FM西東京 (海賊放送)
FM西東京(エフエムにしとうきょう)は、1978年から1979年にかけて日本の東京都八王子市から送信されていた、主にポピュラー音楽を流す超短波(VHF)帯・周波数変調(FM)方式の海賊ラジオ放送(違法放送)である。無免許で高出力送信していたため、電波法違反の不法無線局として当局に摘発され閉鎖した。
事件概要
[編集]開設経緯
[編集]この「放送」は八王子市在住の大学生、KとFの2人が1978年(昭和53年)9月頃より、2人が住んでいた八王子市市中野上町のアパート(鉄骨3階建ての賃貸アパート)で出力1W程度の無線機で開始したものであった。KとFは1977年(昭和52年)に都内の大学に通いはじめた学生で、部屋が隣同士でともに音楽が趣味であったことから親しくなり、レコードを貸し借りするようになった。
レコードの持ち運びが手間となり、大学の先輩が卒論で製作した無線機をKが持ち込み、2人の部屋の間で「放送」を行うようになった。この「放送」は同じアパートに住む30人の学生や近隣の住人にも聴かれ、リクエストはがきが届くなど思わぬ反響を生んだ[1]。
高出力化と反響の広がり
[編集]熱が入った2人は1978年(昭和53年)11月中旬に東京・秋葉原で部品を買い集め[2]、出力20Wの高出力送信機を自作して「FM西東京」「JONT-FM」を自称、週平均3回、午後11時から午前2時までの本格的な定期的「放送」を開始し、KがDJを、Fがレコードやカセットテープなどの音源を再生するミキサーを担当[3]。キャンディーズ、ビートルズ、ABBAなどの曲を流していた[4]。
八王子郵便局に「八王子放送研究会」の名義で私書箱を開設し、リクエストはがきを受け付けていた[1]。
この年の末頃から「放送」の存在は東京多摩地域をはじめ、神奈川県西北部の中学生・高校生の間で話題となり広まっていった。摘発によって活動が終了する1979年(昭和54年)2月までの間に私書箱に届いたはがきは600通ほどで、バレンタインデーにはチョコレートまで送られてきたという。多摩地区はもとより新宿や渋谷、神奈川県相模原市などからも投稿があった[1]。
摘発・閉鎖
[編集]結局この海賊放送局は、関東電波監理局(現:関東総合通信局)や警察の知るところとなり摘発されて終了し、2人は4月10日に書類送検された[3]。書類送検の事実は大きく報道され、その後も日本における海賊放送の代表例としてしばしば言及されている[5]。
類似の事件
[編集]この後もミニFMが不法無線局として摘発された事例がある。なお「局名」はすべて自称。
脚注
[編集]- ^ a b c 「音楽から時事解説まで 海賊放送ひそかな流行 リクエスト六百通 やめられなくなっちゃった」『読売新聞』昭和54年(1979年)4月19日付夕刊2-3面。
- ^ 「ディスクジョッキー気どって 大学生二人が〝海賊放送〟 深夜のいたずら五ヵ月 八王子で送検」『毎日新聞』1979年(昭和54年)4月11日付。
- ^ a b 「こちらFM西東京???? 海賊放送、ヤングに大受け 深夜リクエスト殺到 2学生摘発」『朝日新聞』1979年4月11日付、東京朝刊23面。
- ^ 「人気の『FM西東京』閉店です DJ大学生二人ご用」『東京新聞』昭和54年(1979年)4月11日付15面。
- ^ 言及例
- 武井一巳「すでに国家の規制が始まりつつある!?」『Hi!! こちらミニFM局』廣済堂出版、1983年、48頁。
- 粉川哲夫 著「マス・メディアとミニ・メディアのあいだで」、W・デビッド・クビアック 編『日本にデモクラシーを ― 市民運動のための処方箋』京都国際市民アクセスセンター(KOSAC)、1993年、127-128頁。ISBN 4-87699-096-4。
- ^ 参議院会議録情報(第103回国会逓信委員会第1号 昭和60年12月3日)
- ^ 1980年代半ば~1990年代半ばにかけて受信したミニFM局の記憶 4.JOUT-FMの日々
- ^ 不法無線局(FM放送)の開設者を摘発 警視庁日野警察署が東京地方検察庁に身柄送致 関東総合通信局報道資料 平成23年7月19日 プレスリリース
- ^ 「DJすーさん」実は… 無許可FM局開設で逮捕 スポーツニッポン 2011年7月19日(archive.is、2012年9月13日時点のアーカイブ)