P. D. Q. バッハ
P. D. Q. バッハ P. D. Q. Bach | |
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出生名 | P. D. Q. バッハ |
生誕 |
1742年4月1日[1] ドイツ国民の神聖ローマ帝国、ライプツィヒ |
死没 |
1807年5月5日[2](65歳) バーデン大公国、バーデン・バーデン・バーデン[注釈 1] |
ジャンル |
バロック ロマン派 20世紀クラシック |
職業 |
作曲家 剽窃者 |
レーベル |
ヴァンガード・レコード テラーク・レコード |
共同作業者 | ピーター・シックリー「教授」 |
公式サイト | https://www.schickele.com/ |
著名使用楽器 | |
トロンブーン スライドホイッスル ハードアート lasso d'amore カズー 風船 自転車 ダブルリード |
メディア外部リンク | |
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P.D.Q.バッハ(ピーター・シックリー)の作品 | |
音楽・音声 | |
1712 Overture, S. 1712(序曲「1712年」) - シックリー指揮Greater Hoople Area Off-Season Philharmonicによる演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック | |
"Unbegun" Symphony(未開始交響曲) - ホルヘ・メスター指揮Royal P. D. Q. Bach Festival Orchestraによる演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック | |
Quodlibet For Small Orchestra(小オーケストラのためのクォドリベット) - ホルヘ・メスター指揮の室内管弦楽団による演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック | |
Last Tango in Bayreuth(ラストタンゴ・イン・バイロイト)(※この曲はP.D.Q.バッハ名義ではなくシックリー名義) - Tennessee Bassoon Quartetによる演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック | |
映像 | |
Sonata "Abassoonata" S. 888(奏鳴曲「アッバスナータ」) - Jeffrey Lyman(ファゴットおよび伴奏ピアノ)による演奏、ミシガン大学音楽学部ファゴット科公式YouTube |
P. D. Q. バッハ(P. D. Q. Bach、1742年4月1日 - 1807年5月5日 後述)は、ピーター・シックリー「教授」(Johann Peter Schickele、「シッケレ」とも表記される)が、自ら作曲した「冗談音楽」を発表する際に用いた偽名(ペンネーム)である[3]。その音楽はJ.S.バッハの作品研究を背景にしており[4]、音楽学、バロック音楽やクラシック音楽、そしてドタバタ喜劇の渾然一体となったものであり、ヴァンガード(Vanguard)やテラーク(Telarc)といったレーベルで20枚ほどのCDをリリースしている。
2007年のアルバム"P. D. Q. Bach and Peter Schickele: The Jekyll and Hyde Tour"では、P.D.Q.バッハと自身の作品を並べて収録しているが、本作がアルバムとしては最終作となり、シックリーは2015年以降活動を縮小、2024年1月16日に88歳で死去した。
生涯
[編集]1976年に出版されたピーター・シックリーの著した伝記によれば、P. D. Q. バッハは以下のような生涯を送ったとされている。
1742年4月1日に、ライプツィヒでヨハン・ゼバスティアン・バッハとアンナ・マグダレナの間に生まれた。J.S.バッハの21番目の息子であった。
両親はこの子に正式な名を付けることをせず、ただP. D. Q. と名付けた。このP. D. Q. とは、英語で"Pretty damn quick"(大至急)を意味する。父親のヨハン・ゼバスティアンは彼に音楽的訓練を施さなかった。父の死後、P. D. Q. バッハに遺された遺品はカズーだけであった。
1755年に、P. D. Q. バッハはミュージックソーの発明者ルートヴィヒ・ツァーンシュトッヒャーに師事した。1756年、レオポルト・モーツァルトに会い、彼の子ヴォルフガング・アマデウスにビリヤードの遊び方を教えるよう助言した。その後、P. D. Q. バッハはサンクトペテルブルクへ行き、遠縁に当たるレオンハルト・ジギスムント・レオンハルト・バッハのもとに身を寄せ、その娘のベティー・スーとの間に子をもうけた。
ついに1770年に楽曲を書くようになるが、それらはほとんど全て、他の作曲家のメロディを盗用したものであった。
1807年5月5日、バーデン・バーデン・バーデンにて死去したが、彼の墓には「1807-1742」と書かれている。生年と没年が本来の表記と逆である。CDのジャケット等の生没年も「P. D. Q. Bach(1807–1742?)」と記述される。
多くのコンサートの前口上(プレトーク)において、ピーター・シックリーは、P. D. Q. バッハの生涯についてその他の情報を示している。それによれば、ベートーヴェンの耳が聴こえなくなった主な原因はP. D. Q. バッハであった。それは、P. D. Q. バッハが来訪すると見るや、ベートーヴェンは耳の中にコーヒーのかすを詰め込む習慣を持っていたからだ、という。
1954年、ピーター・シックリーがバイエルン州の古城で自筆譜を発見し、ここから埋もれていた作曲家P. D. Q. バッハが広められることになった。
音楽作品
[編集]ピーター・シックリー「教授」は、P. D. Q. バッハについて、「ヨハン・クリスティアン・バッハの独自性、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの尊大さ、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの無名さを兼ね備えている」と述べている。そして最も顕著な特徴は「躁病的盗作」であると述べている。これは、P. D. Q. バッハがオリジナルの作品をほとんど作っておらず、他の作曲家の作品を盗用し、主に滑稽な形で編曲していることによる。オーケストラ編成で奏される楽曲においても、通常オーケストラで用いられないトロンブーン(後述)、スライドホイッスル、ハードアート、ラッソ・ダモーレ、カズーといった楽器を用いる傾向があり、さらには風船や自転車といった、楽器ではないようなものまで楽器として扱っている。また、ブルックリンのイフィゲニアにおいて、ホルンを組み立て途中のままの段階で吹奏させるといった、伝統的楽器に対する尋常ではない奏法も要求している。声楽パートに対しても、歌う以外に、咳きこんだり、いびきをかいたり、めそめそしたり、笑ったり、叫んだりすることが求められている。大序曲『1712年』においては、曲の後半(9分30秒付近)で管楽器パートが一斉に「ブレス」(息継ぎを更に声付きで誇張)をする、といった手法まで登場する。
バロックや古典派の音楽に対する揶揄以外にも、P. D. Q. バッハはロマン派や近代の作曲に対しても揶揄しており、時にはカントリー・ミュージック(エディプス・テックス)やラップ(クラシックのラップ)に及ぶこともある。フリッツの上のアインシュタインへの序曲においては、ミニマル音楽の語法で曲が進行する間、1人の男性にいびきをかくように指示している。
ピーター・シックリーは、P. D. Q. バッハの作曲様式を3期に分けて分析している。それぞれ、初期飛び込み期(Initial Plunge)、ずぶ濡れ期(Soused Period)、後悔期(Contrition)である。
初期飛び込み期
[編集]ずぶ濡れ期
[編集]- ホルンとハードアートのための協奏曲
- 協奏交響曲
- 倒錯曲(ペルヴェルティメント)
- セレヌード
- ピアノとオーケストラの対決協奏曲
- エロティカ変奏曲
- 不自然な一幕物オペラ『ヘンゼルとグレーテルとテッドとアリス』
- グラウンド一周の芸術
- バスーンとオーケストラの対決協奏曲
- ぞっとするほどの数の管楽器と打楽器のための大セレナーデ
後悔期
[編集]- カンタータ『ブルックリンのイフィゲニア』
- オラトリオ『味付け(Seasoning)[注釈 3]』
- 考えいろいろエアもいろいろ(Diverse Ayres on Sundrie Notions)
- 最大フーガ
- 単なる風邪のためのファンファーレ
- 犬のようなカンタータ『見張っとけ』
その他
[編集]また、教会からの破門状とともに発見された爆笑ミサ曲(Missa Hilarios, S. N2O)[注釈 4]や、J.S.バッハのお忍び新大陸紀行を題材とした大序曲『1712年』などの作品も発見されている。
これらの作品には、シックリー作品番号S. が付されているが、作曲年代の順番にという訳ではなく、作品に見合った番号を付ける習慣がある、とされる。例を挙げると、『爆笑ミサ曲』の作品番号(S. N2O)は、「笑気ガス」の化学式となっている、といったものである。
使用楽器
[編集]トロンブーン(英語: Tromboon)は、ダブルリードの木管楽器の一種である。木管楽器であるファゴット(バスーン)のリードおよびボーカルを、金管楽器であるトロンボーンに取り付けたものである。名前の由来は、「trombone」(トロンボーン) + 「bassoon」(バスーン)である。コミカルな音がする。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ドイツの実在都市「バーデン=バーデン」のもじり。
- ^ 妻の名を付けた『ベティー・スー・バッハの音楽帳』("NOTEBOOK FOR BETTY-SUE BACH" S.13 going on 14)の一曲。『音楽帳』にはクーラントならぬ「Corrate」などがある
- ^ タイトルはハイドンの『四季』から、音楽はヘンデルのオラトリオのパロディ
- ^ 「バーゲン・カウンターテナー、バッソ・ブロット(酔いどれバス)と合唱と管弦楽のための」と明記されており、アンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカルのパロディーとなっている。ミサ曲の典礼文は申し訳程度で、タイトル通りの滑稽なオリジナルの英語の歌詞と楽器法が特徴。Rice University's Digital Scholarship Archiveで全曲が視聴可能。
出典
[編集]- ^ Schickele, Peter. The Definitive Biography of P.D.Q. Bach, page 3: "the night of the 31st of March, 1742," "giving birth to his twenty-first child," "at one minute after midnight"
- ^ Schickele, Peter. The Definitive Biography of P.D.Q. Bach, page 110
- ^ 岡林典子, ガハプカ奈美 & 山野てるひ 2012, p. 141.
- ^ 岡林典子, ガハプカ奈美 & 山野てるひ 2012, p. 142.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- The Peter Schickele/P. D. Q. Bach website
- Interview with Peter Schickele by Bruce Duffie, February 15, 1988
- P. D. Q. Bach's page at Theodore Presser Company - インターネットアーカイブより
- P.D.Q.バッハについての解説
- 岡林典子、ガハプカ奈美、山野てるひ「感性を育む表現教育のプログラム開発 : 「楽曲を描く」課題を中心に」『京都女子大学発達教育学部紀要』第8号、京都女子大学発達教育学部、2012年、139-148頁、hdl:11173/1863、ISSN 13495992、NAID 120005541638、NCID AA12010266、OCLC 5182086373、国立国会図書館書誌ID:023657208、2023年5月21日閲覧。