ffss
表示
ffss(エフエフエスエス、Full Frequency Stereophonic Sound; 全周波数立体音響)は、英デッカ=ロンドン・レコードのステレオ録音レコードのネーミングおよび登録商標。
概略
[編集]英デッカは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPを、1949年には高音質LPを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英デッカはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトを1952年頃から立ち上げ、1953年にはディスクカッターを使った同社初のステレオ実験録音を、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてこのffssが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
歴史
[編集]- 1952年頃 英デッカのエンジニア、アーサー・ハディーが、同社内に一本溝によるステレオレコード制作のプロジェクトを立ち上げる。
- 1953年
- 1954年
- 4月 ウォーレスが6チャンネル入力、2チャンネルステレオ出力によるステレオ・ミキサー、ST2を完成させる。
- 4月 米アンペックス社製のプロ用ステレオ・テープ・レコーダー「350 Model 1」を導入。[1]
- 5月12日 スイスのジュネーブにあるビクトリア・ホールにて、米アンペックス社のステレオ・テープ・レコーダー(350 Model 1)を使い、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、翌日の実用化試験録音の開始が決定する。[2]
- 5月13日 同上の録音場所、録音設備、演奏者、曲目により、ステレオの実用化試験録音が開始される。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。[3]
- 7月~8月 イタリアのローマにあるサンタ・チェチーリア国立アカデミアにおいて、歌劇のステレオ録音を開始する。[4]
- 9月 フランスのパリにあるMaison de la Mutualiteにて、パリ音楽院管弦楽団とのステレオ録音を行う。[5]
- 1955年
- 1月(?) ステレオ録音の増加に伴い、2代目のステレオミキサー(ST2型)を完成させる。
- 2月 ベオグラードで歌劇のステレオ録音を行う。[6]
- 5月16日 オーストリアのウィーンのRedoutensaalにて、同社と専属契約をしているウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのステレオ録音を開始(カール・ベーム指揮によるモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」)。この時、それまでウォーレスの助手をしていたジェームス・ブラウンが、正式にステレオ録音エンジニアとしてデビューする。
- 7月 当時の西ドイツのバイロイト祝祭劇場でのバイロイト音楽祭にて、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音する(ヨーゼフ・カイルベルト指揮によるが、独唱者の当時のレコード会社の契約関係の問題により発売は見送られ、2006年にようやくテスタメント社から発売される)。
- 11月頃 ウィーンでの自社の新たな録音スタジオを、ステレオ録音に適したソフィエンザールに移行することを正式決定する(以来1986年6月まで、「ニューイヤーコンサート」のライブ録音を除き、そこは同社のウィーンでの録音スタジオとなった)。
- 12月 英国のキングスウェイ・ホールにて、英国内での正式のステレオ録音が開始される。[7]
- 1956年
- 1957年
- 2月 同社のエンジニアであるケネス・ウィルキンソンが、ロンドンを拠点としたステレオ録音チームに移動。これが後に、同社のffssレコード制作において大きな影響を与えることとなる。
- 秋頃 米のステレオ・レコードの標準規格を決めるプレゼンテーション・デモにて、自社のV-L方式によるステレオ・レコード・システムの試作品を初めて公開する。
- 1958年
- 1月頃 ヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、自社と西独テルデック社で共同開発したV/L方式を断念し、45/45方式の採用を決定。西独テルデック社に45/45方式のステレオ・カッターを注文する。
- 春頃 西独テルデック社から、注文した45/45方式のステレオ・カッターが納入される。
- 7月 ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式によるステレオ・レコードの発売を英米にて開始[9]。ffssをキャッチ・フレーズとして、自社のステレオ録音の優秀性をアピールする。また、ステレオ・レコードのカッティングに於いては、世界初のハーフ・スピード・カッティングを行った(1968年のノイマン社のSX-68の導入以前まで続けられた)。
- 9月24日 ウィーンのソフィエンザールにて、ゲオルク・ショルティ指揮、ウィーン・フィル他によるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」全4部作のスタジオ録音を開始する。最初の録音は「ラインの黄金」。1965年に「ワルキューレ」を最後に全曲録音を完了する。
- 1959年
脚注
[編集]- ^ この録音機は、現在では当たり前である、左右各チャンネルの録音ヘッドの位置が同じで、1トラックのモノラル録音テープとの互換性があり、手切り編集可能のスタック(インライン)型ヘッド仕様である。当時はこの仕様は余りにも高価だったため、プロのレコード制作、映画制作関係を除く一般のステレオ録音は、左右各チャンネルのヘッドの位置が違うスタガー型のステレオ・テープ・レコーダーで録音するのが多かった。
- ^ 翌日から行われたこの曲の録音を入れたCD(CD番号:UCCD-6035、日本のユニバーサルミュージックから2002年4月24日発売)の解説書に記載されている。
- ^ この時のセッション録音からは、前記の交響曲第2番「アンタール」の他に、グラズノフの交響詩「ステンカ・ラージン」、バラキレフの交響詩「タマール」、リャードフの「8つのロシア民謡」と交響詩「ババ・ヤガー」「キキモラ」、ドビュッシーの神秘劇「聖セバスチャンの殉教」が後にステレオLPにて発売された。ただし、これらの録音は詳細な録音日が不明なために、デッカでは以前、これらの録音については全て「1954年6月録音」と表示していたが、2013年に入ると、「1954年5月録音」と表記されるケースが出てきた。
- ^ この時、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団の演奏で、歌劇「オテロ」「椿姫」(以上ヴェルディ)、「マノン・レスコー」(プッチーニ)の3作品がステレオにて収録された。指揮はアルベルト・エレーデ(オテロ)、フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(椿姫、マノン・レスコー)がそれぞれ担当した。
- ^ エルネスト・アンセルメとアルベール・ヴォルフの指揮によるスタジオ・セッション録音で、前者による指揮ではリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」、ラフマニノフの交響詩「死の島」、ラヴェルの「ボレロ」等を、後者ではオベールの歌劇序曲集4曲が録音された。
- ^ チャイコフスキーの「スペードの女王」他を録音。
- ^ クリフォード・カーゾン(ピアノ)、エイドリアン・ボールト指揮のロンドン交響楽団による、フランクの「ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲」が録音されている。
- ^ 初めの録音は、フリッツ・ライナー指揮、ウィーン・フィルによるもので、曲目は、R・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「死と変容」だった。
- ^ ffssレコード第1回発売は、英がチャイコフスキーの管弦楽曲集(「序曲1812年」、「イタリア奇想曲」、「スラヴ行進曲」の3曲、演奏はケネス・オルウィン指揮によるロンドン交響楽団。1958年5月録音。レコード番号:SXL-2001)など。米がロンドン・レーベルでの発売で、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」組曲(ペーター・マーク指揮によるロンドン交響楽団。1957年2月録音。レコード番号:CS-6001)ほか。ちなみに米での英デッカ原盤の音源については、しばらくの間モノラルのffrrレコードも含め、盤の製造まで英デッカの工場にて行っていた。
- ^ 日本でのffss第1回発売は以下の5枚で、いずれも12インチ=30cmLP。クラシックがヴィヴァルディの「四季」(演奏はカール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団。1958年5月録音。レコード番号:SLB-1)とリムスキー=コルサコフ作曲の「シェヘラザード」(演奏は、エルネスト・アンセルメ指揮パリ音楽院管弦楽団。1954年9月22日録音。レコード番号:SLB-2)の2枚(いずれも発売当時の「レコード芸術」誌推薦。ステレオ・レコードでは同誌初の推薦盤となった)。ポピュラーが、エドムンド・ロス楽団による「ブロードウェイのロス」(ブロードウェイのミュージカルの音楽集。レコード番号:SLC-1)、マントヴァーニ楽団による「シュトラウス・ワルツ・アルバム」(ワルツ王ヨハン・シュトラウス一家のワルツのマントヴァーニ独自による編曲版。レコード番号:SLC-2)の2枚。そしてステレオ・デモンストレーション盤として、「ffssステレオの旅 (A Journey Into Stereo Sound)」(音楽と効果音によるオムニバス・アルバム。レコード番号:SZ-0)が発売された。発売当時の価格は、クラシックが1枚2,800円、ポピュラーが1枚2,500円、デモ盤が1枚1,500円だったが、翌年には、クラシックが1枚2,300円に、ポピュラーが1枚2,000円にそれぞれ値下げされた。2000年頃に出た「レコード芸術」誌の「日本レコード史」によると、特に「四季」は、SLB-1の番号だけでもクラシック・レコードに於いて当時としては異例の2万枚も売り上げたと書かれている。
参考文献
[編集]- Full Frequency Stereophonic Sound(Robert Moon、Michael Gray共著)
- The RCA Bible(Jonathan Valin著、The Music Lovers Press刊)
- リムスキー=コルサコフ 交響曲第2番「アンタール」他(エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団)のCD解説書(CD番号:UCCD-6035、日本のユニバーサルミュージックから2002年4月24日発売)
- 「レコード芸術」1959年2月号、3月号など