HX84船団
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HX84船団 | |||||||
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第二次世界大戦中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ナチス・ドイツ | イギリス | ||||||
指揮官 | |||||||
Theodor Krancke | E.S.F. Fegen | ||||||
戦力 | |||||||
重巡洋艦1隻 |
仮装巡洋艦1隻 商船38隻 | ||||||
被害者数 | |||||||
無し |
仮装巡洋艦1隻沈没 商船5隻沈没 商船1隻損傷 |
HX-84船団(Convoy HX-84, ハリファックス第84船団)は第二次世界大戦中の1940年10月28日にカナダのハリファックスを出港してイギリスのリヴァプールへ向かった38隻の船からなる護送船団である。仮装巡洋艦「ジャーヴィス・ベイ (HMS Jervis Bay)」が船団を護衛した。
11月5日17時ごろ、船団はドイツ装甲艦「アドミラル・シェーア」に発見され攻撃を受けた。「ジャーヴィス・ベイ」は船団を逃がすために「アドミラル・シェーア」迎撃に向かった。交戦後、「ジャーヴィス・ベイ」は撃沈され、艦長のフェーゲン大佐を含め約200名が戦死した。しかし、「ジャーヴィス・ベイ」の犠牲によって多くの船が逃げ切ることが出来た。
沈められたのは「Maiden」、「Trewellard」、「Kenbame Head」、「Beaverford」、「Fresno」の5隻である。また、タンカー「サン・デメトリオ」(San Demetrio)は損傷し一度は放棄されたが、その後一部の乗員によって復旧されイギリスにたどり着いた[1]。
脚注
[編集]- ^ Richard Armstrong著/神宮 輝夫訳 『燃えるタンカー』 偕成社 ISBN 9784036507207