G・L・ピーリス
G・L・ピーリス ගාමීණි ලක්ෂ්මණ් පීරිස් G. L. Peiris | |
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外務大臣時代のピーリス | |
生年月日 | 1946年8月13日(78歳) |
出生地 | セイロン |
出身校 |
セイロン大学コロンボ校 オックスフォード大学 |
前職 | 法学者 |
所属政党 |
(人民連合→) (統一国民戦線→) スリランカ人民戦線 |
称号 | PhD |
公式サイト | G. L. Peiris |
内閣 | C・クマーラトゥンガ内閣 |
在任期間 | 1994年 - 2001年 |
第22代 スリランカ教育大臣 | |
内閣 | G・ラージャパクサ内閣 |
在任期間 | 2020年8月12日 - 2021年8月16日 |
内閣 | M・ラージャパクサ内閣 |
在任期間 | 2010年4月23日 - 2015年1月12日 |
在任期間 | 2021年8月16日 - 2022年7月22日 |
ガミニ・ラクシュマン・ピーリス(シンハラ語: ගාමීණි ලක්ෂ්මණ් පීරිස්, 英語: Gamini Lakshman Peiris, 1946年8月13日 - )は、スリランカの法学者、政治家。同国外相を2度務めた(2010年-2015年、2021年-2022年)ほか、教育相の経験もある。スリランカ人民戦線所属。
生い立ち・学歴
[編集]父親のグランヴィル・ピーリスは外交官で、セイロン大使として西ドイツやミャンマーへ赴任した[1]。叔父のバーナード・ピーリスも政治家であった。ガミニ自身はセイロン大学コロンボ校法学部へ進学し、卒業後はローズ奨学制度を利用してオックスフォード大学ニュー・カレッジの博士課程へと進学した。同カレッジでPhDを取得したのち、1974年にはコロンボ大学大学院から2つ目のPhDを取得している[2]。
学者として
[編集]セイロン大学の教員となったピーリスはその後法学部教授となり、学部長も務めた。さらに、コロンボ大学の第2代副学長に就任した。1988年から94年まで副学長を務めたあと、政治家に転身した。
政治家として
[編集]1994年、ピーリスは人民連合(PA)の全国比例区選出として国会議員になった。当時の首相のチャンドリカ・クマーラトゥンガは、親しかったピーリスを法務・憲法問題大臣兼財務副大臣に指名した。大臣就任直後に担当していた政策は貿易分野であったが、内閣改造後は民族問題・国民統合も加えて担当することになった。法務大臣としても30以上の法案を提出し、時代に即した革新的な法律を制定した[2]。
2001年、クマーラトゥンガ率いる人民連合が敗れたことに伴ってピーリスも下野した。
人民連合を脱退したピーリスは、対抗政党の統一国民党(UNP)が率いる与党統一国民戦線(UNF)に入った[3]。
UNP総裁で当時首相を務めていたラニル・ウィクラマシンハは当時内戦状態にあった反政府組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との和平交渉をピーリスに委ねた[4]。
2021年8月16日の内閣改造で外務大臣のディネーシュ・グナワルダナと役職を交換し、ピーリスが再び外務大臣に就任した[5]。2022年7月22日に退任。
脚注
[編集]- ^ “Gentleman politician”. 17 January 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。10 January 2011閲覧。
- ^ a b “G.L. Peiris CV”. Asian-affairs.com. 14 November 2019閲覧。
- ^ “Archived copy”. 27 March 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。23 April 2010閲覧。
- ^ “Sri Lanka talks snag 'resolved'”. BBC News. (7 January 2003) 3 February 2019閲覧。
- ^ “Sri Lanka axes health minister over Covid misinformation as outbreak grows”. France 24. (2021年8月16日) 2021年8月16日閲覧。
外部リンク
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公職 | ||
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先代 ロヒータ・ボゴラガマ ディネーシュ・グナワルダナ |
スリランカ外相 2010年 - 2015年 2021年 - 2022年 |
次代 マンガラ・サマラウィーラ アリ・サブリー |
先代 ダラス・アラハペルマ |
スリランカ教育相 第22代:2020年 - 2021年 |
次代 ディネーシュ・グナワルダナ |
先代 ハロルド・ヘラス |
スリランカ法相 1994年 - 2001年 |
次代 W・J・M・ロクバンダラ |