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PCCカー (ヴィシナル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PCCカー > PCCカー (ヴィシナル)
PCCカー
(ヴィシナル)
動態保存されている10409(2023年撮影)
基本情報
製造所 セントルイス・カー・カンパニー(試作車)
BND英語版、ACEC(量産車)
製造年 1947年(試作車)
1949年 - 1950年(量産車)
製造数 1両(10419、試作車)
24両(10395 - 10418、量産車)
引退 1960年(ヴィシナル)
1980年代(ベオグラード市電)
投入先 ヴィシナルオランダ語版ベオグラード市電英語版
主要諸元
編成 単車、片運転台
軌間 1,000 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 121人(着席33人)
車両重量 15.2 t
全長 14,157 mm
全幅 2,316 mm
台車 Clark英語版 B-6
車輪径 669 mm
台車中心間距離 6,934 mm
主電動機出力 41 kw(55 HP)
出力 164 kw(220 HP)
制動装置 電気ブレーキディスクブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2]に基づく。
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この項目では、アメリカで開発された路面電車車両であるPCCカーのうち、ベルギーの狭軌鉄道網であったヴィシナルオランダ語版向けにアメリカから輸出された車両およびそれを基にベルギー国内で生産された車両について解説する。これらの車両はベルギーに初めて導入されたPCCカーであった[2][3]

概要

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ヴィシナルフランス語: Société nationale des chemins de fer vicinaux、SNCVオランダ語: Nationale Maatschappij van Buurtspoorwegen、NMVB)は、かつてベルギー国鉄とは別に存在したベルギー国営の公共交通事業者で、最盛期にはベルギー全土に約4,800kmにも及ぶ軌間1,000 mmの鉄道網を有していた[4]。1930年代以降は自動車の発展に伴い赤字路線の廃止が相次いだ一方、第二次世界大戦後からは路線電化などの近代化施策も行われるようになった。その過程で導入されたのが、アメリカで開発された高性能路面電車であるPCCカーである[2][5]

PCCカーは開発を手掛けたTRC社(Transit Research Corporation)が各地の鉄道車両メーカーとライセンス契約を結び、ライセンス料と引き換えにその技術を得るという形で生産が実施されていた。ベルギーでもBND英語版(La Brugeoise et Nivelles et Delcuve)[注釈 1]とACEC(Ateliers de Constructions Electriques de Charleroi[注釈 2]1946年10月にTRC社との間でライセンス契約を結び、翌1947年にはアメリカのセントルイス・カー・カンパニーが最終組み立てまで実施した試作車(10419)が輸入され、ブリュッセルリエージュで試験が実施された。そしてこれを基に、1949年から量産車24両(10395 - 10418)の製造が実施された[6][7][8][2][9]

これらの車両は北アメリカ各地に導入されたPCCカーを基に設計が行われ、車体長も北アメリカ向け車両と同様の全長14 m級であった一方、車幅はヴィシナルの車両限界に合わせて2,316 mmに狭められた。運転台は車体の片側のみに設置され、乗降扉も右側通行に対応し車体右側面のみに設置されていた。台車についてはアメリカクラーク英語版が1,000mm軌間用に開発したB-6形台車を採用した。ドラムブレーキの駆動や扉の開閉、ワイパーの可動は全て電動式であった[2][9]

運用

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試作車は試験走行を終えた後の1948年、量産車は1950年から営業運転を開始した。登場当初の塗装はヴィシナルの標準塗装に合わせ全体がクリーム色であったが、1957年以降はヴィシナルが運営していた路線バスに合わせて車体の下半分が、上半分がクリーム色に変更された[10][11]

試作車は運行開始当初は現在のベルギー沿岸軌道で、1949年以降はルーヴェンで営業運転に用いられたが、その後運行を離脱し1953年に解体された。一方、量産車はブリュッセル近郊の路線で、後年はラ・ルヴィエールシャルルロワを結ぶ系統で使用されたが、他車と仕様が異なっていた事や車内設備が主要系統における都市間輸送に適さなかった事から早期に運用から離脱し、1960年に24両ともユーゴスラビア(現:セルビア)・ベオグラード路面電車英語版へ譲渡され、1980年代まで使用された[12][11][8]

2019年現在、ベルギーに返還された量産車1両(10409)がチュワン英語版にあるヴィシナル保存協会博物館英語版で動態保存されている[8][13][14]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ ヴィシナル向けのPCCカー製造後の1956年に他社との合併に伴いBN(La Brugeoise et Nivelles)へ改名。
  2. ^ PCCカー向けの機器製造を手掛けるウェスチングハウス・エレクトリック(WH)の子会社となっていた。

出典

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  1. ^ C. Risch & F. Lademann 2013, p. 279.
  2. ^ a b c d e f “Les voitures P.C.C. des vicinaux” (フランス語). Nos vicinaux (Société nationale des chemins de fer vicinaux) 25: 12-14. (1950-5). http://www.tassignon.be/trains/PDF/Nos%20Vicinaux%201950-05.pdf 2020年1月6日閲覧。. 
  3. ^ 大賀寿郎 2016, p. 84-86.
  4. ^ 名取紀之. “"未舗装路側軌道"を求めて。(上)”. ネコ・パブリッシング. 2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月18日閲覧。
  5. ^ De.t.Barax 1958, p. 267-268.
  6. ^ 大賀寿郎 2016, p. 60.
  7. ^ 大賀寿郎 2016, p. 85.
  8. ^ a b c Frits van der Gragt, Olivier Geerinck & Marcel Albrecht 2008, p. 264-268.
  9. ^ a b the most popular tram in the world - PCC, part 2: Europe”. http://kmk.krakow.pl. 2020年1月6日閲覧。
  10. ^ Frits van der Gragt, Olivier Geerinck & Marcel Albrecht 2008, p. 3-5.
  11. ^ a b Frits van der Gragt, Olivier Geerinck & Marcel Albrecht 2008, p. 67.
  12. ^ 大賀寿郎 2016, p. 84.
  13. ^ Marcel Leroy (2004年6月16日). “Thuin - Sur rails : le centre de découverte de l'Association pour la sauvegarde du vicinal La mémoire vive du tram”. Le Soir.be. 2020年1月6日閲覧。
  14. ^ ASVi [@AsviThuin] (2018年6月13日). "La #PCC 10409 de l'#ASVi rapatriée dans les années 80 se trouve au musée du #tram #vicinal de #Thuin . Ouvert de avril à octobre les jeudi, WE et jours fériés. asvi.be". X(旧Twitter)より2020年1月6日閲覧
  15. ^ Rob Spitters (2011-12). “De PCC-car, een ‘Amerikaanse tram’in Den Haag” (オランダ語) (PDF). PH&LF Nieuwsbrief (PH & LF Railroad Association) 11 (39): 5. http://www.phlfrra.com/Nieuwsbrieven/Nieuwsbrief%20december%202011.pdf 2019年11月9日閲覧。. 

参考資料

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  • 大賀寿郎『路面電車発達史 ―世界を制覇したPCCカーとタトラカー』戎光祥出版〈戎光祥レイルウェイ・リブレット 1〉、2016年3月1日。ISBN 978-4-86403-196-7 
  • C. Risch; F. Lademann (2013-11-11). Der öffentliche Personennahverkehr. Springer-Verlag. ISBN 9783642861567