Portal:交通史/特集項目
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特集項目1
箱根山戦争は、第二次世界大戦後の1950年から1968年にかけて堤康次郎率いる西武グループと、安藤楢六率いる小田急グループ、およびその背後にいる五島慶太の東急グループの間で繰り広げられた箱根の輸送シェア争いの通称。巨大グループ同士の衝突が熾烈を極めたため、これに舞台となった箱根山の名を冠して「戦争」と呼ばれ、「箱根山サルカニ合戦」とも揶揄された。両者が箱根地区の路線バス相互乗り入れ協定に調印することで箱根山戦争は終結した。
作家の獅子文六により「箱根山」の題で小説化されており、後に川島雄三によって東宝で映画化された。
箱根における交通機関は、芦ノ湖において1909年ごろに定期航路が開設されたものが最初とみられている。……
特集項目2
気賀関所とは、17世紀初めに江戸幕府が本坂通の気賀(現在の浜松市北区細江町気賀)に設置した関所である。東海道の新居関所の裏番所として本坂通(姫街道)の往来を監視した。
気賀関所は、全国53箇所に設置された関所のうちで、東海道の新居(今切)の関所と同じく重要な関所と位置付けられ、近世関所は、「入鉄砲に出女」を改めるために設置され、「入り鉄炮」の通関には老中証文が必要であり、気賀関所の監視は、東海道の本道の新居関所と同様に厳格だったとされ、領主でも通過する際には手形を必要とした。
享保15年(1730年)にお蔭参りが流行したときには、都田村では、女中たちの抜け参りが多かったため、気賀関所の命令を受けて、見張人を街道に沿う村の山へ毎日出したが、それでも抜け参りは絶えなかったとされる。……