やプライベーターとしてセバスチャン・オジェ、キミ・ライコネン、ペター・ソルベルグもドライブした。
2008年には現在のラリー1を先取りしたような、ハイブリッド4WDのコンセプトカーである「HY motion4」を発表し、2009年には実際にテストも行った。
技術
[編集]ライバルのフォード・フォーカスWRCが凝った機構を採用しているのに対して、C4 WRCはクサラWRC譲りのオーソドックスかつ保守的な設計の下、低重心化とマスの集中を行った基本に忠実な作りをしている。ボディはクサラより一回り大きくなっている。
XU7JP4エンジンと電装系は初年度のみクサラWRCから引き継いだものであったが、08年からエンジンはEW10J4S、電気系統システムも完全新設計のものに変更された。変更後のエンジンも先代同様強力な武器となっており、ライバルより500回転高く回せるため特に車速の伸びに優れた。ダンパーも2007年のみクサラWRC同様エクストラン・テック製だったが、同年途中からシトロエン・スポールの内製に切り替えられている。タイヤも2007年のみBFグッドリッチ(ミシュラン傘下)で、2008年から規則によりワンメイク供給のピレリとなったが、その速さは不変であった。
駆動配分はフォーカスWRCが前後5:5なのに対してC4は6:4と前輪をメインに旋回する傾向にあり、ターマックが得意なドライバー二人の好むFF寄りの特性で開発されていた。実際にピュアターマックでのパフォーマンスはフォーカスWRCを凌駕し[2]、ほぼ無敵に近い実績を誇った。またグラベルでも2007年にローブがグラベルで3連勝するなど強さを見せた。
新井敏弘は「車体が前後左右にロールしないにもかかわらず、路面に吸い付くように走るし、駆動力が地面にしっかり伝わっているのが不思議」[注釈 3]「オレだったら(フォーカスWRCより)挙動がシャープなC4 WRCの方がドライブしやすい気がするね」と高く評価している[3]。
戦歴
[編集]2007年開幕戦のラリー・モンテカルロでデビューウィンを飾り、ローブはC4 WRCで2007年~2010年と4年連続(クサラから数えて7年連続)のドライバーズチャンピオンとなった。特に2008年のローブはシーズン11勝という圧倒的な新記録を達成している。しかし2009年は開幕からローブが5連勝するも、ずっと2位で追随していたフォードのミッコ・ヒルボネンの4連勝を浴びて中盤に首位から陥落、最終2戦でローブが2連勝でわずか1ポイント差でのタイトルという、一転して薄氷の勝利となった。ポイントシステムの改定のあった2010年は大差でタイトルを獲得した。
マニュファクチャラー選手権は2007年はまだWRカー2年目であったソルドがマーカス・グロンホルム/ヒルボネンの北欧の名手を揃えたフォードに及ばず、2006年に続き奪われたが、2008〜2010年はソルドも成長しシトロエンが3連覇で奪回に成功した。
単独の一車種による通算イベント優勝数36回[注釈 4]は、フォルクスワーゲン・ポロ R WRCに破られるまでWRC最多記録であった。
2011年からは新規定「S2000 WRC」に合わせた「DS3 WRC」に後を託してC4 WRCは大舞台から引退した。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “Xsara WRC” 4 November 2019閲覧。
- ^ 『AUTO SPORT No.1099 2007年2月15日&22日号』P28-30 三栄書房刊
- ^ 『WRC PLUS 2008 Vol.6』P22-25
注釈
[編集]- ^ C4 WRCの後継となるDS3WRC、さらにWTCC(世界ツーリングカー選手権)でシトロエン・C-エリーゼの開発も行い、それぞれでタイトルを連覇することになる名エンジニアである
- ^ 2010年の数戦のみオジェと入れ替わる形で育成チームに降格
- ^ 一般的にサスペンションを柔らかめにするとロールしやすい分タイヤが路面を捉えやすくなり、トラクションで有利になる(フォーカスWRCはこの傾向)。逆に固くするとロールづらくなり車両姿勢は安定するが、タイヤが路面を捉えづらくなりトラクションで不利になる。つまりC4 WRCは背反する二項を同時に成立させるという理想的なラリーカーだった。
- ^ うち34勝がローブ、残り2勝は後に8度の王者となるセバスチャン・オジェによるものである