Category‐ノート:リューリク朝ログヴォロド系
このカテゴリは2017年4月16日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
カテゴリ名について質問があります
[編集]はじめまして。キエフルーシ関係の記事をロシア語版から訳している者です。カテゴリ作業おつかれさまです。さて、いくつか質問があります。 私はこの時代を専門的に学んだわけではなく、(wikipedia以上の)根拠となる出典はほとんど出せず申し訳ないですが、よろしくお願いします。
1)まず、このカテゴリ名なのですが、ログヴォロド(ru:Рогволод)とその娘のログネダはリューリク朝出身者ではなく、スカンジナヴィア由来の人物であるとみなされているようです[ノフノフ 1]。よって、「リューリク朝(の)ログヴォロド系」というカテゴリ名称はあまり適切ではないと思います。
完全否定したいわけではなく、ロシア語版ru:Изяславичи Полоцкие(このカテゴリの家系に関する記事です。転写:イジャスラヴィチ・ポロツキエ)の冒頭が、「Изяславичи Полоцкие или Рогволодовичи (от летописного «Рогволожи внуци») 」(直訳:「イジャスラヴィチ・ポロツキエもしくはログヴォロドヴィチ(年代記の<<ログヴォロドの子孫>>から)」)となっているので、この「家系」の名前としてはまったくありえない名前ではないとも思うのですが、あえて「リューリク朝ログヴォロド」とする根拠(日本語版の出典)はないのではないかと思います。対応するロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語版のカテゴリー名は「イジャスラフ~」ですので、それにあわせるべきではないかと思います。
ただし、単に「イジャスラフ~」とすると、「Category:リューリク朝イジャスラフ系」と重なってしまうので、やはりロシ語・ウク語・ベラ語版のカテゴリ名に合わせ、「ポロツク・イジャスラフ~」とするべきではないかと思うのですがいかがでしょうか。
なお、「Category:リューリク朝イジャスラフ系」の家系には、トゥーロフもしくはトゥーロフ・ピンスクの地名を付けているのがいくつかありました[ノフノフ 2]。こちらのみを「ポロツク・イジャスラフ~」とするのがバランスが悪いのであれば、「Category:リューリク朝イジャスラフ系」を「トゥーロフ・イジャスラフ~」としてもよいと思います。他には、ロスチスラフ・ウラジミロヴィチ (トムタラカニ公)の子孫をru:Ростиславичи (галицкие)(直訳:ロスチスラヴィチ(ガーリチ)意訳すれば「ガーリチ・ロスチスラフ~」)として地名を付けて区別している例があり、(「Category:リューリク朝モノマフ系」のロスチスラフ1世から始まるスモレンスク公の家系と区別するためではないかと思われます。)、「地名+始祖の名前」という表現はありうると思います。
2)以下は具体的な改名案はなく、質問なのですが、「~系」という表現は出典がありますでしょうか。実はリューリク朝関係の記事を訳す中で、「なんとかвичи」の訳はどうしたらいいか迷うところでありました。たとえば、「Category:リューリク朝モノマフ系」とはロシア語でru:Мономаховичи(直訳:モノマフの子孫)というのですが、この「Мономаховичи」に相当する家系は、日本語文献の中で、「ウラジーミル・モノマフに始まる一族[ノフノフ 3]」「ウラジーミル=モノマフ公の一門諸公[ノフノフ 4]」などと表現されており、確定的な訳・固有名詞的な訳はないのではないかと思われます。そもそもロシ語では「Мономаховичи」(Мономах(モノマフ)+вичи)と、リューリク朝のロシア語表記「Рюриковичи」(Рюрик(リューリク)+вичи)との間に文法的な違いはなく、かといって日本語の朝のニュアンスから「モノマフ朝」とはおそらく訳さず、~系・~家・~一門・~氏・~流・~の子孫、あたりの何かを使うのだろうなと思うのですが、どれが適切なのかよくわかりません。「系」に出典があれば、私がこれまで訳してきた部分(主に「~家」で訳してきました)を修正しようと思います。
3)もしかしたらスラヴ系言語の王朝(ポーランドとかブルガリアとか)の中に、始祖の名前が被る家系があるかもしれませんが、カテゴリ名に「リューリク朝」と付ける理由はどのようなものでしょうか。
以上、まとめますと、
- 1)このカテゴリ名の「ログヴォロド」の部分を「ポロツク・イジャスラフ」としてはどうか
- 仮に改名するならば、2)「系」でよいか 3)「リューリク朝」はいるか もご意見をいただきたいです。
長くなりましたが、お時間のあるときにご意見をいただければ、と思います。
- ^ ログネダ・ログヴォロドヴナ#出身地について、トゥルィ、あるいはen:Rogvolod、ru:Рогволод#Этимология имени Рогволодаあたりをご覧ください。
- ^ (be:Катэгорыя:Род Ізяславічаў Тураўскіх、アレクサンドル・グレボヴィチ (ドゥブロヴィツァ公)の翻訳元に、Алекса́ндр Гле́бович (Всеволодович) (уб. 1 июня 1223) — князь дубровицкий из рода Изяславичей турово-пинских. などです。
- ^ 『ロシア史 1 -9世紀~17世紀-』、田中陽兒・倉持俊一・和田春樹編、山川出版社、1995.(世界歴史体系) P126
- ^ 岩間徹編 『ロシア史(新版)』、山川出版社、1979.(世界各国史4)P100
--ノフノフ(会話) 2014年9月11日 (木) 14:27 (UTC)
- Category:リューリク朝を細分化したIP不動の者です。1日遅れですが、返答させて頂きます。
- 先ずは1)に関してですが、当初、ポロツク公国を統治した一門については御指摘の通り「イジャスラフ・ポロツク系」にしようかと思っていましたが、ロシア語版の「Изяславичи Полоцкие или Рогволодовичи (от летописного «Рогволожи внуци») 」の記述からポロツク公家を「ログヴォロド系」にして、トゥーロフ・ピンスク公家に限って「イジャスラフ系」にしようと思いこのようなカテゴリ名にしようと決めた次第であります。カテゴリ名にご不満があられるようでしたら、「イジャスラフ・ピンスク系」と「イジャスラフ・トゥーロフ=ピンスク系」にしても言いと思います。
- 2)に関してはリューリク朝のカテゴリの中身上の性格を考えて「リューリク朝〇〇系」という名で各カテゴリを作成しました。ru:Мономаховичиは御指摘の通り、日本語の文献ではモノマフ(大)公家ないしモノマフ一門と翻訳されていて「モノマフ家」とした方が適切なのかもしれません。ですが、日本語版ウィキペディアにおけるリューリク朝の人物のカテゴリに関しては、公ないし大公及びその一門である王朝系の人物に関してはCategory:リューリク朝、アンドレイ・クルプスキーのような非王朝系の単なる末裔貴族に関してはCategory:リューリク家というふうに区分化されています。「Мономаховичи」等は当然、王朝系に属しますことから「〇〇朝」というふうに末尾に朝を付けた方が良いと思うのですが、「モノマフ朝」と訳されることは先ずないですし名称としても適切ではないと思います。
- そこで私が参考にしたのがポーランド王、ブルガリア王を出したドイツ・ザクセンを統治したヴェッティン家のカテゴリです。この一門は16世紀にアルベルティン家とエルネスティン家に分離しますが、日本語版では前者の人物カテゴリに関してはCategory:ヴェッティン家アルブレヒト系、後者の人物カテゴリに関してはCategory:ヴェッティン家エルンスト系という名称になっています。
- 私はこれに倣って、リューリク朝の分家である公、大公家一門のカテゴリを「リューリク朝〇〇系」という名でカテゴライズした次第であり、これが最も適切だと思っています。--220.216.84.71 2014年9月12日 (金) 16:48 (UTC)
- お返事ありがとうございます。
- 1)のCategory:リューリク朝ログヴォロド系に関してですが、特に異論がないのであれば「ポロツク・イジャスラフ」を推します。(個人的にはログネダ・ログヴォロドヴナ#ログネダも入れたいのですが、)血縁的に「リューリク朝」の家系の始祖はイジャスラフですので、こちらの方を用いるべきだと思います。
- Category:リューリク朝イジャスラフ系の方は(まずトゥーロフ=ピンスクかトゥーロフ・ピンスクかはさておき。wikipediaの表記上なにか決まりがあるのでしょうか?)、私が訳したロシア語版の記事の中に限れば「トゥーロフ・ピンスク・イジャスラフ」が多く使われていた印象があります。しかしどちらかというと「トゥーロフ・イジャスラフ」のほうを推します。ベラルーシ語版のカテゴリがbe:Катэгорыя:Род Ізяславічаў Тураўскіхであることがまず第一です。また、なんとなくですが「トゥーロフ・ピンスク」というのはトゥーロフ公国からピンスク公国が分離→最合併してからの名称であるように思います。一方、始祖のイジャスラフは分離・再合併より前の時代の人であります。ただ、こちらに関しては、ロシア版・ベラルーシ版のどちらが正しいかはよくわかりません。あらためてご意見をください。
- 2)ですが、まず私が主に「家」と訳すのは[ノフ 1]、リューリク朝と同じくファミリーネームを持たない王朝であるモンゴル帝国の君主の家系をチャガタイ家、オゴデイ家などとしているのに倣いました。私としましては、「○○家」、次の候補として「モノマホヴィチ」などのカタカナ転写がいいのではないかと思います。
- よって、2)に関して、今私達は決定的な根拠(出典)がなく、類似する他の事象から案をだしております。このままでは平行線をたどる気がしますので、もしよろしければ、コメント依頼で、系譜に関する用語に詳しい方を探してみるというのはどうでしょうか。1)については我々で決めてよいのではないかと思います。
- 一応、先のコメントに対して反論させていただきます(以下、言葉遊びのような趣きがありますがご容赦ください。)
- <1>「リューリク朝のカテゴリの中身上の性格」からご検討なさったということですが、私としてはCategory:リューリク家という名称にまず違和感を感じます。アンドレイ・クルプスキーを例にとれば、彼はキエフルーシ期の人物とは異なり、「クルプスキー」というファミリーネーム的なものをもつ家系であり、分類するなら「クルプスキー家」の人物となるはずです(ru:Категория:Курбскиеにあたります)。日本語文献でも同世代のリューリク朝派生の貴族を「シュイスキー家[ノフ 2]」、ゲディミナス朝派生の貴族を「ベリスキー家[ノフ 3]」と表現していることから、「クルプスキー家」という表現は適切であると思います。
- そうすると、Category:リューリク朝モノマフ系式にいうなら、アンドレイ・クルプスキーは「Category:リューリク家クルプスキー家」という不思議(少なくとも私にはそう感じられる)な名前の家系になってしまうわけですが、しかし前述のように「クルプスキー家」はおそらく適切、そうすると「リューリク家」が不適切ということになります。
- 以上の私の考え方が論理的に正しいのであれば、「不適切」な「リューリク家」に配慮して、ru:Мономаховичиなどの名称を決めようとするのはおかしいのではないでしょうか。
- <2>ヴィッテン家は諸侯(諸侯によりますと「臣下である貴族」とあります)の家系であり、クニャージもしくはヴェリーキー・クニャージ(帝政ロシア期とは異なり、キエフルーシ期のクニャージは君主の称号です。)の家系であるリューリク朝とはやや状況が異なる気します。つまりは「○○家××系」という表現が適切でも、「○○朝××系」という表現が適切であることの証明にはならないと思います。この場合、○○朝の中の1分家がどう呼ばれているか(という事例があれば。)に合わせたほうがいいのではないかと思います。
- というのが私の意見です。いずれにせよ、まず二つのイジャスラフについてまとめた上で、コメント依頼を提出してみませんか。(ここで私か220.216.84.71さんが、相手の意見に納得したとしても、それが正しいとは限りません。)
--ノフノフ(会話) 2014年9月13日 (土) 00:40 (UTC)
- ログネダからログネダ・ログヴォロドヴナへページ名を変更したため、上記の記述中のリンク先を修正しました。--ノフノフ(会話) 2014年10月14日 (火) 13:37 (UTC)
- 二月ほど過ぎましたが、220. - さんお元気でしょうか。お気づきでしたらコメントをいただけますと幸いです。--ノフノフ(会話) 2014年12月7日 (日) 19:51 (UTC)
- ログネダからログネダ・ログヴォロドヴナへページ名を変更したため、上記の記述中のリンク先を修正しました。--ノフノフ(会話) 2014年10月14日 (火) 13:37 (UTC)