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Category‐ノート:琉球の王族

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カテゴリの範囲「王妃、聞得大君、王子、按司、翁主(王女)などの地位にあった王族、また、国王の父などで、のちに王号を追贈されたが、実際には王位には就いていない王族、さらに明治12年(1879年)の琉球処分により、正式に琉球王国が滅亡した時点で、王族であった人物とその家族」とありますが、二つの解釈が考えられます。

1. 「王妃、聞得大君、王子、按司、翁主(王女)などの地位にあった王族、また、国王の父などで、のちに王号を追贈されたが、実際には王位には就いていない王族」に加え、「明治12年(1879年)の琉球処分により、正式に琉球王国が滅亡した時点で、王族であった人物とその家族」

2. 「王妃、聞得大君、王子、按司、翁主(王女)などの地位にあった王族、また、国王の父などで、のちに王号を追贈されたが、実際には王位には就いていない王族、さらに明治12年(1879年)の琉球処分により、正式に琉球王国が滅亡した時点で、王族であった人物」と「彼らの家族」

1の場合は、琉球時代は王族の地位にあった人のみが含まれ、廃藩置県後だけ王族の家族まで含まれるというのは少し疑問があります。 2の場合は「家族」を上記の地位にあった者の一親等までと認めるのが妥当だと思います。「按司の次男で士族である者」も含まれるということです。 その場合、廃藩置県後「尚」の名字がつく方でこのカテゴリに入らない方も多く出てくることになります。

また、人物ではなく、御殿などの「家」もこのカテゴリに含まれるべきかの議論が必要だと思います。個人の意見では「人物」だけでなく、「家」も含めてもよいかと思います。その場合は更に、琉球処分時に御殿であったか否かを基準とするか、琉球処分時は御殿の家格をもっていなかったが過去に御殿であった家(歴代当主に王族がいた)も範疇とするか、どこで線引きをするかの議論が必要だと思います。 --Franz Rekio会話2012年9月17日 (月) 16:01 (UTC)[返信]

現時点で「家」もこのカテゴリに入っており、個人としては賛成ですが、御殿家にも殿内家と同じように向氏とつけるべきではないでしょうか?馬氏の御殿家もありますし、門中大辞典(那覇出版社)や士族門中大辞典(球陽出版社)においても向氏○○御殿と記載してます。但し門中大辞典の場合は王子から始まる向氏の場合は尚氏とあり、この表示法はあまり例をみたいため、御殿家でも王子家であった今帰仁御殿を除き、向氏○○御殿と記載するのが妥当ではないでしょうか。Franz Rekio会話2012年9月18日 (火) 16:57 (UTC)[返信]

「Category:日本の皇族」を見ると、宮家は別にしているので、それに準拠するならば、御殿も分離したほうがいいかもしれません。
過去に御殿であった家も含めるかどうかですが、やはり廃藩置県時に当主が王子・按司の地位にあった家柄に限定するのが無難だと思います。確かに王国末期に殿内に家格落ちした嘉味田殿内のような例はありますが、ただそれ以前の「喜屋武御殿」という表記も見たことがありません。もし区別するなら、「Category:按司」を作って、かつて按司だった人はそこに分類するのは一つの方法かとは思います。
一つわからないのは、松山御殿のように廃藩置県後に御殿を称した事例です。尚家では廃藩置県後も各王子を御殿と呼んでいたようです。宜野湾御殿の場合は廃藩置県直前に采地を賜っていますが、松山御殿(尚順)の場合、采地を賜っておらず慣例から呼称されたようです。
御殿に「向氏」を付けるべきかですが、確かに「向氏~御殿」という表記は可能だとは思います。ただ御殿の場合、向氏以外は国頭御殿だけなので、わざわざ表記がより煩わしくことを考えると、付けないほうがいいのではないかと思います。殿内の場合は家数が多いこと、家名が頻繁に変わるため姓(氏)を付けないと判別が困難になるため、「某氏某殿内」と立項するのが無難なのような気がします。--ウィキナ会話2012年9月18日 (火) 21:04 (UTC)[返信]
新たに「琉球王国の御殿」のカテゴリを設け、当カテゴリの下位に分類しておきました。--ウィキナ会話2012年9月19日 (水) 00:12 (UTC)[返信]