Template‐ノート:科学哲学
このテンプレートは2006年6月9日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
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定義の欄に「プロトサイエンス」を追加しました。訳語は定まっていないということですが、調べる人にとって助けになると思います。削除依頼の議論の中にも特に言及は見当たりませんでしたので。
--かずぴょん 2006年9月21日 (木) 06:05 (UTC)
user:Kttchさん、ご苦労様です。シンプルにするのは大変良いことですが、あまり削りすぎてはテンプレートの意味がなくなってしまいます。初学者に対し基本事項や重要事項を提示することで科学哲学というジャンルへの理解を容易にする、という観点から考えると、さすがにここまでシンプルではどうしようもありません。 適切な記事(たとえば線引き問題)などがないという事情も確かにありますが、それでも疑似科学まで削除してしまうのは行きすぎでしょう。 あとこれはまったく別の問題として、あなたがどなたなのかは存じませんがソックパペットを使って編集すると「いったい何の理由でソックパペットを使わないといけないのか」という疑問を持たせます。普通に本アカウントを使われてはいかがでしょうか。Was a bee 2006年10月7日 (土) 12:34 (UTC)
- 科学関連の記事は特に論理性が大切なのでTemplate科学哲学の断片的リンクだけを辿り理解されるのは非常に好ましくない。科学哲学の項目で節として論理的に詳述するべきである。科学を本職とする私の友人らも以前のTemplate科学哲学を見て同様の難点を指摘していた。初心者にとっても、テンプレートが以前の状態で科学哲学の全体像を掴むのに79個のリンク、79頁の記事を辿らなければならなかった状態よりも、とりあえず科学哲学の項目1頁と他の数頁をじっくり読めば論理的に一通りの全体像が理解できるほうが親切である。節が充実してきたら独立頁とすれば良い。疑似科学の項くらいは確かにテンプレートに残しても良いかも知れない。だが疑似科学の頁へあまりに誘導することは読者に2チャンネル的な非生産的な行動やヒステリーな行動を生む傾向があり、それよりも科学哲学の頁を読んでもらい、反証可能性、科学的方法、さらに統計学・数学・論理学等の項目を読んでもらうのが正道で、間接的にウィキペディアの科学的な記事の品質の向上にも貢献すると考える。テンプレートもスリムな縦型になり、頁の右上に挿入することも可能になった。またこのテンプレートにCategory:科学哲学 を私が先程挿入しておいた。これでこのテンプレートは知識欲豊富な読者が科学哲学関連の項目間を行き来するためのゲートウェイとして使えるようになった。利用者も増えることだろう。Kttch 2006年10月7日 (土) 14:35 (UTC)
- 仰りたいことはよくわかりました。しかしながら哲学全般がそうですが、科学哲学もまたトップダウン方式で語れるような整然とした学問ではありません。種々雑多なトピックスが色々な角度から様々な形で論じられているのが現状です。そのような状況でどこにどのように一本の線を通せばいいのか、私には皆目検討がつきません。ですから基本的に検索エンジンからポッと訪れた人が、それらの雑多なトピックスをそのまま一瞥できるようにしておいて「あぁ、科学哲学ってこういうテーマを扱ってるのね」と理解してくれれば、それで十分ではないでしょうか。
- 基本的にネットで無料の百科事典を利用する人のほとんどは
- 「よく知らないけど、ちょっと興味がある。でも図書館にいって調べたり、お金を出して本を買うほどのモンではない」
- というレベルの好奇心を満たすために使っていると思われます。
- それなのに「科学哲学が一体どういうテーマをどのように扱っているのか」を知るために、文章を一から全部読んで、いくつものリンクを行ったり来たりしなければならない(体系的に学ぶというのはそういうことです)というのでは、まず読みもしないでしょう。
- 論より証拠で実際のトピックスを提示するのが、理解への一番の近道ではないでしょうか。
- ですから外堀から内堀へ、言葉の定義や科学の歴史をまず学んでから科学哲学へ、といった順繰りの学習が大切なこともわかりますが、ウィキペディアはそういう学習環境を提供する場としては相応しくありませんし(ウィキブックスで体系的で網羅的な本を書くなら話は別です)、論より証拠で実際のトピックスを提示してしまうのが、理解への一番の近道ではないでしょうか。
- で、話は変わるのですがなぜわざわざ喋り口調を不自然に変えてまでソックパペットで編集するんでしょう?Knowhowも最近使い出したソックパペットのようですが、本アカウントを使われない理由はなんでしょうか?Was a bee 2006年10月8日 (日) 13:22 (UTC)
- 返事がない・・・・ただの屍のよ(ry テンプレが小さくなったために、経緯を知らない人が記事内での位置を移動しはじめちゃいました。小さくして右端に追加しなければならない理由の説明がないのであれば、ちかいうち元のスタイルに戻します。Was a bee 2006年10月13日 (金) 12:26 (UTC)
- なんか空気が読めてなかったみたいだから元に戻します。--Forestfarmer 2006年10月13日 (金) 14:49 (UTC)
- 返事がない・・・・ただの屍のよ(ry テンプレが小さくなったために、経緯を知らない人が記事内での位置を移動しはじめちゃいました。小さくして右端に追加しなければならない理由の説明がないのであれば、ちかいうち元のスタイルに戻します。Was a bee 2006年10月13日 (金) 12:26 (UTC)
このテンプレートがスパムになっている
[編集]先程あなたWas a beeの投稿記録を見せてもらった。あなたは科学哲学だけでなく、心の哲学などのテンプレートも作り貼りまくっているね。そして迷惑がられている例もいくつも発見した。あなたの間違いは、方法論や世界観のひとつを選択しテンプレートを作り、膨張させ、それが少しでも関連するとあなたが考える項目にテンプレートを貼りまくっていることである。そのような行為はもう止めるべきである。方法論や世界観を基準に項目を集めて並べたいのならばポータルを作るべきであろう。
多分これだけの説明ではあなたは状況を理解していないだろうと思う。あなたはあなたの方法論(=近・現代西洋哲学)で頭が一杯になっていて、自分の行為が妥当だと思いこんでいるからである。
想像してみるがいい。例えばインド・仏教哲学を長年にわたり研究している人がいて、仏教哲学は森羅万象に関わると考えていて(確かにそうだろう)、Template仏教哲学を作り、Was a beeのように80項目ぐらいに膨張させ面積的にも大きくした上で、Template仏教哲学を因果律のページに貼り、仏教者は観察もしているから観察の項目にも貼り、物体の項目にも貼り、心の項目にも張り、心の哲学の項目にも張り、仏教にはアラヤ識なる概念があるから無意識の項目にも貼り、医学にも関係あるから医学の項目にもTemplate仏教哲学を貼り、、、、、、、このようなことがされる状況を。たしかに仏教は森羅万象を扱っている。だがこのような考え方で自己正当化しTemplate仏教哲学を貼ってゆけば、仏教専用ではない一般的な項目数十以上にTemplate仏教哲学を貼ることが可能になる。ところで因果律や医学のページを他の文脈で単独に読む人はこのように貼られたTemplate仏教哲学をどう感じるだろう?これはスパムそのものだ。
あなたのやっていることは、これと同じだということに気付くべきである。あなたは近現代の科学哲学と心身問題の哲学という一方法論を勉強した。その方法論で世界を分析する習慣ができた。それが全てに関わると感じている。Template△△哲学を作った。作ったから多数の項目に貼り付ける。Template内の項目数を膨張させてゆく、、、。スパムだ。
幸い仏教・その他の方法論の者でそのようなことをやっている人は今のところはいない。もっと良識と節度があるのだ。(だがあなたがTemplate△△哲学を膨張させ貼る行為を続けた場合に何が起きるかは予想はつかない)もしもキリスト教の信者が少しでも関係あると思う項目にTemplateキリスト教哲学を貼ることを誘発したらウィキペディアはどうなる?キリスト教はスコラ哲学も形而上学もその内に含んでいて森羅万象を扱っていて、2000年の歴史があり西洋文明全体をすっかり覆い尽くすぐらい膨大なものである。ニュートンもキリスト教の信者で、神の実在を証明したい一心でニュートン力学の体系を構築したぐらいだ。もしWas a bee流に、ニュートンの項目にまでTemplateキリスト教を貼られたらどうだ?しかもその項目数はWas a bee流のやり方で詰め込んだら80項目どころでは済まず、数百項目は軽く超える。Was a bee流Templateキリスト教ひとつでPCモニタの半分ぐらいの面積になるだろう。
あなたがTemplate△△哲学を多数の項目に貼ることに意地を張れば、思想上のバランスが崩れるから、仏教、キリスト教、イスラム教、等々でも負けじとTemplateを作り貼り膨張させざるを得ないと感じる人が出てくる。1ページに大きなTemplateが3~10程度貼られることになるだろう。一旦競合が始まれば誰も収拾がつけられなくなる。何しろ思想に関係する問題で根が深く感情が絡むのである。そのうち神秘主義だのポストモダニズムの世界観だのポケモンの世界観だののTemplateを貼る者まで出てくるかも知れない。記事の本文よりもTemplate群の面積が数倍広いという珍現象もきっと起きるようになる。
現にすでにあなたが張ったTemplateが複数の人々により剥(はが)されている実例がいくつもあるのは、Template△△哲学がスパムだと感じられたり、思想上のバランスを崩していると感じイラ立っている人々がいるのである。あなたの行為は迷惑がられているのだよ。危険信号が出ている。今のところ幸いにもあなたのスパムは剥がされるだけで済んでいるが、あなたがスパム行為を続ければそのうちに逆のことが起きる。他の世界観のTemplateが、科学関連に位置づけるのが妥当な項目にまで際限なく進入してくるようになる。科学の各ページにヒンズー教、修行、十字架、祈り、等々の言葉・リンクが散乱することになりかねない。だから止めてくれないか。
英語のphilosophy of scienceのページや関連ページでもTemplate philosophy of scienceは作られていないし貼られていない。そんなことを始めればバランスを崩すスパムになり迷惑だと気いているのである。
それと、これは私寄りの視点だが、科学を本職にしている者にとっても今年の夏ごろのTemplate科学哲学はあまりにも煩わしい。各ページに登場しすぎるし、何よりも論理性がなさ過ぎるのだ。方法論関連のテンプレートは項目の主題から距離的に遠い概念でページを汚染してしまう。科学には論理性が必要だ。
あなたのTemplateの使い方は間違っている。Templateは方法論や特定の世界観で作り濫用するべきではない。Templateはできるだけ周期表等々に限定して活用すべきである。特定の方法論・世界観関連の項目をテンコ盛にしたい場合はポータルを使うべきである。
あなたがやるべきことは以下のことである。
- Wikipedia:ウィキポータルをよく読む。
- ポータル科学哲学を作る。
- 科学哲学の項目の末尾、関連項目の節にポータル科学哲学へのリンクをシンプルに一行で載せる。
これでかなりの自由度が確保できTemplateよりも多くの項目が盛り込める。方法論を共有する者同士で集うことができる。
それとTemplateを膨張させたり、ポータルを作る前に、科学哲学の項目それ自体を充実させることが何よりも先決であろう。順番が逆なのである。先程キリスト教のページの履歴を見てみたら、本体のページがかなり膨張してからポータルを作っているようである。 科学関連の項目は英語のウィキペディアと比べて貧弱である。私の友人ら(科学者)も科学関連の各項目が英語に比べ救い難いほど貧弱なのを気にしている。
履歴を見たところWas a bee殿はそれなりに文章力はあると評価する。資料もそれなりに手元に持っているようだ。非生産的な論戦などしている以前に、例えば科学哲学の項目の「科学と非科学の線引き」の節の文章を書くのが先決であろう。ポパーの果たした役割、ポパー以前はどうだったか、ポパー後の状況、等説明しておかなければならないことはある。Was a bee殿なら書けるはずである。
Forestfarmerはあなたのsockpuppetではあるまいな? Forestfarmerはタグの基本を理解しておらずTemplate科学哲学の右寄せに失敗して無駄な作業をしているようである。何なら後で私が右寄せできるようにしてあげよう。Kttch 2006年10月15日 (日) 03:31 (UTC)
- まず最初にForestfarmerさんには混乱を与えてしまい申し訳なく思います。ご迷惑おかけします。少々ご辛抱ください。
- さて、Kttchさん、まずは返答ありがとうございます。あなたはソックパペットを多用していますが、私はそのようなことは一切したことがありませんし、これからもしません。いったい何のためにそのようなコソコソした真似しなければならないのでしょう。これで三回目の質問ですが、一体あなたがソックパペットを使う理由はなんですか?
- では、ご質問の点について、四点にわけてお答えします。
- テンプレがスパムについて
- これは一部妥当です。私自身は記事を読みに来た読者のほとんどにとって、そのテンプレが提供する情報が求めていた情報の方向性と合致しているだろう、という場合についてのみ追加するようにしてきたつもりですが、しかしながら再度見返してみたところそこまで大きく表示する必要性の薄い記事、また文章中に説明がなくては読者にも編集者にもどうやら関連性が理解できない記事もあるようです。これに関してはもう一度推敲し妥当な形を見つけていきます。またテンプレの呼び出し元を見てみたところ、結構色々な記事に貼られていますので。これに関しても逐次、ふさわしい形に編集していきます。
- 不完全だから削除しろという強弁について
- おっしゃるようにテンプレートがベストな状態にないことは確かです。もっと整然と並んだ記事のリストであることが理想であり、また各記事が充実したものとなることも絶対必要です(誘導した先が空っぽではどうしようもないです)。しかしながらウィキペディアは完全な状態からスタートさせるシステムではないはずです。記事の参照数が増えれば、それだけ編集者も増えますし(実際あなたがテンプレートを無意味化する前は、編集する人が少しですが増えました。あなたが無意味化してからまた減りましたが)、そういった日々の中で少しずつ記事がいい形に落ち着いていくというのが、ウィキペディア本来のあり方のはずです。現状が不完全だから削除しろというのなら、こんな場末のノートページに書き込んでる前に、まずウィキペディア上の全てのスタブ記事を削除してきてください。あなたの理屈はそういう理屈です。
- 目的について
- Kttchさんの言わんとしていることはよくわかりました。しかし、百科事典は編集者のためでなく読者のために編集されるものです。私は別に同好の士と馴れ合ったり、情報交換しようと思ってテンプレを作ったわけではないです(もちろんそれはそれでひとつの楽しみではあります)。またイデオロギー的な陣取り合戦をしたくてテンプレを貼り付けてるわけでもありません。ただ、ポッとウィキペディアに来た読者が一番まともな情報に最も容易にたどりつける方法として、このような形をとっているだけです。さて、この「一番まともな情報」という表現については、ひっかかる部分があると思います。その点について以下でお話しします。
- 一方法論、一世界観という勘違いについて
- あなたはすべてを併置された思想上の対立としてとらえていますが、それがそもそもの、そして何よりの勘違いです。何かを説明できない理屈は別の理論によって説明される受身の対象でしかないのです。特に宗教のように言葉の定義が曖昧で、現在までの人類の知識との明確な対応関係を与えられないような理論では、それを主として説明をすることは百科事典を読みに来た読者に対する基本的な裏切りです。百科事典では対象を明確に説明できる理論が主になるのが当然であり、そうでない理屈は説明される対象として従の位置にならざるをえません。これは西欧由来である百科事典、つまり理屈で構成されることを前提とした百科事典が持つ、避けえない宿命のようなものです。たとえば記事音楽について考えてみると、一般のミュージシャンに「音楽とは?」と聞けば「音楽は理屈ではない、魂で感じるものだ」なんていう人は結構多いでしょう。少なくとも音楽の冒頭のような説明(音楽(おんがく)とは、川の流れなどで生じるランダムな音(これを音響学では雑音という)以外の、時間的に規則性がある・周波数に規則性があるなど、ランダムさが低い特性をもち、かつ人間が楽しむことのできる音のことをさす。)をする人は皆無でしょう。しかし百科事典というのはそういうものでしかありえないのです。例えばこんな冒頭文はどうでしょう?「音楽(英:Music)とは理屈ではなく魂でかんじるもの。」これでは即リバートです。なぜならこの理屈ではこれ以上何も説明できないからです。ですからこれは他の理屈によって説明される従の理屈にしかなりえないわけです。つまり「音楽は理屈ではなく魂で感じるものだ、という人もいる」という形でしか百科事典には登場させえないワケです。
- さて、以外に思うかもしれませんが私は結構 東洋系の宗教や哲学が好きです(詳しくはありませんが)。そこに「不立文字」という言葉がありますが、これはある意味でヴィトゲンシュタインの主張と同相であり、また言語科学や情報理論などと同じ問題意識を持った言葉だともいえます。しかしながら「とにかく不立文字だ!」と結果だけをポンッと述べて「なぜ?」「どうして?」という疑問に対して現代人の持つ知識とコヒーレンスな形での明確な説明を与えられないんでは、百科事典で説明するさいに利用する方法論としては向いていないわけです。
- 以上のような点に関して、あなたがプッシュする宗教が、いったいどれだけのことを語れる理屈なのか、もう一度再検討してください。そしてその際に当然現代の知識である科学(物理学や生物学、脳科学等々)の知見を前提として考えてください。現在の知識とコヒーレンスでない知識はそれだけですでに旧時代の理屈であり、現代の読者に読ませる理屈の候補として失格です。日本列島の起源に関して、日本書紀と地質学は並列した理屈にはなりえないでしょう。それと同じことです。最も明確な言葉で、一番対象を明確に語れる理屈だけが、百科事典の中心になるわけです。そうでないならどこぞの芸術家が言った次の言葉ひとつで、全ての記事を網羅できます。「○○とは・・・頭で考えるな、感じろ!」これではどうしようもないでしょう。Was a bee 2006年10月15日 (日) 15:15 (UTC)
項目数修正
[編集]下世話だけど結局はリンク数の大小が問題なんでしょ?それは個別の問題だからひとつづつ個別に考えるもの。参考までにTemplate:日本の歴史では色々問題(どの史観にするか)あったけど低限の項目に絞って決着したよ。スパムの定義を考えるよりよっぽど生産的だと思うけどね(哲学的オナニーは見るに耐えません)。つーか今のままでは見た目的にだめ。インフォボックスに収めたいから今の形にしましたっていうなら賛同できるけどそうでもないので、とりあえず最多項目からやり直しましょう。何か必要でないと思う項目は此処で議論してから消しましょう。--Forestfarmer 2006年10月18日 (水) 17:08 (UTC)
あと赤リンクは本人が記事を作成する意思がある場合のみにしてください。--Forestfarmer 2006年10月18日 (水) 19:27 (UTC)
ソックパペットショー
[編集]慣れているけど日本語版でソック疑いかけられたのは初めて。お互いに眉間に皺よってない?長文と心に響く文は違うお。論点を絞らないと泥沼化するお。--Forestfarmer 2006年10月18日 (水) 16:32 (UTC)
- Forestfarmerさん、ありがとうございます。確かに理屈を言ってても仕方がない。ということで、さっそく項目を一部減らしました。いかがでしょうか。因果律と言葉の行はまだ雑多ですが、取り急ぎ今日はここまで。Was a bee 2006年10月18日 (水) 19:24 (UTC)
「あと赤リンクは本人が記事を作成する意思がある場合のみにしてください。」書く気があるから、リンクしてるんですが遅筆ですよ。けどそれにしても、これ一体何のルールですかい。Was a bee 2006年10月18日 (水) 19:58 (UTC)
- 情報量が多すぎると最早それは情報ではありません。実用性の無い情報を削りたかっただけです。そうでなくても項目数が多いとの理由でのクレームがあがっているので必要の無い赤リンクを消したかっただけです。日本語版のウィキペディアは文系情報が少ないと思いますので勢威ある方の気分を削ぐような事をしてすみません。直します。--Forestfarmer 2006年10月18日 (水) 20:12 (UTC)
科学哲学のテンプレをやたらめったら貼るのをやめてください
[編集]科学哲学のテンプレをやたらめったら貼るのをやめてください。 帰納、演繹、命題などに科学哲学のテンプレが貼ってありますが、これらは明らかに論理学のトピックです。 確かにこれらは科学哲学とも関係があるでしょうが、科学哲学メインの記事では無いはずです。
その他にも科学哲学がメインでない記事に科学哲学のテンプレが多々貼られています。 実験や観測や複雑系も科学哲学がメインの記事では無いはずです。
もちろん、科学哲学にリンクしたり、カテゴリに入れたりするのは気にならないのですが、 あれだけ大きいテンプレを本来の分野を差し置いて書いてしまうのは「やりすぎ」ではないでしょうか。
219.35.138.30 2006年11月2日 (木) 14:55 (UTC)
確かに複雑系はちょっと遠いですね。しかし帰納の方は純粋な論理学の範囲内ではあまり議論されないのでは?どうでしょうか。なんにせよリンク元から微妙な記事をリストアップしてみました。
思考実験 (テンプレート呼出)
命題 (テンプレート呼出)
確率 (テンプレート呼出)
実験 (テンプレート呼出)
現象 (テンプレート呼出)
観測 (テンプレート呼出)
演繹 (テンプレート呼出)
帰納 (テンプレート呼出)
論理学 (テンプレート呼出)
複雑系 (テンプレート呼出)
遅筆ゆえ時間かかりますが、文章として記事内に情報を移す形で推敲していきます。Was a bee 2006年11月3日 (金) 00:40 (UTC)
日本人枠?
[編集]「人物」の段が2つあって、2段目には日本人だけが並んでいるのですがどういった趣旨なのでしょうか。--Extrahitz 2009年5月15日 (金) 04:17 (UTC)
- ご質問ありがとうございます。これはイタリア語であれフランス語であれどんな言語によって科学哲学を学んでも、必ず見る名前(クーンやポパーなど)と、日本語で科学哲学を学ぶと必ず目にするだろう名前(戸田山氏、伊勢田氏など)、という考えで設けてみた区分です。つまり国籍でなく、言語で分けてみました。というのも日本語圏でよく知られている科学哲学分野において精力的に執筆活動を行っている人物であっても、世界的には名前をほとんど知られていない、というのが普通だからです。そうした所から、ここは分けておいたほうがいいのかな、と思い、別段としました。--was a bee 2009年5月16日 (土) 18:29 (UTC)