Cray X-MP
Cray X-MPは、クレイ・リサーチ社が設計・製造・販売したスーパーコンピュータである。1975年のCray-1の後継として1982年にリリースされ、1983年から1985年にかけて世界最高速のコンピュータであった。主要設計者はスティーブ・チェン。
詳細
[編集]Cray-1からの主な改良点は、クレイ・リサーチ初の共有メモリ型並列ベクトル計算機だという点である。主筐体に2個のCPUを格納しており、外観は Cray-1 の蹄鉄型のデザインを踏襲している。
プロセッサのクロックは105MHz(1サイクル9.5ナノ秒)である(Cray-1Aでは12.5ns)。バイポーラゲートアレイ集積回路 (IC) で構成されており、個々のICは16個のECLゲートを集積している。CPUアーキテクチャは Cray-1 とよく似ているが、メモリ帯域幅が改善されており(リードポート2個とライトポート1個)、chaining サポート(Cray-1を参照)も強化されている。理論的なピーク性能は1CPU当たり 200 MFLOPSで、システムのピーク性能は400MFLOPSである[1]。
X-MPは当初、200万ワード(1ワードは64ビットで、16MB)の主記憶を16バンクに分けてサポートしていた。メモリ帯域幅はCray-1から大幅に改善された。Cray-1ではリードポートとライトポートが1つずつだったが、X-MPではリードポートが2つになっており、I/O専用ポートも別に設けている。主記憶は4Kビットのバイポーラ SRAM IC で構成されている。CMOSメモリ版の Cray-1M は Cray X-MP/1s と改称された。この構成は当初、クレイ・リサーチでのUNIX移植に使われた。
1984年、X-MPの改良モデルが発表となり、プロセッサ数は1/2/4、メモリ容量は400万ワード/800万ワードという構成の機種が登場した。最上位機種 X-MP/48 は4CPUで理論上のピーク性能は800MFLOPSを越え、メモリ容量は800万ワードである[1]。これら機種のCPUはgather/scatter方式のメモリ参照命令を導入している。最大主記憶容量は1600万ワードまでとなり、実際に搭載可能なメモリ容量は機種によって異なる。SRAMメモリチップも機種によってバイポーラまたはMOSを採用している。
システムは当初、独自の Cray Operating System (COS) を搭載し、Cray-1とオブジェクトコードレベルで互換性を保っていた。UNIX System V から派生した CX-OS は最終的に UniCOS となり、ゲストオペレーティングシステム機能として実行した。1986年以降 UniCOS は主OSとなった。DOEは標準のOSではなく Cray Time Sharing System を採用した。Cray-1とX-MPはほぼ完全互換なので、その他のソフトウェアについては、Cray-1のソフトウェアの節を参照。
EAシリーズ
[編集]1986年、クレイ・リサーチは X-MP Extended Architecture シリーズを発表。EAシリーズのCPUはクロック周波数が117MHz(8.5ナノ秒)となり、マクロセルアレイおよびゲートアレイICで構成されている。EAシリーズではアドレスレジスタ(AとB)を32ビットに拡幅し、理論上20億ワードまで扱えるようにしている。実際の最大構成は6400万ワードの MOS SRAM を64バンクで構成したものだった。互換性のため24ビットアドレッシングもサポートしており、Cray-1や従来のX-MP向けの既存ソフトウェアを実行可能である。EAシリーズのCPUのピーク性能は234MFLOPSで、4CPU構成のシステムのピーク性能は942MFLOPSとなった。
I/Oサブシステム
[編集]I/Oサブシステムは2つから4つのI/Oプロセッサを搭載でき、合計で2台から32台のディスクユニットを接続できる。DD-39とDD-49というハードディスク装置は、容量1.2GBで転送レートはそれぞれ5.9MB/sと9.8MB/sである。オプションのソリッドステートドライブは、256/512/1024MBの容量で転送レートはチャネル当たり100から1,000MB/sである[1]。
価格
[編集]1984年時点のX-MP/48は1500万ドルで、ディスク装置の価格は含まない。1985年、ベル研究所は Cray X-MP/24 を1050万ドル、8台のDD-49を100万ドルで購入した。その際、Cray-1を下取りに出し、150万ドルで買い取ってもらっている[2]。1987年、本田技術研究所は Cray X-MP/12 を700万ドル(10億5000万円)で購入した[3]。
日本での導入実績
[編集]日本ではX-MPシリーズは少なくとも以下の企業に導入されている。
- NTT 基礎研究所 - X-MP/22[4]、X-MP/1[4]
- 東芝 - X-MP/22[5]
- 日産自動車 宇宙航空部門 - X-MP/11[6]
- 本田技術研究所 - X-MP/12[3]
- センチュリ リサーチ センタ - X-MP/18[7][8]
- リクルート - X-MP/216[8]
イメージ・ギャラリー
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CRAY X-MP/48 の制御パネル
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CRAY X-MP/48 の論理回路基板
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CRAY X-MP/48 の冷却システム
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CRAY X-MP/24 (バルセロナ・スーパーコンピューティング・センター)
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CRAY X-MP/24 (バルセロナ・スーパーコンピューティング・センター)
後継機種
[編集]完全新規設計のCray-2は1985年に登場した。全く異なったコンパクトな4プロセッサ設計で、主記憶容量は512Mバイトから4Gバイトであった。性能は500MFLOPSと言われたが、メモリのレイテンシが大きかったために計算の種類によってはX-MPよりも遅かった。
X-MPの直接の後継である Cray Y-MP シリーズは1988年から登場した。設計に目新しい点はなく、最大 8個の改良されたプロセッサを接続できるようにX-MPを進化させたものである。実装面では16ゲートのECLゲートアレイICからVLSIに集積度を向上させている。
ポップカルチャーにおけるX-MP
[編集]- トム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え!』では、アメリカ空軍の X-MP を使って潜水艦レッド・オクトーバーの性能と音響特性を計算する設定になっていた。
- 映画『トロン』には、X-MPが見えるシーンがある。また、エンドロールで "Supercomputer" として Cray X-MP がクレジットされている。
- 映画『スター・ファイター』では、3DCGのレンダリングにX-MPを使っている[9]。
- マイクル・クライトンの小説『ジュラシック・パーク』では、パークのコンピュータとして Cray X-MP を3台使用している設定となっていた。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c Cray Research, Inc. (1985). "The Cray X-MP Series of Computer Systems".
- ^ Dennis Ritchie (2000年9月). “Two Cray X/MP papers”. 2009年4月2日閲覧。
- ^ a b 「スーパーコンピューター、本田、米クレイ社製購入―新車開発実験などに採用」『日本経済新聞』 1987年1月30日朝刊、9面。
- ^ a b 「NTT、2台目購入、米クレイ社からスーパー電算機。」『日本経済新聞』 1985年9月28日朝刊、8面。
- ^ 「東芝、米クレイから購入―スーパーコン、日本で今年5台目」『日本経済新聞』 1989年9月26日朝刊、10面。
- ^ 「日産、クレイにスーパー電算機発注―米の批判回避狙う。」『日本経済新聞』 1985年5月15日夕刊、1面。
- ^ 「CRC総合研究所40年の歩み」『CRCコミュニケーション』第358巻、CRCソリューションズ、1998年、20-23頁。
- ^ a b 「日本クレイ 急激な伸び、スーパー電算機、官公庁などの需要高まる。」『日経産業新聞』 1987年9月25日、9面。
- ^ Ohio State University CG history page
参考文献
[編集]- Keith Robbins and S. Robbins (1989) Lecture Notes in Computer Science: The Cray X-MP/Model 24 Springer ISBN 3-540-97089-4