Dealing with Disaster in Japan
『Dealing with Disaster in Japan』(ディーリング・ウィズ・ディザスター・イン・ジャパン)は、カーディフ大学で日本研究の講師を務めるクリストファー・P・フッド(Christopher P. Hood)によって2011年に書かれた、ラウトレッジの出版による英文書籍[1]。副題が「Responses to the Flight JL123 Crash」で、1985年に起きた日本航空123便墜落事故に関する、英語で書かれた唯一の本(2011年時点で)となっている[2]。この本は日航機墜落事故とその社会的余波について議論しており、JAL123便への対応を他の事故と比較・対比している[3]。本書の購読層は日本や航空機事故に関心のある人々であるが、研究者のほか一般読者も対象としている[2]。
背景
[編集]フッドは本書の執筆以前、英国人のJAL123便事故被害者キンブル・マシューズ(Kimble Mathews)の父親であるピーター・マシューズ(Peter Mathews)を招いて[4]、学生を対象に講演させたことがあった。フッドの言によると、マシューズの証言に感情的な反応を覚えたため、この事故を研究すると決心したのだという[1]。ピーター・マシューズは1985年に撮影された写真や日記をフッドに提供した[4]。この事故に関する情報は日本語のものがほとんどだったが、日本国外からもこの事故に多くの関心が寄せられていたため、フッドはこの本を執筆した[1]。
内容
[編集]本書は5部構成で、9つの章がある[2]。
フッドは「御巣鷹巡礼」の写真を約100枚撮影した。いくつかの写真は2010年に撮影されたものと表示され、1枚が2009年の写真と表示されている。他の写真には日付の記載がない[4]。
この本には、犠牲者のリストが日本語と英語で掲載されている[4]。各ページの下部余白に故人の名前が数名ずつあるので、そのリストは本をまたがるように広がっている[3]。大阪大学の大谷順子は、その名前の並びは「人命が失われたことを思い出させるために」使われたもので、「これは非常に効果的な情報の見せ方で、人命損失の重みと、本書が暗に語ろうとしている人間悲劇がうまく表現されている」と述べている[4]。
評判
[編集]テンプル大学ジャパンアジア研究学科ディレクターのジェフ・キングストンは、ジャパンタイムズへの寄稿で『Dealing with Disaster in Japan』が「長く記憶に残るサガ(長編の叙事伝)」を「鮮やか」に記述した「素晴らしい本」だと書いた[3]。
大谷は「本書が、日本の災害研究はもちろん、日本史や、社会的・集団的記憶の問題に関連するほかの研究分野においても、古典の一つになると私は確信している」と結論付けた[5]。
参考文献
[編集]- 大谷順子(大阪大学). "Dealing with Disaster in Japan: Responses to the Flight JL123 Crash" (book review). Social Science Japan Journal (2013) 16 (1): 185-188. doi: 10.1093/ssjj/jys042. - Available at EBSCOHost Accession #85099168.
出典
[編集]- ^ a b c Hollingworth, William (Kyodo News), "British academic to write account of 1985 JAL crash" (). Japan Times, 22 July 2007, p. 17. Retrieved on 25 August 2014.
- ^ a b c Otani, p. 185 (Archive).
- ^ a b c Kingston, Jeff. "Lessons of loss and healing" (Archive). Japan Times. November 6, 2011. Retrieved on August 25, 2014.
- ^ a b c d e Otani, circa p. 186.
- ^ Otani, circa p. 188.
外部リンク
[編集]- Dealing with Disaster in Japan: Responses to the Flight JL123 Crash (Routledge Official Website)
- "Christopher Hood's Research about JL123." - Hood's website