Template‐ノート:占い
このテンプレートは2006年9月19日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
最初の議論
[編集]このテンプレートの必要性が今ひとつわかりません。百科事典である以上、本当にその記事が「十分な科学的実証のない記述」(だけ)を含んでいるのならば、「中立性」や「正確性」のテンプレートを貼って、しかるべき立場からの加筆を促すべきだと思います。
逆に、実証的な研究や懐疑論の立場からの記述が既に含まれている記事にこのテンプレートを貼った場合、あたかもそうした記述が欠落しているかのような予断を読者に与えるだけで有害だと思います。
実証的な検証や懐疑的な視点の記述が盛り込まれてさえいれば、別に占いを対象にした記事にいちいち「十分な科学的実証のない記述」を含んでいると断る必然性があるとは思えません(仮にそのような理由でテンプレートが必要だというのなら「超能力」「霊」「超古代文明」…、一体いくつのテンプレートが必要になるのでしょうか)。にもかかわらず、占いや占い師の記事だというだけで機械的にこのようなテンプレートを貼ることには疑問を感じます。「占星術」など、占いの方法論を述べた記事について、現状の文面の後半部分のみのテンプレート(「個人の運勢相談の場ではない」云々)を貼るのならば理解できないこともありませんが。--Sumaru 2006年9月19日 (火) 10:41 (UTC)
- このテンプレートは「十分な科学的実証のない記述を含んでいます」なので、科学的実証のある記述を否定したものではありません。むしろこのテンプレートの存在によって、積極的に科学的実証のある記述が加筆されることを期待しています。また、「超能力」「霊」「超古代文明」等は次に「疑似科学」や「オカルト」というテンプレートの製作を予定しており、これらで対応できると思います。「占い」テンプレートについては、現在のWikipediaには占いに関する内容は少ないですが、将来火星やみずがめ座のような項目に占星術的な記述が書き込まれ、科学的な記述と同居する前に、先手を打つ形で作らせていただきました。--春野秋葉 2006年9月19日 (火) 13:07 (UTC) 修正 2006年9月19日 (火) 13:15 (UTC)
- 私はこのテンプレートが実証的な記述の存在を否定しているなどとは一言も申し上げておりません。わざわざテンプレートの形でことさらに注意を喚起することで「あたかもそうした記述が欠落しているかのような予断を読者に与える」ことを懸念しているのです。
- 他ならぬ春野秋葉さん自身が「占いや占い師に関する項目で、十分な科学的実証のない記述を、十分に科学的に実証されていると誤解される危険性を防ぐため」とテンプレートの意図を御説明なさっていますが、実証的な立場にきちんと配慮されている記事(百科事典の占い関係の記事は本来そうあるべきですが)ならば、注意喚起の必要性はないと思います(実証的な記述があるにも関わらず、あえてそんな注意を喚起するのは、読者の読解力を小馬鹿にしていると取られかねないようにも思います)。
- また、実証的な記述が不足している場合にしても、既存の「中立性」や「正確性」のテンプレートではなぜ駄目なのでしょうか。本気で「疑似科学」などのテンプレートをおつくりになる気ならば、なおのことこの点は明瞭にお答えいただきたいと思います。--Sumaru 2006年9月19日 (火) 14:02 (UTC)
- 私もこのテンプレートは少し行き過ぎのような気がします。科学的に実証されていると誤解されるような記述があるのなら「正確性」テンプレートで対応できると思います。そもそも占いが科学的に実証された例があるものでしょうか? このようなテンプレートがエスカレートしていけば、妖精や妖怪の項目に「これらは実在の生物ではありません」的なものを貼り付けることになる、というのは考えすぎでしょうか。「超能力」以下各種のテンプレートの作成も、できましたらお控えいただきたいと思うのですが。--Calvero 2006年9月19日 (火) 14:27 (UTC)
- Sumaruさんの「予断を与えるだけで危険」という意見ですが、私の考えでは、たとえそのような予断を持ったとしても、本文を読みさえすればの予断がすぐに誤りだとわかるはずだと思うのです。テンプレートの文も「十分な科学的実証のない記述しか含んでいません」じゃなくて「十分な科学的実証のない記述を含んでいます」なんだし、裏に「十分な科学的実証のある記述も含んでいます」という意味を含ませているのです。「十分な科学的実証のない記述を含んでいます」から「十分な科学的実証のない記述も含んでいます」に変更すれば予断を与えることはなくなると思います。
- もうひとつの「読者の読解力を小馬鹿にしている」という点ですが、これは侮れないんですよ。私はこれまで占い記事のいくつかを編集しましたが、ほかの記事よりも占いに関する記事は情報リテラシーが低いと感じました。記事の文中にですます体や全角英数字を使うのはまだいいほうで、ノートではなく本文で占術に関する記述の内容を批判するのや、占いと宗教の区別が付いておらず、ある占術の記事に考案者の占い師が宗教団体を設立したことを本文中に書いた人もいました。また、Wikipadiaでは占いに関する記事数がまだ不完全で、たとえば有名な占いのひとつである四柱推命すら記事になっていません。占いの記事を編集する人に関する限り、ちゃんとした記事が書けている人はかなり少ないです。さらに前の段落とつながる話になりますが、「占い」テンプレートを「読解力を小馬鹿にしている」と感じる人は、「あたかもそうした記述が欠落しているかのように予断する」という誤解を起こしにくいのではないでしょうか(もちろん、その逆も言えます)。
- 「正確性」テンプレートは「正確性に欠ける記述がある」ときに用いるものです。占いの場合はその占いの一般的な説明として正確であれば(必ずしも科学的正確性を要しないことに注意)、「正確性」テンプレートの対象になりません。「占い」テンプレートは科学的正確性のない占い記事につけるものですから、「占い」テンプレートと「正確性」テンプレートの指し示すものは全く異なります。「修正依頼」や「観点」のテンプレートは何が問題になっているのか(この場合、十分な科学的実証のない記述を含んでいること)が不明確になりそうです。「修正2」テンプレートを使えれば、修正依頼をする理由を任意で指定することはできますけどね。同じ問題を持った記事なのに理由をいちいち指定するよりは、最初から理由の入った専用のテンプレートを使ったほうがよいと考えます。--春野秋葉 2006年9月19日 (火) 17:21 (UTC)
- 占いテンプレートの目的が、読者に対する注意喚起なのか、編集者に対するものなのか、ちょっとわからなくなってきました。いずれにせよ、上記で占いと宗教の混同を挙げておられますが、占いと科学の混同は現在の項目の記述に見られるものでしょうか? あるいは、占いが科学的なものであると読者に勘違いさせるような記述が多いものでしょうか? また、ここでは占いと史実の混同も視野に入っているのでしょうか(安倍晴明など)。もちろん占いの説明として間違っていないのならば「正確性」は不適切ですが、その説明中に科学的裏づけがあるかのような誤った記述が含まれていれば、やはり正確性に問題あり、となると思います。Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのか で触れられている「科学的な観点」を導入しようとなさっているようにも見受けられます。混同を招くような記述に対しては、テンプレートの導入ではなく編集で対処すべきものかと存じます。それでも理解できないような読者に対しては、いかにテンプレートで注意を喚起してもあまり効果は期待できないのではないかと思います。--Calvero 2006年9月19日 (火) 19:42 (UTC)
- 一部、Calveroさんの御指摘とも重複いたします。また、少々長くなることについては予めお詫びを申し上げます。
- >>「十分な科学的実証のない記述も含んでいます」に変更すれば予断を与えることはなくなると思います。
- 問題の本質を理解なさっておられるでしょうか。百科事典の記事である以上、「占い」関連の記事であっても科学史や思想史の文脈をきちんと踏まえて執筆されるのは、本来当然のことです。にもかかわらず、記事冒頭にわざわざ「十分な科学的実証のない記述も含んでいます」などという注意書きが付けられていれば、「ああ、この記事は(中立性や正確性といった)百科事典としての要件に問題がある記事だから、あえて注意を喚起しているのだな」と思われてしまうのではないでしょうか。私が問題としているのはそこです。そもそも「本文を読みさえすれば(そ)の予断がすぐに誤りだとわかるはずだと思うのです。」と仰っていますが、予断以前に「十分な科学的実証のない記述も含んでい」るかどうか自体が本文を読めばすぐに分かることであって、わざわざ誤った予断を与えかねない形で注意を喚起する必然性がどこにあるのでしょうか。
- >>私はこれまで占い記事のいくつかを編集しましたが、ほかの記事よりも占いに関する記事は情報リテラシーが低いと感じました。
- >>占いの記事を編集する人に関する限り、ちゃんとした記事が書けている人はかなり少ないです。
- まず、こうしたご発言は、匿名性の高い共同作業では無用の波風を立てやすいものだということを、ご自覚なさった方がよろしいかと存じます。その上で申し上げますが、これは単に編集で対応するべき案件でしょう。
- 自惚れる訳ではありませんが、ノストラダムス関連の記事では、英語圏や仏語圏の文学的・歴史学的な研究動向を踏まえて加筆している日本語版のウィキペディアンは、現時点では事実上私しかいません。だからといって、ノストラダムス関連の記事に「(他の方の編集のせいで)実証性に乏しい記述が混ざりうる」云々というテンプレートを貼ろうとは思いません。明確な誤りでない限りは他の方の編集を最大限尊重しつつ、しかるべき加筆をしていくだけです。占い関連で「ちゃんとした記事」が書けていないとお感じなら、ご自身の編集で「ちゃんとした記事」になるよう修正なさればよろしいだけでしょう。
- >>「修正依頼」や「観点」のテンプレートは何が問題になっているのか(この場合、十分な科学的実証のない記述を含んでいること)が不明確になりそうです。
- 「観点」のテンプレートの文面をお読みになった上でおっしゃられていますか?「詳しくは、(この記事のノート)を参照してください」とあるとおり、このテンプレートは本来ノートでの問題提起とセットにして使うべきものであり、原則を守って使う限りでは、理由が不明確になることなどありえません。逆に、この「占い」テンプレートでは、記事のどこに「十分な科学的実証のない記述」があるのか理解できず、「観点」テンプレートよりも不親切です(実際、あなたがこのテンプレートを貼ったノストラダムス、マチュー・ランスベール、判定占星術、パンタグリュエル占筮などは、一体記事のどこに問題があるのかと何度も読み返しましたし、その上で不要なテンプレートだと判断して剥がしました。こういう面倒を経験した立場から申し上げますと、普通に「観点」テンプレートを貼られた上で、ノートで記事のどこに問題があるのか指摘していただくほうが、対応は遥かにラクです)。
- >>同じ問題を持った記事なのに理由をいちいち指定するよりは、最初から理由の入った専用のテンプレートを使ったほうがよいと考えます。
- ここでいう「同じ問題」とはなんでしょうか。文脈からすれば、「十分な科学的実証のない記述を含んでいること」としか思えませんが、既に懐疑的な見解も盛り込まれた記事ならば、あえてそれを問題視する必要はないと思います。「占い」を対象とした記事というだけで、十羽ひとからげにこのようなテンプレートを貼られてしまっては、どの記事が中立性に問題があるのか(逆に、どの記事は既に百科事典的な体裁が整っているのか)の判断が出来ず、かえって問題のある記事の存在が分かりづらくなるだけだと思います。--Sumaru 2006年9月20日 (水) 03:46 (UTC)
かなり長文のコメントを書いていたのですが、ブラウザが落ちてしまい、ブラウザを再起動してプレビュー画面を読み込みなおしても、書いた文章が残らずすべて消えてしまったので短く答えます。
占いテンプレートは「十分な科学的実証のない記述を含んでいる記事」に対して「科学的実証に乏しいことを安易に鵜呑みにするな」という注意喚起が含まれています。占いを好む人たちには「科学的実証に乏しいこと」を「科学的実証が済んでいること」だと誤解している人が多々おり、占い師の中にも意図的に「科学的実証に乏しいこと」を「科学的実証が済んでいること」のように主張する人を何人か見かけます。そのような「誤解しやすい読者」がよく見かけると思われる占い関係の記事に占いテンプレートを貼ることで、注意喚起を期待しているのです。記事のどの部分が「十分な科学的実証のない記述」なのかを考えるのはそれからでも遅くないと思います。
また「誤った予断を与えかねない」という主張に対しては、「何もない状態では逆に、上述の『誤解しやすい読者』が誤解する可能性がある」と反論します。つまり、占いテンプレートは上述の「誤解しやすい読者」を対象としたテンプレートであって、「科学的実証に乏しい記述」を「科学的実証に乏しい記述」だとちゃんと理解できる読者にとってそのテンプレートはもともと必要ないものなのです。また、「誤った予断」はあくまで「予断」であり、その読者自身の力ですぐに修正が利くものであるのに対し、「誤解」はその読者自身の力ではなかなか修正できないものであり、こちらのほうがより深刻な問題であるのは言うまでもないことだと思います。--春野秋葉 2006年9月20日 (水) 06:02 (UTC)
- 以下、見出しを設けた上でコメントしました。単に見出しのない部分が長くなったからであって、他の理由はありません。--Sumaru 2006年9月20日 (水) 08:52 (UTC)
上の議論の続き
[編集]>>占いを好む人たちには「科学的実証に乏しいこと」を「科学的実証が済んでいること」だと誤解している人が多々おり、 九州王朝説でしばらく前に問題になっていましたが、「主流的見解からの反論がない(乏しい)こと」を「正しいから反論が出来ないのだ」と曲解する人は確かにおります。ですが、「科学的実証が済んでいる」とする曲解は余り見たことがない気がするのですが、そういう人が「多々」いるとする根拠(出典)は何でしょうか。
これを示していただかないことには、そういう人への注意喚起が目的で作成した(そして今後も「疑似科学」などで作成する)といわれても説得力がありません。
また、上記のお答えでは、「占い」関連の記事に十羽一からげにテンプレートを貼り付けることの妥当性もはっきりしないままです。自分の訳した記事を例に取るのはなんですが、「判定占星術」を例にとりましょう。この記事では、「かつて『科学的な』占星術が他の通俗的な占星術と区別された」「しかし、現在ではその『科学的な』占星術もまた疑似科学に過ぎないとして、区分自体が廃れている」ことが、冒頭の段落で明示されています。この記事で、わざわざ注意喚起をする必要があるでしょうか。そもそも、これでも誤解する読者がいるというのなら、(Calveroさんも仰る通り)テンプレートがあったって意味はないでしょう。(テンプレートを貼る記事と貼らない記事を選別すればいい、と仰るかもしれません。ですが、占い関係では「ちゃんとした記事が書けている人はかなり少ない」と言ってのけたのは春野秋葉さん御自身です。その御指摘が正しいとした場合、適切な選別が行われるなどとは期待できないはずです)
また、下でMaris Stellaさんが問うておられることには「誤解される危険性がある」から作成したと答えているのに、ここでは(記事を読む前から)「誤解している人」への注意喚起が目的だと仰る。さらには、(上でCalveroさんが御指摘の通り)編集者への注意喚起とも解釈できるようなお答えもなさっています。テンプレートの主たる対象自体がお答えによってこうもブレるのは何なのでしょうか。
さらに、 >>「誤解」はその読者自身の力ではなかなか修正できないものであり、こちらのほうがより深刻な問題であるのは言うまでもないことだと思います。 と仰いますが、(これが正しいという前提で申し上げますと、)わずか2~3行のテンプレートの注意喚起で改善が見込めるような「誤解」なら「深刻な問題」ではありませんし、改善が見込めないような「深刻な問題」なら、テンプレートで誤魔化さず、本文の記述を充実させることで「誤解」を解こうというような方向をお考えになるほうがよろしいかと思います。
というか、「本文にいくら正しく書いたところでそれを読み取れない馬鹿がいるんだ」と言わんばかりのお答えは何とかなりませんか。百科事典の定義文をご覧下さい。「幅広い分野の知識を、項目ごとに整理・記述して、誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたものである」とあります。きちんと記述しても理解できない奴のためにテンプレートを作る、という姿勢はこの定義文に真っ向から反します。ある記事について、この文章では理解できない奴がいる、と思うのであれば、理解できるように書き換えればよいだけのことです(他の編集者の情報リテラシーが低い、と仰る春野秋葉さんのリテラシー能力を以ってすれば、それは容易なはずでしょう?)。
最後になりますが、Calveroさんが御指摘くださっているWikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかはお読みになられましたでしょうか。(下でMaris Stellaさんがおっしゃられていることとも関連しますが、)その項目で指摘されている「科学的な観点」とこのテンプレートの意義の関連について、春野秋葉さんの御見解をお伺いしたいものです(というか、お伺いしないことには、このテンプレートに存在意義を見出せません)。--Sumaru 2006年9月20日 (水) 08:52 (UTC)
- なぜ本文での記述よりテンプレートを重視するのかというと、そっちのほうが注意喚起が期待できるからです。文章だけで書くよりも表や画像を駆使して表現したほうが見る人への訴求力が高いのです。本文を軽視しているとか、それなら本文を修正すれば済むのではないかということではなく、本文よりもテンプレートのほうが効果的だと判断したのです。
- 「科学的実証が済んでいる」には深い意味はありません。「科学的に実証されている」とさして違いはありません。「科学的に実証されていないもの」を「されている」と誤解しているかどうか、のほうが重要な論点なので、「実証されている」と「実証が済んでいる」の細かい言葉の違いは重要ではありません。そもそも「誤解している人」が厳密な言葉の使い分けに神経質になるとも思えません。またそういう人が「多々」いるとする根拠(出典)はありません。これは私の個人的な感覚です。しかしここは本文ではなくノートなので、個人的な感覚に基づく記述は許されているはずです。また、テンプレート自体には「多々いる」などの個人的な感覚に基づく記述は一切含まれていませんので、中立的な観点を侵すこともありません。
- テンプレートの主たる対象についても細かい言葉の使い分けの問題になっていますが、「ウィキペディアを初めて見る前に既に『科学的実証されていないものをされていると誤解している』人が、新たにウィキペディアを読むことによって誤解を深め、自分の誤解の補強材料とする」くらいにとらえてもらえればよいです。既に誤解していない人が「ウィキペディアを読んだことによって初めて誤解する」ということは考えにくいと思います。さらに言えば、占いテンプレートはそのような「誤解した人」がその誤解に基づいてウィキペディアの記事を執筆することへの予防としても機能させるつもりなので、読者か編集者かといったブレは大きな問題ではありません。
- 「本文を誰にでも理解できるように書き換える」というのは確かに百科事典の基本方針です。しかし、それは「本文中に記載すべきであり、テンプレートを使用すべきではない」というものではないはずです。テンプレートのほうが本文中に記載するよりも効果的ならば、迷わずテンプレートを使用すべきでしょう。また本文中の「科学的に実証されていない部分」が出現する直前に「ここからは科学的に実証されないない記述です」、直後に「ここまでが科学的に実証されないない記述でした」といちいち書くこともできますが、いちいち書くのを繰り返すのならばテンプレートにしたほうが効率的とも言えます。現在の占いテンプレートが効率的とは言えないからといって、より効率的なテンプレート(上述の「ここからが~」と「ここまでが~」の2つのテンプレートを作るなど)を作ることを考慮するというのならともかく、テンプレート自体の使用を認めず、すべて本文に記載すべきという意見には納得しがたいです。
- 「中立的な観点」と「科学的な観点」の問題については、「ウィキペディアの記事として疑似科学を記載することは認めるが、それは正統な科学とはっきり区別されなければならない」と考えています。ウィキペディアの記事は疑似科学を正統な科学と誤解させるような記述であってはならないし、また誤解している人の誤解を解かせるような記述をすべきだと考えています。それは「中立的な観点」であるし、「科学的な観点」とも矛盾しない態度であると思います。--春野秋葉 2006年9月20日 (水) 10:47 (UTC)
- >>またそういう人が「多々」いるとする根拠(出典)はありません。これは私の個人的な感覚です。
- その「個人的な感覚」でテンプレートを作成するのは独善に過ぎない、という自覚はないのでしょうか。ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』(晶文社、2001年)で、訳者の山形浩生氏が興味深いエピソードを紹介しています。出版前にその書を知人たちに見てもらったところ、誰もが、自分には分かるが一般には理解できないのではないか、という趣旨の発言をしたと言うのです(同書253-254ページ)。これと同様に、あなたがこのテンプレートを必要だと思っているのは、単にあなたが読者を見くびっているからに過ぎない、という可能性はお考えにならないのでしょうか。
- >>テンプレートのほうが本文中に記載するよりも効果的ならば、迷わずテンプレートを使用すべきでしょう。
- と仰るのはまさしくその通りです。しかし問題なのは、あなたの「個人的感覚」に基づいて必要性を説かれたところで、「迷わずテンプレートを使用すべき」局面だとは誰も思わない、というところにあるのです。そして、客観的に有用性を説明できないテンプレートが存在しているのは(そして、それが議論もなしに関連記事に片っ端から貼られてしまうのは)、ソースの無駄遣いという点で単に有害なだけです。
- >>それは「中立的な観点」であるし、「科学的な観点」とも矛盾しない態度であると思います。
- Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかをきちんと読まれましたか?「科学的な観点」はウィキペディアでは採用されていない方針です。なぜ、採用されていないのかは、そこにこうあります(一部太字にしました)。
- しかしながら、一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています。ですが、これらの人々がうまく示せなかったのは、そのようなポリシーをわざわざ設ける必要があるという点です。疑似科学に惑わされるかも知れない人に対して、疑似科学についての科学者の見方が明確に、完全に、フェアに説明されるべきだというポリシーが既に存在しているわけですから。
- あなたのやっておられることは、まさにこの(必要性を)「うまく示せなかった」ことをなぞっているだけではないか、ということが問われているのです。採用されてもいない方針と矛盾しない、などと表明されたところで、それには何の意味もありません。--Sumaru 2006年9月20日 (水) 12:16 (UTC)
上の議論のさらに続き
[編集]節を分割させていただきました。
「あなたがこのテンプレートを必要だと思っているのは、単にあなたが読者を見くびっているからに過ぎない」という意見について書きます。どうも「想定すべき読者」の範囲について争いがあるように見えます。「占いを科学だと言い切る人」は「占いを非科学的だと思う方へ」のようなページを見つけることができます。この記事のように「科学を甘く考えている」日本人は決して少なくないでしょう。それはウィキペディア日本語版の疑似科学関係の記事の内容からもうかがえます。このような記事を信じる読者がウィキペディアにも存在することは当然想定されなければなりません。十分想定されうるものを「読者を見くびっている」とすることはできないでしょう。たとえ私が読者を見くびっているかもしても、占いテンプレートが存在することによる害は「誤解を防ぐ」という点において存在しないことによる害を上回るのであるのですから、安全性の上でも占いテンプレートが存在することのほうが優れています。
また「科学的な観点」がウィキペディアで採用されていない方針だとしても、それに基づいて記事を書くこと自体が許されないことなのでしょうか。既に述べたとおり、「科学的な観点」は「中立的な観点」とは矛盾しません。「非科学的なものを科学的なものと誤解しないように、非科学的なものを明示する」というのはWikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかに載っている「科学と疑似科学を対等に扱わなくてもよい」ということそのものではありませんか。「中立的な観点」は占いテンプレートの存在を否定したものではないと考えます。--春野秋葉 2006年9月24日 (日) 09:52 (UTC)
議論を拝見しました。私は春野秋葉さんのご意見に近いように思いました。私自身は占いは総じて科学的根拠が無くオカルトの類と思っていますが、そう思わない読者を想定し「百科事典によりお墨付を与えた」という誤った読み方を防ぐのに有用かと思います。
「実証的な立場にきちんと配慮されている記事(百科事典の占い関係の記事は本来そうあるべきですが)ならば、注意喚起の必要性はない」というご意見があり、これも全くその通りと思いますが、おそらく(将来作成されるものを含めて)占いに関する記事は「実証的な立場」を書ける編集者は少なく、そのような記述が後回しになってしまうのではないかと予想します。現時点でこのようなテンプレートが無ければ困る記事があるかというと、そうではないということになるのかもしれませんが、テンプレート自身は有用だと思います。テンプレートの文言も控えめで適切だと感じますが、記事冒頭に置くより末尾に置いた方が、邪魔にならずによりよいかもしれません。--Yas 2006年9月24日 (日) 23:07 (UTC)
- Sumaruです。かなり長くなります。予めお詫び申し上げます。
- >どうも「想定すべき読者」の範囲について争いがあるように見えます。
- 「範囲」についての争いではなく、wikipedia:検証可能性をめぐる議論です。
- 春野秋葉さんはテンプレートを作る意義について、占い信者には、記事にきちんとした懐疑論的な見解などが書いてあっても理解できない「誤解しやすい人」が「多々」いるので、そういう人に対する注意喚起の手段として、訴求力のあるテンプレートは効果的だ、と主張なさっていました。
- 同時に「科学的実証に乏しい記述」を「科学的実証に乏しい記述」だとちゃんと理解できる読者にとってそのテンプレートはもともと必要ないものだとも仰っており、上記の「誤解しやすい人」だけが対象であることを明言なさっていました。
- となれば、「記事にちゃんと書いてあっても理解できない読者」(要約)が本当にいるのかどうか、いるとしても、わざわざ専用のテンプレートを作って対応しなければならないほど「多々」いるのかが問題になります。
- あなたはそれについて「個人的な感覚」であって根拠はないと明言なさいましたので、それはwikipedia:検証可能性を満たしていないことを踏まえ、独善だと申し上げたのです。
- >この記事のように「科学を甘く考えている」日本人は決して少なくないでしょう。
- >このような記事を信じる読者がウィキペディアにも存在することは当然想定されなければなりません。
- たった一例を以って一足飛びに「決して少なくない」といわれても困ってしまいますが(苦笑)、仮にそうだとしても、「科学を甘く考えている」人や占いを科学的だと思っている人の比率などは問題にはなっていません。そういう人々の中で、(きちんとした懐疑論などの見解が記事に盛り込まれていても)理解できないだけでなく「科学的に実証されている」と「誤解してしまう人」の多寡が問われるのです。「科学を甘く考えている」人であろうと、ウィキペディアの記事本文を誤読しないのであれば、このテンプレートの意義とは無関係なのですから。
- もう一歩進めて念押ししておきます。「占い好き」=「占いが科学的に実証されていると誤解している人」ではありません。占い好きの中には、科学のほうが「遅れている」と考えて現在の科学による実証など初めから求めていない人だっています。また、実証されているか否かとは関係なしに自身の体験(占いで言えば「当たっている」という実感)を絶対視して信じている人だっています(お望みとあらば出典を示しますが)。こういう人たちもまた、あなたのいう「科学的に実証されていると誤解する読者」にはあてはまりません。つまり、あなたが想定している「このテンプレートを必要とする読者」は、占い信者の中の一部分の、そのまた一部分に過ぎない可能性だってあるのです。そんな少数派のために専用のテンプレートが必要でしょうか?
- である以上、
- >たとえ私が読者を見くびっているかもしても、占いテンプレートが存在することによる害は「誤解を防ぐ」という点において存在しないことによる害を上回るのであるのですから、
- などと仰られても意味はないのです。少なくともあなたの想定する「記事にちゃんと書いてあっても理解できない読者」(要約)の存在と多寡がwikipedia:検証可能性を満たす形で示されなければ、このテンプレートの「益」を示したことにはならないのですから、「ソースの無駄遣いの可能性」という「害」を上回るなどとは断言できません。また「占い」関連の記事というだけで十羽一からげにテンプレートを貼ることの「益」も示されておりません。
- >「中立的な観点」は占いテンプレートの存在を否定したものではないと考えます。
- よくお読みください。事実上否定しています。「中立的な観点」が満たされていれば「科学的な観点」はわざわざ導入する必要がないからです。そして、既存の「中立性」「正確性」のテンプレートではなく、このようなテンプレートの導入をわざわざしなくてはならないという必要性を春野秋葉さんは一向に示せておりません(上述の論点が客観的に解決しておりませんので)。
- この論点に関連して、同時にYasさんの懸念なさっている
- >おそらく(将来作成されるものを含めて)占いに関する記事は「実証的な立場」を書ける編集者は少なく、そのような記述が後回しになってしまうのではないかと予想します。
- という点に触れますが、これは議論のはじめの方にも出ている通り、既存の「観点」「正確性」などのテンプレートで対応できる問題であると考えます(百科事典がお墨付きを与えたと思われては困る、という事項は、「戦争責任などの歴史認識」「学校・塾・有名人などの評価」「(某県関連で問題になった)根拠のないお国自慢」…などいくらでもあり、いちいち専用のテンプレートを作成して対応するのはナンセンスですし、占いを初めとする疑似科学のみが特別扱いされねばならない理由はありません)。
- >現時点でこのようなテンプレートが無ければ困る記事があるかというと、そうではないということになるのかもしれませんが、
- とYas さんも仰っていますが(そしてそういう記事があるかどうか、またあるとして「多い」かどうかは、Calveroさんが前にお尋ねになっているにも関わらず、春野秋葉さんは一向にお答えになっておりませんが)、「占い」というだけで十羽一からげにテンプレートが貼られる意味はありませんし、個別に記事の問題点を判断するのであれば、「観点」テンプレートを貼った上でノートで議論すれば事足ります。
- 繰り返しますが、春野秋葉さんが想定なさっている「誤解しやすい読者」は実証されておりません。そして、このノートで議論になっているのは、専用のテンプレートをわざわざ作る必要があるか否か、です。--Sumaru 2006年9月25日 (月) 04:08 (UTC)
- (追記)本筋から少々それますが、私は春野秋葉さんが読者を見くびっていると決め付けたわけではありませんし、そこに問いの重点はありません。「単にあなたが読者を見くびっているからに過ぎない、という可能性はお考えにならないのでしょうか」と書いた通り、なぜ「個人的な感覚」に基づくご自身の認識をアプリオリに正しいと断言できるのか、を問うたのです。「個人的な感覚」だけを根拠にしたのでは、あなたが「(御自身の想定なさる読者という)実証されていないものを実証されていると誤解している」だけの可能性だってあるわけです。こうした点に関する「メタ認知の視点」がないまま議論をなさったのでは、春野秋葉さんの主張は占い信者と五十歩百歩です。私が問いかけたのは、失礼ながら、この点に対する認識が不十分であるように感じられたからです。--Sumaru 2006年9月25日 (月) 04:08 (UTC)
科学的実証と検証可能性
[編集]百科事典は、「検証可能」な事実や事象や現象を記述するもので、科学的に実証されているものだけを書く場所ではないということを確認願いたく思います。「占いが科学的に実証された例があるものでしょうか」と上で、Calvero氏が書いておられますが、「現在の科学のパラダイム」は「占い」について、そもそも排除する形式になっています。ポパーの基準も哲学的な基礎まで辿ると決して明確なものではないのですが。フッサールが失敗したこと(フッサールが失敗することは、ハイデッガーは当たり前だと予見していた)をポパーが成功するのは無理な訳です。
なお、削除依頼では「存続」を投じましたが、それは依頼内容が不十分な為で、ここで、作成者の意図や、今後の予定・思惑を明確に確認できましたので、このノートでの議論に応じて、「削除」票に変更する予定です。また、「疑似科学」のテンプレートも造るとか述べておられますが、おやめになるようアドヴァイス致します。そういうテンプレートを作り続けた場合、ブロック依頼が提出されることもありえるということを考えて戴きたく思います。--Maris stella 2006年9月19日 (火) 16:01 (UTC)
- 科学的に実証されているものだけを書く場所ではないことは承知しています。問題は、占いや、それに関係する天体などの記事について、科学的実証を得たものと得ていないものが混在することです。そのため、科学的実証を得ていないものを得ているものだと誤解される危険性があるわけです。従来のテンプレートにはそのような危険性に対処するためのものはありませんでしたので、今回新規に作成したという次第です。--春野秋葉 2006年9月19日 (火) 17:30 (UTC)
- 追加します。私は科学的に実証されていない記述を排除しようとしているのではありません。しかし、科学的に実証されていないものを実証されていると誤解させるような記述は排除されなければなりません。科学的に実証されていないもので、一見科学的に見えるものは「科学的に実証されていない」と明示しなければ誤解を招きます。その誤解を解くために、「科学的に実証されていない」ということを本文なりテンプレートなりではっきり記すことが必要だと考えています。--春野秋葉 2006年9月20日 (水) 10:53 (UTC)
Wikipedia:免責事項に関して
[編集]templateの存否はともかく、 上記の議論(中立的な観点、科学的実証性(科学的有用性を含む)、検証可能性、それぞれの違いなど)について、Wikipedia:免責事項#提供する情報についてに多少反映しても良いかも知れません。もちろんあちらの修正は大変ですが。例えば、「学問的論争における特定の学説、」(Wikipedia:免責事項)の後に「さらには哲学的な物の見方が一定であること(例えば科学主義、疑似科学、実証主義、など)、」と追加するなど。--59.133.208.240 2006年9月21日 (木) 03:27 (UTC)
注意系テンプレートの乱立
[編集]基本的にはWikipedia:Template メッセージの一覧/記事の内容への注意にあるうち、{{番組}}、{{ana}}、{{占い}}、{{rule}}は不要なのでは?{{未完}}も{{現在進行}}で良いかも知れません。注意系テンプレートの乱立は、分野別のスタブカテゴリテンプレートの乱立と似たような感じがします。--222.11.250.133 2006年9月20日 (水) 02:47 (UTC)