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Portal:軍事/特集項目

第一次ポエニ戦争の開戦直前の紀元前264年時点における地中海西部の勢力図:ローマは赤、カルタゴは灰色、シュラクサイは緑で示されている

ローマ軍のアフリカ撤退(ローマぐんのアフリカてったい)は、共和制ローマ第一次ポエニ戦争中に起こしたアフリカ遠征に失敗し、孤立した自軍の生存者を救出するために紀元前255年に実施した一連の撤退作戦を指す。ローマ軍は紀元前256年にカルタゴの本拠地である現在のチュニジア北東部に侵攻し、緒戦で成功を収めると首都のカルタゴに近いチュニスを占領した。しかし、翌年の春にクサンティッポス英語版に率いられたカルタゴ軍がチュニスの戦いでローマ軍に決定的な勝利を収め、敵軍の指揮官であるマルクス・アティリウス・レグルスを捕らえた。生き残った2,000人のローマ兵は侵攻時の上陸地点であるアスピス英語版に逃れ、その後、輸送船を含む650隻以上に及ぶローマ艦隊が生存者の救出と退避のためにアフリカへ派遣された。これに対しカルタゴは200隻の軍艦からなる艦隊を送り出し、アスピスの北に位置するヘルマエウム岬沖でローマ艦隊を迎え撃ったが、戦闘はローマ艦隊の勝利に終わった。

ローマ艦隊はアスピスに到着すると都市を包囲していた敵軍を追い払い、食糧を得るために周辺地域を略奪した。その後、全てのローマ兵を乗せてアフリカを離れたものの、シチリアの南東沖で突然夏の嵐に見舞われ、ローマ艦隊は壊滅的な打撃を受けた。この嵐によって464隻の軍艦のうち384隻が沈没し、300隻に及ぶ輸送船も同様に失われた。このアフリカにおける戦役でローマとカルタゴは双方とも決定的な優位を築くことができず、戦争はさらに14年にわたり続いたが、最終的にローマが紀元前241年に起こったアエガテス諸島沖の海戦で決定的な勝利を収め、戦争の勝者となった。