ヘンリー・フィールディング
ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding, 1707年4月22日 - 1754年10月8日)は、18世紀イギリスの劇作家、小説家、治安判事である。小説『トム・ジョウンズ』が代表作で、「イギリス小説の父」と呼ばれる。
生涯
[編集]サマセット州シャーパム生まれ。伯爵家の末裔で、父は軍人であった。イートン校で学んだ後、ロンドンに出て劇作家になり、風刺の効いた芝居を書いて人気を博した。フィールディングの政治批判によって演劇取締りが厳しくなったため、弁護士に転身し、その傍ら、小説を書き始めた。また、新聞の編集長になり、当時のウォルポール内閣を批判した。フィールディングらの度重なる政権批判の風刺劇を取り締まるために1737年には、上演を制限する演劇検閲法(Licensing Act)が発布され、この影響で演劇の文学的重要性が弱まり、代わりに小説がより注目されるようになった[1]。[注釈 1]
1747年にボウ・ストリート治安判事裁判所(英語: Bow Street Magistrates' Court)の判事に就任し、翌年ウェストミンスターの治安判事に任命された。もともと無給だったコンスタブル(Constable)に定期的な給料を与えて組織化したボウ・ストリート巡察隊(英語: Bow Street Runners)を結成し、犯罪を減少させた。同隊はイギリス近代警察への第一歩とされている。1749年に代表作『トム・ジョウンズ』を発表した。その後、病気が悪化したため、リスボンに転地療養に出かけ、そこで没した。
妹サラ・フィールディング (Sarah Fielding) 、従姉妹のメアリー・モンタギュー (Lady Mary Montagu) も小説を残している。
主な作品
[編集]小説
[編集]- シャミラ(ShamellaもしくはAn Apology for the Life of Mrs Shamela Andrews)1741年 能口盾彦訳、朝日出版社(1985年)
- ジョウゼフ・アンドルーズ(The History of the Adventures of Joseph Andrews)1742年 朱牟田夏雄訳、岩波文庫(全2巻)
- ジョナサン・ワイルド(The Life and Death of Jonathan Wild, the Great)1743年
- 『快盗一代記 ジョナサン・ワイルド』村上至孝訳、世界文学社〈世界文学叢書53〉(1949年)
- 『大盗ジョナサン・ワイルド伝』袖山栄真訳、集英社〈世界文学全集6 悪漢小説集〉(1979年)
- トム・ジョウンズ(捨て子トム・ジョウンズの物語、The History of Tom Jones, a Foundling) 1749年 朱牟田夏雄訳、岩波文庫(全4巻)
- この世より来世への旅(A Journey from This World to the Next)1749年
- 『この世からあの世への旅』三谷法雄訳、近代文藝社(2010年)[3]
- アミーリア(Amelia) 1751年 三谷法雄訳、近代文藝社(2016年)
- リスボン航海記(Journal of a Voyage to Lisbon、Travel Narrative) 1755年
- 『リスボン渡航記』鳥居塚正訳、ニューカレントインターナショナル(1990年)
戯曲
[編集]- 恋の種々相 (Love in Several Masques) 1728年
- 強姦騒ぎの顛末 (Rape upon Rape) 1730年 のちに『コーヒー店の政治家』(The Coffee-House Politician)に改題
- 法学院の伊達男 (The Temple Beau) 1730年
- 作家の笑劇 (The Author's Farce) 1730年
- 悲劇中の悲劇、親指トム一代記 (The Tragedy of Tragedies; or, The Life and Death of Tom Thumb) 1731年
- グラブ街オペラ (Grub-Street Opera) 1731年
- 今風亭主 (The Modern Husband) 1731年
- コヴェント・ガーデンの悲劇 (The Covent Garden Tragedy) 1732年
- イングランドに現れたドン・キホーテ (Don Quixote in England: A Comedy) 1734年
- 落首 (Pasquin) 1736年
- 1736年の歴史的記憶 (The Historical Register for the Year 1736) 1737年
その他
[編集]- 女の扮する夫の話(The Female Husband)三谷法雄訳『愛知文教大学比較文化研究』1(1999年)[4]
主な日本語文献
[編集]- 一ノ谷清美『ヘンリー・フィールディング ミセラニーズ 詩とエッセイ』英宝社、2017年
- 齊藤重信 『物語が語る語り手 フィールディング文学の味を読む』近代文藝社、1998年
- 澤田孝史 『ヘンリー・フィールディング伝』春風社、2010年
- 朱牟田夏雄 『フィールディング』〈新英米文学評伝叢書〉研究社、新版1967年
- 三谷法雄 『ヘンリ・フィールディングの小説』松柏社、1980年
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ 英文学史資料5 2012年11月7日
- ^ L・スティーヴン『十八世紀に於ける英文学と社会』研究社、1936年、217頁頁。
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1520290885024601472
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1520290885435657088
関連項目
[編集]- ピカレスク小説
- ロバート・ウォルポール - 彼の内閣を風刺する演劇を製作し続けたため、「劇場封鎖令」によりフィールディングは劇作家としての筆を折られた。
外部リンク
[編集]- Henry Fieldingの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- フィールディングの著作一覧(Britain Unlimited)