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東京横浜独逸学園

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Deutsche Schule Tokyoから転送)
東京横浜独逸学園
東京・横浜独逸学園
国公私立の別 私立学校
設置者 公益財団法人東京横浜独逸学園
設立年月日 1904年
共学・別学 男女共学
所在地 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎南2丁目4−1
外部リンク 公式サイト
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東京横浜独逸学園(とうきょうよこはまドイツがくえん、ドイツ語: Deutsche Schule Tokyo Yokohama, 略称:DSTY)は、神奈川県横浜市都筑区にあるドイツ人学校ドイツ連邦共和国から認可を受けている。男女共学で就学前教育初等教育中等教育を行う。ナショナルスクール

沿革

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  • 1904年 - 横浜において、民家を校舎として商人や貿易商によって開設される。当時の生徒は9名であった。
二度の大火、第一次世界大戦関東大震災第二次世界大戦などによって、幾度も移転・新築を余儀なくされる。(以下、分かっているものを明記する)
  • 1923年 - 関東大震災に見舞われる。
  • 1925年 - 校舎を東京都大田区山王に移し、民家を借りて授業を再開。
  • 1926年 - 借りていた民家が焼失。
  • 1927年 - 焼失した民家の近くに校舎を設立。
  • 1933年 - 現ジャーマン通りの近くに校舎を設立。
  • 1936年 - ナチス党配下に入る[1]
  • 1944年 - 第二次世界大戦激化で河口湖軽井沢などに疎開。
  • 1953年 - 学校法人東京横浜独逸学園として再建。17名の生徒と共に授業を再開。
  • 1966年 - 新校舎設立のため、校舎の取り壊しが行われる。
  • 1966年 - 新校舎が完成。
1970年以降、西ドイツと日本の経済関係が強まるにつれ、生徒数が急激に増加する。
  • 1991年 - 生徒数増加のため、山王から現在地に移転。

特色

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  • 授業はすべてドイツ語で行われるが、在籍生徒の国籍に制限はない。ただし、ドイツ語の理解度が低いと退学が勧告される。
  • 中等科以降は、基幹学校・実科学校・ギムナジウムのいずれの進路にも対応している。ドイツの大学入学資格アビトゥーアも取得できる。
  • 第6学年からは第二外国語として日本語またはフランス語が履修できる。
  • 第9学年からは第三外国語としてラテン語もとれる。
  • 日本人向けのドイツ語講座もある。
  • 学校にはスイス人オーストリア人も多数在籍している。そのためスイス人向けのスイスドイツ語講座(スイスドイツ語やスイスの文化を学ぶ)もある。

出身者

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その他

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脚注

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  1. ^ Die Deutsche Schule im Nationalsozialismus” (pdf). 2023年10月6日閲覧。

関連項目

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関連文献

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  • (日本語) 井本美穂. "東京横浜独逸学園の幼稚園教育 : 幼小連携を中心に." 音楽文化教育学研究紀要 (25), 215-222, 2013. 広島大学教育学部音楽文化教育学講座. See profile at CiNii.
  • (ドイツ語) Deutscher Schulverein Tokyo-Yokohama (ed.):20. Jahresbericht 1974. September 1973-August 1974.Tokyo, 1974.
  • (ドイツ語) Heinz Riesenhuber, Josef Kreiner (ed.):Japan ist offen. Chancen für deutsche Unternehmen.Heidelberg,1998.
  • (ドイツ語) Stiftung Deutsche Schule Tokyo Yokohama (ed.):Festschrift Deutsche Schule Tokyo Yokohama.[1904-2005].Tokyo,2005.

外部リンク

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