M21 (モニター)
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M21 | |
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基本情報 | |
建造所 | レイルトン・ディクソン |
運用者 | イギリス海軍 |
艦種 | モニター艦 |
艦歴 | |
起工 | 1915年3月1日 |
進水 | 1915年5月27日 |
竣工 | 1915年7月 |
最期 | 1918年10月20日、触雷し沈没 |
要目 | |
排水量 | 540トン |
長さ | 177 ft 3 in (54.03 m) |
幅 | 31 ft (9.4 m) |
吃水 | 6 ft 9 in (2.06 m) |
主機 | 三段膨張式蒸気機関 |
出力 | 600 hp |
推進器 | スクリュープロペラ×2 |
速力 | 11ノット |
乗員 | 69名 |
兵装 |
竣工時
1918年
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M21(英語: HMS M21)はイギリス海軍のモニター。M15級。
設計
[編集]沿岸砲撃用に作られた艦であり、主兵装は単装のBL 9.2インチMk VI砲で、これはエドガー級防護巡洋艦のテセウス (防護巡洋艦)から移設されたものである[1]。また、9.2インチ砲に加えて12ポンド砲および6ポンド対空砲を装備した。ボリンダー社製の焼玉エンジンが不足したため、他の同型艦と違い、2軸の三段膨張式蒸気機関を使用し、最高速度は11ノットに達した。モニターの乗組員は69名の士官及び兵卒からなっていた。
建造
[編集]M21は1915年3月に発注されたが、これは戦時緊急造船計画の一部としてだった。レイルトン・ディクソン社の造船所で1915年3月に起工、1915年5月27日進水。1915年7月20日に竣工した。
第一次世界大戦
[編集]M21は1915年9月から地中海戦線に送られ、エーゲ海のムドロス港へ移動。11月にはポートサイドへ移り、スエズ運河の防衛にあたる。また、シナイ半島北部での戦闘の支援もおこなった。1917年7月、M21は地中海を離れドーバー海峡へ移動。9月には、西部戦線の砲兵部隊への転用を目的として主砲である9.2インチ砲が撤去され、代わりにBL 7.5インチMk III 50口径砲が装備された。10月にはドーバー哨戒に戻り、1918年4月、第1次オーステンデ襲撃に参加した。
最後
[編集]10月20日、オーステンデからの出港時に触雷。2度爆発があり浸水。沈没を避けるため座礁させられ、乗員の脱出後横転。死者5名。
脚注
[編集]- ^ Randal Gray (ed). Conway's All The Worlds Fighting Ships, 1906-1921. Conway Maritime Press. p. 48. ISBN 0-85177-245-5
参考文献
[編集]- Colledge, J. J.; Warlow, Ben (2006) [1969]. Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy (Rev. ed.). London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-281-8. OCLC 67375475。
- Dittmar, F. J. & Colledge, J. J., "British Warships 1914-1919", (Ian Allan, London, 1972), ISBN 0-7110-0380-7
- Ian Buxton, Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1914-1945, Seaforth Publishing, 2008, ISBN 978-1-84415-719-8
- David Hepper, British Warship Losses in the Ironclad Era, 1860-1919, Chatham Publishing, 2006, ISBN 1-86176-273-9