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NOLR-1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「おおい」「とかち」。いずれも後部マスト上にNOLR-1(2つのドーム)を搭載しているが、「とかち」では改良型のNOLR-1Bとなっている

NOLR-1は、海上自衛隊電波探知装置(ESM)[1]。メーカーは日本電気[2]

概要

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海上自衛隊の黎明期には電子戦への関心は薄く[3]、また連合国軍占領下の日本ではマイクロ波レーダーの研究開発を禁止されていたこともあって、電子戦装置の開発は試行錯誤となった。初の護衛艦であるはるかぜ型(28DD)および駆潜艇であるかり型(29PC)では、OLR-3(A)が開発されて搭載されたが[1]、資料・技術ともに乏しかったことから、性能的には非常に限定的なものであった[4]。また続くうみたか型(32PC)ではOLR-4、みずとり型(33PC)ではOLR-4Bが搭載された[1]

その後、第1次防衛力整備計画の2年目にあたる昭和34年度で、MSA協定に基づく軍事援助計画(MAP)によってAN/BLR-1を入手した[1]。BLRのいち文字目の「B」は潜水艦用を意味し、受信周波数帯域はVHFからXバンドまでのフルバンドであった[2]。この装置の取り扱いのため、電子整備幹部や上級海曹は、サンフランシスコ湾トレジャーアイランド海軍基地英語版に設置されていたET(電子整備員)スクールに派遣されて、海自の専修科課程相当の教育を受けていた。これらの留学生が持ち帰った資料は、第1術科学校などにおいて、海上自衛隊全体の電子戦の術科能力を向上させていった[3]

そしてAN/BLR-1に相当する国産機として開発されたのがNOLR-1であり、いすず型(34DE)より装備化された[注 1]。探知・受信方式はAN/BLR-1とほぼ同様であったが、オペレータサイドからの評価としてはAN/BLR-1のほうが良好だった。またNOLR-1を元に、機能を一部削除して小型化を図ったNOLR-2も開発され、うみたか型3番艇として昭和36年度計画で建造された「わかたか」で装備化された[1]

その後、昭和39年度からは、改良型のNOLR-1Bが装備化された[1]。この回路構成および仕様等はBLR-1とおおむね同様で[2]、同調方式は機械式の共振空洞(Tuned Cavity)方式、フロントエンドはクリスタル直接検波方式であった[1]。電子管や主要回路なども安定し、部隊使用に耐える信頼性を実現して、第3次防衛力整備計画末にあたる昭和45年度計画艦まで搭載された[1]

搭載艦

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脚注

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注釈

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  1. ^ 香田洋二(元自衛艦隊司令官)は、同型より1年早く竣工した初代あきづき型(OSP建造艦)で既にNOLR-1を搭載していたとしているが[5]、小滝國雄(元海上幕僚監部武器1課電波1班)は、同型ではAN/BLR-1が搭載されていたとしている[1]
  2. ^ 38DDK「まきぐも」以降の搭載とする資料もある[1]
  3. ^ NOLR-5を搭載したとする資料もある[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 小滝 2014.
  2. ^ a b c 鈴木 2014.
  3. ^ a b 吉田 2014.
  4. ^ 香田 2015, pp. 24–35.
  5. ^ 香田 2015, p. 43.
  6. ^ a b 香田 2015, pp. 36–44.
  7. ^ 香田 2015, p. 51.
  8. ^ 香田 2015, p. 93.
  9. ^ 香田 2015, p. 89.
  10. ^ 香田 2015, p. 95.
  11. ^ 香田 2015, p. 109.

参考文献

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  • 香田, 洋二「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月、NAID 40020655404 
  • 小滝, 國雄「艦艇用電子戦装置開発・導入の軌跡」『第5巻 船務・航海』 第2分冊、水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2014年、93-97頁。 
  • 鈴木, 修身「艦艇部隊でのEW訓練の回想」『第5巻 船務・航海』 第2分冊、水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2014年、62-65頁。 
  • 吉田, 昭彦「初期の電子戦教育、研究」『第5巻 船務・航海』 第2分冊、水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2014年、53-57頁。