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Category‐ノート:資料

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主旨が不明です。定義文をきちんと書いてください。もしくは削除を検討します。--NDR 2006年1月6日 (金) 10:08 (UTC)

審議ページからの続き

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(コメント)随分、極端な例をお出しになりましたね。一度、化石の記事をよく御覧なさい。ここで述べられていることは「化石資料」のことですよ。項目の名前が「化石資料」だったら、資料に含めてもいいということでしょうか?--Greenland4 2007年7月8日 (日) 00:36 (UTC)

  • (補足)言葉足らずだったので補足します。古生物学生物学とでは、名前は似ているかもしれませんが、方法論は全く違います。古生物学では、他の自然科学と異なって実験ができません。実験によってデータを集積することができないという意味では、むしろ歴史学に似た性格をもちます。また、観察といっても対象には絶滅種を多く含みます。通常は観察も不可能なわけです。その意味から「自然史」という言い方もあります。そこで目指されているのは、歴史学や民俗学同様、「分析」というよりは「叙述」です。古生物学はまた、方法論としては考古学にきわめてよく似ています。考古学では考古資料がないと何も言えません。そして、それは人為的な発掘作業を経ないと入手できないわけです。考古資料があってはじめて、そこから型式学的研究と層位学的研究、編年作業が始まります。同じように、古生物学・自然史においても、化石が出てはじめて分類学的な研究と編年作業が開始されます。その意味で、考古学は考古資料に、古生物学は化石資料(化石標本)にきわめて依存する学問です。わたしが化石を資料以外の何物でもないと述べた理由がおわかりいただけたでしょうか。生物学者が資料として生物を持ち出す心配はないと思います。専門家が素材と対象を取り違えることは、まずないと思われます。もし、そう主張している生物学者を御存知ならば教えてください。--Greenland4 2007年7月8日 (日) 02:03 (UTC)[返信]
(お返事) まず、「一度、化石の記事をよく御覧なさい」とのことですが、先のコメントを書く前に「化石」の記事は読んでいました。それでも再度「化石」の記事を見に入って気が付いたのですが、2007年7月8日 (日) 07:09の編集[1]にて、御自身の主張に添うように書き直されていますね。この編集自体の適否とは別に、このような(言葉が悪くて申し訳ありませんが)「泥縄式」のご指摘を受けることに戸惑いを感じます。次に、「化石」ではなく「化石資料」という項目ならば「Category:資料」(あるいは適切なサブカテゴリを作成してそこに)に入れることに違和感はないと思います。もちろん項目名と内容が一致していることが必要で、単に改名すればよいというわけではないと思います。
以上、Wikipedia:削除依頼/Category:資料にて「瑣末主義」という言葉を持ち出されたのは「記事名が化石ではなくて化石資料という名前ならばOKなの?」という疑問を持たれたからではないかと思い、コメントしましたが(ついでに苦情も述べてしまってすみません)、そもそも、Wikipedia:削除依頼/Category:資料でのSinaの論点は「(古生物学において)化石は資料以外の何物でもないか否か」にはありません。「○○は△△学にとっては資料以外の何物でもない」という基準でCategory:資料をカテゴライズすることに対する疑問です。「化石」を専ら「資料」として扱う研究分野があることはご説明の通りだと思いますが、化石の中には「化石燃料」のように資料だとは扱わない(燃やしてしまう)ものあると思います。資料か否かが「○○」によって決まるのではなくて「○○」を扱う側の視点によって決まるとしたら、何を「Category:資料」に入れたらよいかの判断は一意には決まらないのではないでしょうか?「生物」については「生物」と「生物資料/生物標本」が区別されているならば、「生物」ではなく「生物標本」をカテゴリに入れるとよいと思いますし、「化石」についても「化石」と「化石資料/化石標本」の区別がなされているならば「化石資料」の方を入れればよいと思いますが、そのような区別が無い場合の扱いは現在のカテゴリ定義でも不明確になっていると思います。それと、Category:資料を、学術研究のための資料に限定するならば、カテゴリ名称は「資料」ではなくて「学術資料」「研究資料」のような名前にすべきと思います。なので問題点は解消していないと思っています。Sina 2007年7月8日 (日) 12:01 (UTC)[返信]
お読みいただいていたとは失礼いたしました。ただし、化石燃料は他の項目として既にありましたよ。わたしが編集する以前から「化石」の項目の説明は化石資料についてだったわけですよね。そこには化石燃料の説明なんてひとつも載っていません。自分の主張に沿うも何も、化石というのはもともと標本資料なんじゃないのですか。よろしければ標本も読んでみてください。まあ、Category:資料で具合がわるいなら「学術資料」でも何でもいいですよ。わたし自身は具合がわるいとは全然思いませんがね。複数の国語辞書で「資料」をお調べになったらいかがでしょうか。--Greenland4 2007年7月8日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
もしかしたら「標本」も読んでいるとか、国語辞書で「資料」を引いて見てはいるかもとは考えない方なのですね。それはさておき、きちんと資料なり文献を確認して、意見を述べることは大変大切なことだと思いますので、あれこれと読んで調べてみてはという勧めには従いたいと思います。記事:化石については、
  • 「化石は、過去の生物の死骸が、何らかの形で地層の中から発見されるものである」を
  • 「化石は、過去の生物の死骸が、何らかの形で地層の中から発見される標本資料である」
に変更されていますが、もしよろしければ出典をお知らせ頂けないでしょうか。基本事項なので特に特定の文献があるわけでは無いようでしたら、自分で2~3冊あたってみますけれど。Sina 2007年7月8日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
標本を読んでいるとか、国語辞書で「資料」を引いて見てはいるとかはどうしても思えなかったもので、申し訳ありません。おたずねの件ですが、出典と呼べるほどのものはございません。ただし、今ザッと手元にあるハンソン『動物の分類と進化』(八杉龍一訳、岩波書店、1975)をみても、その90頁に「・・・古生物学者(化石の研究者)の仕事は、そこからはじまる。かれは、浸食であまりこわされていなくて比較的保存のよい化石を、ていねいにほりだす。付着物は、標本をできるだけきずつけぬように注意しながら、けずられ、はがされる。もしも骨格の標本であれば、1つ1つの骨を取りはずすごとにその位置を正確に記録しておく。それらの骨の形や構造を保存するため特別の処理をすることがある。標本は荷づくりして、研究のため博物館や研究室におくられる・・・」という文章があります。まあ、これで充分だと思います。保育社の『原色化石図鑑』には至るところで「化石標本」の語があります。これは、Wikipediaの古生物学なんかの場合と同じですね。不充分とあれば、ほかの文献にも一応あたってみます。もしかしたら、保存処理を加えるか否かを標本の要件と考えていらっしゃるのかもしれませんが、統計用語にも「標本」という語がありますように、それは本来的ではないわけです。そもそも通常は(骨格のみなどの特殊例はのぞいて)、化石の場合は他の生物とは違って保存処理を加えなくても標本としての用は足せるわけです。要は、標本の説明のなかの「全体の中から取り出し観察・調査を行う一部分」というのが、標本の要件だということですね。現存する化石資料はあくまでも全体のなかの一部であり、ほかは地中に埋まっているわけです。
国語辞書で資料にあたってみたといいますが、小学館『大辞泉』では「研究・調査の基礎となる材料」、三省堂『大辞林』では「あることをする上で、もととなる材料。特に、研究のためのデータ」とあります。ことさら、「研究資料」や「学術資料」などと名称を変更する必要がありますか? --Greenland4 2007年7月8日 (日) 15:47 (UTC) [返信]
何はともあれ、リクエストに応えて頂けたことに感謝します。明日、時間がとれたら図書館にでも行って探してみます。「化石=化石資料=標本資料」説をサポートするような記述があるかどうか確認してみたいと思います。「資料」については、「研究」や「研究・調査」と「学術研究」では、意味が違う点に注目して頂けないでしょうか(研究や調査といっても「学術研究」とは性質を異にしている研究もある、というのが一般的な理解だと思います)Sina 2007年7月8日 (日) 17:51 (UTC)[返信]
おはようございます。蛇足ながら、博物館学では標本資料という言葉は「実物資料」とほぼ同義で用いられていますね。それからすれば、民具なども標本資料にカテゴライズされます。民俗博物館なんかでは、収蔵品を視聴覚資料、図書資料、標本資料と分類しているケースが多いようです。--Greenland4 2007年7月8日 (日) 22:47 (UTC)[返信]
図書館行ってきました。
  • ハンソン著・八杉龍一訳『動物の分類と進化』現代生物学入門6, 岩波書店, 1962年7月10日第1刷発行,380円
  • 益富・浜田共著『原色化石図鑑』保育社, S54年11月1日第11刷
先に『動物の分類と進化』から引用して頂いた文章は、1962年の版では、第6章(時間的多様性:古生物学)の2枚目(p47)にありました。ページが違うのは増補があったのでしょうか。前後の文章も通読してみましたが、Sinaには、この文章は「化石=標本資料」を意味しているとは読み取れませんでした。
  • 化石研究会編著『化石の研究法』岩波書店, 2000年8月1日初版
のp3には「採集された化石は研究の場に運びこまれ、必要に応じてクリーニング(プリパレーション・剖出・整形作業;日本では一般的にクリーニングというのでここでもこの意味で使用する)や強化処理が行われる。・・・(2文略)・・・。クリーニングが終了した化石は、ラベルをつけ標本として整理する」という記述があります。「化石=標本」というわけではなくて、「化石は、一定の手順・作業を経て、標本として扱えるようにする」というのが適切な理解ではないでしょうか。標本にする際に重要なのが「標本データ」をきちんと添付することで、標本データの無い化石はただの石ころと変りは無いとさえ言えるかもしれません。
Greenland4さんが「現存する化石資料はあくまでも全体のなかの一部であり、ほかは地中に埋まっている」と書かれたのはある意味正しい説明で、博物館や化石図鑑などで参照できる化石は、標本資料として扱われている化石で、地中に埋まっている化石は、標本資料としては扱われていない化石だということなのですね。
ということで『動物の分類と進化』の引用で使われた“標本”と同じ意味で“標本”という言葉を使うと、「化石 ⊃ 化石標本」であると思います(他の本にも目を通しながら、“標本”という言葉を別の意味で捉えると「化石=標本」という説もありえるかな、と感じられたので少し回りくどい表現にしています)。
念のため、『古生物学辞典』朝倉書店、『生物学辞典』岩波書店などで、化石の項を引いてみましたが、「化石とは・・・遺骸や遺跡である」といった説明になっていて、「化石とは、・・・標本資料である」という説明にはなっていませんでした。記事:化石は前の版に差し戻すべきではありませんか?Sina 2007年7月9日 (月) 17:03 (UTC)[返信]

化石、化石資料、標本資料について

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わたしも気になって、何冊かにあたってみましたので御報告いたします。

まず、『ブリタニカ国際大百科事典』(TBSブリタニカ、1972)の項目「化石」では、このような記述がありました。「・・・16世紀の中頃から化石という語は、主として地質時代に生存していた生物の遺骸に限定して用いられるようになった。この場合、生物の実際の遺骸、鉱物で置換される遺骸、カスト(雄型、すなわち石膏型のものをいう)、モールド(雌型、すなわち雌型のものをいう)、木の葉や動物の皮膚および羽毛などの印象、および足跡やはい跡なども化石のなかに含まれる。石炭、石油、ある種の石灰岩や石墨なども生物起源であり、過去の生命の証拠となるので、専門的にはこれらも化石と呼んでよいのであるが、一般には化石の定義から除かれている。」 以下は、学術資料としての化石の記述が2頁にわたってつづきます。当然ながら、地質年代を決定する際の資料となる示準化石の説明もあります。

次に、『世界大百科事典』(平凡社、1972)の項目「標本」ですが、冒頭に「動物学、植物学、地学などの研究や教育に使うために、長期間保存できるように処理した生物の体やその一部、および岩石、鉱物などをいう。標本は乾燥標本、液浸標本、プレパラートに大別できる。岩石、鉱物、化石、貝殻などはそのまま長く保存できるが、その他のものは、生物体の全部または一部を、適当な方法で速やかに乾燥させて、保存に耐える乾燥標本に製作する。・・・」との説明があります。

同百科事典の項目「化石」では、11頁にわたって延々と資料としての化石についての説明があります。

  • (定義/概要)
    • 化石のでき方
    • 化石研究の意義
    • 化石と生物
      • 生きた化石
      • 進化論と化石
    • 化石学
  • 無脊つい動物の化石
    • 研究史
    • 原生動物
    • 海綿動物
    • コケムシ動物
    • 腕足動物
    • 軟体動物
    • 腹足類
    • 環形動物
    • 節足動物
    • きょく皮動物
    • 筆石類
  • 脊つい動物の化石
    • 研究史
    • 保存の状態
    • 進化論との関係
    • 魚類
    • 四肢動物
  • 植物の化石
    • 保存の状態
    • 種類の同定
    • 植物化石の意義
    • 種類と分類

節項目は以上のようになっていまして、さらに小節に分かれていますが、割愛しました。このなかに化石燃料の説明はまったくありません。化石燃料や化石人類については別項がたてられています。化石が生物の起源と進化、分類学と系統学にかかわる資料だということが詳細に述べられており、地史学研究や古環境の検討に資するものであることもたいへん詳しく述べられています。地質学、層位学の資料としての示準化石、示相化石の説明もあります。また、植物化石の場合は「古気候の判断などの有利な資料となる」との記述もあります。

1988年版の平凡社『世界大百科事典』では、項目「化石」は4頁になっています。節も「化石の種類」「化石の成因」「化石の研究法」「化石の記録」「古生態と古環境」「化石の効用」に整理されています。ここでは、古生物の生理・生態に関して多くの情報がもたらされたこと、微化石が海底環境の解析や古海洋の変遷の資料となったことなどが付加されています。最後の「化石の効用」のところで、次のような記述があります。「化石は地球表層部の堆積岩の構成員の一つとして大きな役割を果たしている。・・・古生物の遺骸がそのまま堆積して岩石化した石灰岩、ドロマイト、チョーク、ケイ藻土、あるいは古生物遺骸から変化した石炭・石油・天然ガス、海鳥の糞が堆積・固化してできるグアノを起源とするリン鉱床、鉄バクテリアにより生成された鉄鉱床など、人間生活にとって有用な地下資源となっているものが少なくない。かつては化石は正倉院薬物中に見られる竜歯・竜骨・竜角のたぐい(実は哺乳類の化石)のように、洋の東西を問わず薬物として大いに珍重された。また、コハクのほか、放散虫の遺体で形成されることの多い碧玉など、昔から装飾や宝石に使われている化石もある」。全体からすれば分量にして20分の1程度の記述ですが、「資料以外の化石」についての記述があることは確かです。ただ、それらが一種の化石であることは古生物学研究の結果わかったものであることも事実です。

ブリタニカ・平凡社(1972年)の説明を採るか、平凡社(1988年)の説明を採るかということですが、少なくともWikipediaの記事の扱いは現状では前者に沿うかたちになっていることは言えると思います。

なお、E.H.コルバート著、小畠郁生・澤田賢治訳『さまよえる大陸と動物たち』(講談社<ブルーバックス>、1980)では、南極大陸で見つかったリストロサウルスの化石がアフリカでも見つかって、大陸移動説と古代ゴンドワナ大陸の存在(つまり南極・アフリカ両大陸の接合関係)を実証する資料となったことから書き起こされています。1969年に採集された化石についてコルバートはこう書いています。「化石を見れば見るほど、ついにリストロサウルスの見まがうこともない証拠を手にしていることをわたしは確信するに至った。標本はそれほど多い数ではなかったが、特徴的なものであった。というのは、標本は右顎骨の一部からなり、その縁はこの爬虫類頭骨の前部にきわめて独特の、鋭く下方に曲がった端を示し、そして、歯槽から突き出た戦端のものは明らかに牙の端であった」

とまあ、ここでも標本という言葉がハンソン同様、化石資料と同義で使われています。資料として有用なのはおっしゃるとおり、出土地点や出土層序などの標本データのついたもので、それは考古学における土器などと同じです。ただし、ここ(化石)では資料としての化石について述べているわけですし、地中にあったものではなくて、発見されたものを述べられているわけですから標本資料と表現してもさほど問題があるとは思いませんでした。生物学事典や百科事典にある「遺骸や遺跡」、これは考古学でも「遺物や遺構、遺跡」という類似の言葉であらわされ、考古資料と総称されます。「標本資料」が仮に具合がわるいにしても、わたくし的には「資料」という表現は譲れないところです。

しかしまあ、資料という言葉に拒否反応をもつ人、あるいは、化石を資料とは認めない、古生物学を学問と認めないという立場も確かにございます。原理主義者とか聖書絶対主義者と呼ばれる人たちは進化論を認めないわけですから、化石が学術資料であってはいけないわけです。そういうことも考えると、なかなか難しい問題を含んでいますね。

さて、どうしましょう。--Greenland4 2007年7月9日 (月) 18:05 (UTC)[返信]

沢山の引用をお疲れさまでした。百科事典も要チェックだとSinaも思いましたので後で見てみます。でもなんだか沢山書かれた割には、「論点がすっとんでいる」という印象を受けてしまいました。私たちは、「古生物学では化石を資料として扱っているか否か」あるいは「化石は学術資料として認められないか否か」ということを論じていたとお考えなのでしょうか。「化石とは・・・標本資料である」と記載してしまうことの問題は、それらとは別次元の問題です。
ハンソン著『動物の分類と進化』によれば、化石のうち標本資料として扱われるのは、発見されたもの全部ではなくて、発見された化石の中から比較的保存のよいものを選んで標本とするのですよね。このことからも「化石=標本資料」と記載してしまうのは不適当であり、もっと正確な記述に改めるべきと思います。
あと「化石」の項には、化石燃料についてはひとつも載っていないとか、資料以外の化石の記述は無いかのようにGreenland4さんがおっしゃるのは、Greenland4さんの誤読ではないでしょうか?。化石#人との関わりを見てみて頂けないでしょうか。一番最後の行には石炭についても1行あります(「一度、化石の記事をよく御覧なさい」と書かれたGreenland4さんに同じ言葉をお返しするのは恐縮ですけれど)。Sina 2007年7月10日 (火) 14:56 (UTC)[返信]
補足:1988年版の平凡社『世界大百科事典』の「化石」の項にて、「化石の研究法」の記載があると紹介して頂いていますが、ここには「採集して持ち帰った化石は整理後、化石の種類に応じて処理をし、不必要な母岩を取り除き、破損部を補修し、標本として種の同定を行えるようにする」とあります。「化石そのものが、標本資料というわけではない」という点には同意をいただますでしょうか?Sina 2007年7月10日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

(コメント)「もの」に差し戻しておきます。また、「資料」のカテゴリからはずしておきます。もう終わりにしましょう。--Greenland4 2007年7月10日 (火) 19:42 (UTC)[返信]

記事:化石の加筆について

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(追記)化石の記事に加筆しました。ここでは枝葉末節や例外的なことばかりが述べられ、本来説明されるべきことが全然説明されていなかった気がしましたので。何はともあれ、化石が「資料以外の何物でもない」と述べたことが間違っていたとは思いません。素人の加筆であり、内容的にもまだまだ不充分なものですから、詳しい方の大幅な加筆を待ちたいと思います。--Greenland4 2007年7月13日 (金) 22:49 (UTC)[返信]

加筆お疲れ様でした。部分的には疑問を感じましたが細かくは見ていませんのでコメントは控えます。大部分の加筆は適切で、加筆以前よりは記述が充実して良くなっているように思いました。
(果たしてコメントを期待されているのかどうか判断に困りますが)個人的な信念の告白ならばどこか他に適切な場所があるように思いますし、「述べたことが間違っていた」かどうかはお好きなように解釈したらよいのではないかと思います。Sinaは、化石について理解が深まったので良かったなとポジチブに解釈したいと思っています。
だたし、もしも信念にもとづいて「化石は資料以外の何物でもない」という方向に偏った記述になっている場合には(逆に、「資料以外の化石」に偏った記述になっている場合にも)、広く文献をサーベイして、文献にもとづいてバランスよく加筆/推敲されるべきように思います。また、元々の問題点であった「Category:資料(or学術資料)」に何をカテゴライズすべきかについて明らかになっていない点は今なお解決していないままだと思います。Sina 2007年7月14日 (土) 00:45 (UTC)[返信]

コメントではなくて、独り言です。

化石燃料のことを「燃やすための化石」と称するのは本末転倒だと考えます。従来、燃料として用いていたものが、地質学的・理化学的研究の結果、生物起源だとわかっただけの話ですから。実際に石炭や亜炭を調べて植物遺体の炭化の度合いやメカニズムを調べる研究もありますし、鉱物資料館などでは石油の標本も置いています。琥珀や漢方薬にしても同じことです。宝飾品や薬品として用いられていたものが、研究の結果、一種の化石と称してよいものだとわかっただけの話です。だから、「人とのかかわり」にふれない百科事典もありますし、ふれたとしても5%以下、最後の申し訳程度ににすぎないわけです。単に「化石」といった場合、百科事典中の項目にせよ、著作にせよ、95%以上あるいは100%資料としての化石について述べているわけです。

それにまた、別に化石をCategory:漢方薬にカテゴライズする人がいても一向に構わないのではないかと考えます。ここは百科事典をめざしているわけです。化石が漢方薬としても用いられると知って「薬草以外に漢方薬として用いられるものにはほかに何があるの?」と疑問に思って調べることができたら、これは百科事典としてたいへん有用です。化石を薬として用いる習慣が中国にあったからこそ、甲骨文字の発見もあったわけです。国語辞典的に、古生物と聞けば「生物」、化石と聞けば「化石燃料」しか連想しない人、あるいは、化石には興味も関心もないという人は、通常は百科事典を利用しないわけです。そういう人は、「化石=化石資料=標本資料」なわけないじゃないか、「化石⊂化石資料⊂標本資料」に決まっているじゃないか、という単純集合論で喜んでいればいいのです。これは別にSinaさんのことではありません。

一次資料が「実物または現象にかかわる資料」だと定義されている以上、自然科学分野においては、実験データ、観察データ、観測データ、いわゆるナマデータと呼ばれるもの(現象を一定の基準や意図のもとに集めたデータ)が一次資料でしょうし、民俗学分野においては、行事や風習(現象そのもの)が一次資料となるでしょう。実物資料に関しては、たやすく得ることができないので、フィールドワークや標本採集、発掘などの採集活動が必要です。何をカテゴライズするかはすでに明らかになっているのであり、それについての議論は不要です。繰り返しますが、ここで求められているのは百科事典なのです。資料のない研究が妄想であるのと同様、資料論のない学問は単に妄想体系か定義文の羅列にすぎません。「資料」という記事やカテゴリは百科事典にこそ必要です。

学際的なものをめざすことなく、瑣末で例外主義なことばかりを取り上げるから、Wikipediaの記事は聞いたこともない中学校や鉄道駅の名前ばかりになってしまうのです。他人の記事にツッコミを入れたがる人ばかりで、他人が加筆・推敲してくれることを待っているくせに、それがなされるや、ただちにケチをつけることに狂奔するような人たちばかりです。だから、記事の内容も瑣末主義の傾向がどうしても増えてくる。そういう人を相手にするのは時間の無駄ですし、悪循環でもあります。無視するのが一番よい。

「もの」を「標本資料」に書き直したのは厳密に言えば確かに間違いです。ある地層における化石層の存在そのものが資料になります。しかし、それでも「もの」よりは数倍マシだと考えます。「化石といえば化石燃料だろう」というふうに連想ゲーム式に考える人(Sinaさんのことではありません)が一人でも減ってくれればいいと思って書いたのですし、今でもその思いはかわりません。--Greenland4 2007年7月14日 (土) 02:53 (UTC)(修正)--Greenland4 2007年7月14日 (土) 03:03 (UTC)[返信]