日本卓球協会
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(JTTAから転送)
同協会の本部が所在するJAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE | |
団体種類 | 公益財団法人 |
---|---|
設立 | 1931年7月12日 |
所在地 |
東京都新宿区霞ヶ丘町4-2 JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE |
法人番号 | 8011005003756 |
起源 | 日本卓球会 |
主要人物 |
荻村伊智朗 元副会長 , ITTF 会長 会長 藤重貞慶 (ライオン相談役) 副会長 前原正浩 (ITTF 副会長) 副会長 八尾正博 (福井県卓球協会会長) 副会長 野崎保夫 (香川県卓球協会会長) |
活動地域 | 日本 |
活動内容 | 卓球競技の統括 |
収入 | 1,206,548,680(平成28年度)[1] |
支出 | 1,206,113,598(平成28年度)[1] |
会員数 | 333,567(平成28年度)[2] |
親団体 | ITTF,ATTU,JOC,JASA |
子団体 | 日本学生卓球連盟 |
ウェブサイト |
jtta |
公益財団法人日本卓球協会(にほんたっきゅうきょうかい、英: Japan Table Tennis Association、略称JTTA)は、日本の卓球全体を統括する国内競技連盟。
歴史
[編集]- 1902年 ヨーロッパの体育視察から帰国した東京高等師範学校教授の坪井玄道が、イギリスで入手したネット、ラケット、ボール、ルールブックを持ち帰り日本に卓球が伝わってきたとされる[3][4]。
- 1931年 前身である日本卓球会が設立される。
- 1935年 全日本卓球選手権大会をオープン開催。翌1936年、正式に初開催。
- 1937年 日本卓球協会と改称。
- 1939年 大日本体育協会に加盟を承認された
- 1946年 第1回国民体育大会にて戦後初の全日本選手権大会を兼ねて行われた。
- 1949年 国際卓球連盟に再加盟。
- 1951年 全日本実業団卓球選手権大会を初開催。
- 1952年 ボンベイで行われた世界選手権で、日本選手が4種目でいきなり世界の頂点に立った。
- 1956年 第23回世界卓球選手権を開催する。会場は東京体育館。
- 1971年 第31回世界卓球選手権を名古屋で開催し、会長後藤鉀二によるピンポン外交が行われた。
- 1972年 中国参加を要請するために、日本はアジア卓球連盟を脱退し、新たに中国を加えたアジア卓球連合を創設し会長国となった。
- 1976年 財団法人化
- 1977年 段級位の制度を導入。日本卓球リーグを発足。
- 1978年 全国レディース卓球大会を初開催。
- 1980年 カデット(14歳以下)大会を初開催。
- 1981年 ホープスホープス(12歳以下)大会を初開催。
- 1983年 第37回世界卓球選手権を東京で開催する。
- 1984年 カブ(10歳以下)大会を初開催。
- 1986年 バンビ(8歳以下)大会を初開催。
- 1987年 荻村伊智朗副会長が国際卓球連盟会長になる。
- 1988年 全国ラージボール卓球大会を初開催。ソウルオリンピックで卓球が正式競技となる。
- 1991年 第41回世界卓球選手権を千葉幕張メッセで開催する。
- 1995年 石川六郎が会長に就任。
- 1998年 飯田亮セコム最高顧問が会長に就任[5]。
- 2001年 第46回世界卓球選手権を大阪市中央体育館で開催する。
- 2004年 大林剛郎大林組会長が会長に就任[6]。
- 2005年 木村興治専務理事が国際卓球連盟副会長になる[7]。
- 2009年 第50回世界卓球選手権個人戦を横浜アリーナで開催する。
- 2012年 4月公益財団法人化、8月ロンドンオリンピックで女子団体(石川佳純,福原愛,平野早矢香)がオリンピックでの初のメダル獲得。
- 2013年 前原正浩専務理事が国際卓球連盟副会長になる[8]。
- 2014年 第52回世界卓球選手権団体戦を国立代々木競技場で開催する。
- 2017年 デュッセルドルフで行われた第54回世界卓球選手権個人戦で吉村真晴/石川佳純組が世界選手権48年ぶりの金メダル獲得。
- 2018年 全日本ラージボール卓球選手権大会を初開催。
主な主催大会
[編集]協会主催およびその傘下団体の大会では一般観覧者による撮影は禁止。
加盟団体
[編集]外部団体
[編集]- 国際卓球連盟
- アジア卓球連合
- 日本オリンピック委員会(JOC)
- JOCエリートアカデミー
- 日本卓球リーグ
- Tリーグ
- 関東学生卓球連盟
- 全国専門学校卓球連盟
- 日本スポーツ協会
- 日本のスポーツ関連団体一覧
脚注
[編集]- ^ a b 財務諸表日本卓球協会
- ^ 加盟団体登録人数日本卓球協会
- ^ 沿革日本卓球協会
- ^ “121年前、日本にサッカーを初めて紹介し東京高師-筑波大に根付かせた大功労者 坪井玄道”. 賀川サッカーライブラリー. 2014年9月23日閲覧。
- ^ 飯田亮プロフィール
- ^ 大林組ニュースリリース2004年3月23日:日本卓球協会の会長に大林組取締役会長の大林剛郎が選任されました
- ^ 木村興治氏、国際卓球連盟の副会長に決定卓球王国
- ^ 前原正浩氏、副会長に選出。「青天の霹靂(へきれき)だが、これも天命」卓球王国
関連項目
[編集]- 卓球日本代表
- 卓球ジュニア日本代表
- 全日本卓球選手権大会
- カデットの部
- 全日本卓球選手権大会ホープス・カブ・バンビの部
- ジャパントップ12卓球大会
- 荻村杯国際卓球選手権大会
- 段級位制 (卓球)
- ピンポン外交 - 1971年、愛知工業大学学長後藤鉀二が極秘に訪中、中国選手団の来日を実現した。その後1991年に行われた世界卓球選手権千葉大会では統一コリアチームが団体戦に出場した。
- タモリ - 1980年代後半頃『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」で、「卓球は根暗」と発言。当時、卓球人口が減っている時期でもあったが、タモリの発言の影響は少なくなく、翌年の中学高校の卓球部員が激減するなど、卓球人口減少に拍車をかけた[1]。そこで、日本卓球協会も、根暗と言われないように、イメージアップに取り組み、2016年放送の『林先生が驚く初耳学!』内でも水谷隼は、この一連の流れから「卓球台の色が濃い緑から青に変わったのはタモリの影響」と述べ、後に、タモリも非を認め、日本卓球協会に対して1000万円の寄付をしていたことを明かした[2]。
外部リンク
[編集]- 公益財団法人日本卓球協会
- 日本卓球協会 (jttainfo) - Facebook
- ^ 「タモリ一言で世界の卓球台変化、暗い緑色から青色へ変更のきっかけに。 - エキサイトニュース」『』。2018年10月23日閲覧。
- ^ “タモリ「卓球は根暗」発言を反省、日本卓球協会に1000万円寄付していた” (日本語). HuffPost Japan. (2016年9月26日) 2018年10月23日閲覧。