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U168 (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

U168第二次世界大戦時のドイツ海軍の潜水艦IXC/40型[1]

艦歴

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ブレーメンDeutsche Schiff- und Maschinenbauで建造[1]。1940年8月15日発注[1]。1941年3月15日起工[1][2]。1942年3月5日[1]、または3月15日進水[3]。9月10日就役[1]。艦長はヘルムート・ピッヒ(Helmut Pich)少佐[4]

1943年3月9日、キールより北大西洋へ出撃[5]。「U168」はゼートイフェル、レーベンヘルツ、ラルケ、シュペヒト、フィンチグループに加わり船団攻撃に参加したが、戦果はなかった[6]。5月18日、ロリアンに帰投[7]

7月3日、モンスーングループ第一波の一隻としてロリアンを出撃してインド洋へ向かう[8]。9月、インド洋に到着[8]。10月2日、ボンベイの西南西80浬でイギリス船「ハイキン(Haiching、2183トン)」を撃沈[9]。次いで小型ヨットを数隻撃沈した[8]。11月3日、コーチ沖でカタリナ飛行艇の攻撃により軽微な被害を受けた[8]。11月11日、ペナンに到着[8]

「U168」は1944年1月28日にペナンを出撃してインド洋での通商破壊に向かった[10]。しかし、急性中耳炎を発症した士官が出たため2月3日にペナンに戻った[10]。入院した士官に代わる人員を補充した「U168」は2月7日に再び出撃した[11]。「U168」は2月14日にセイロンの南西でイギリス海軍のSalvage vessel「HMS Salviking」を、2月15日にアッドゥ環礁の北でギリシャ船「Epaminondas C. Embiricos」(4385トン)を沈めた[12]。また、2月21日にはノルウェーのタンカー「Fenris」(9804トン)に魚雷を命中させて損傷させた[13]。3月、「U168」は給油を受けるため補給船「ブラーケ」との合流に向かう[14]。しかし「ブラーケ」は撃沈されていたため、「U168」は同船乗員を救助して3月24日にバタヴィアに着いた[15]。「U168」が救助した人数は100から150人とされる[15]

1944年10月5日、修理のためスラバヤへ向けバタヴィアを出港[15]。10月6日、「U168」はオランダ潜水艦「ズヴァードヴィッシュ」により撃沈された。「ズヴァードヴィッシュ」は「U168」の情報を得てバタヴィア沖へ向かい、10月6日早朝に「U168」を捕捉[16]。魚雷6本を発射し[17]、1本が「U168」の前方の魚雷室に命中、さらにもう1本が命中したが、そちらは不発であった[16][18]。この被雷によって「U168」は沈没し[16]、23名が戦死[1]。ピッヒを含め27名が「ズヴァードヴィッシュ」に救助され、そのうち士官と負傷者計5名を除く22名は近くにいた漁船に移されて解放された[19]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g The Type IXC/40 U-boat U-168, uboat.net
  2. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』143ページによれば1940年10月1日建造開始。
  3. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』143ページ
  4. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』143ページ。The Type IXC/40 U-boat U-168, uboat.net
  5. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』144ページ。War Patrols by German U-boat U-168, uboat.net
  6. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』145ページ
  7. ^ War Patrols by German U-boat U-168, uboat.net
  8. ^ a b c d e 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』146ページ
  9. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』146ページ。Haiching, uboat.net
  10. ^ a b 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』148ページ
  11. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』148-149ページ
  12. ^ HMS Salviking, uboat.net。Epaminondas C. Embiricos, uboat.net
  13. ^ Fenris, uboat.net
  14. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』149ページ
  15. ^ a b c 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』150ページ
  16. ^ a b c 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』152ページ
  17. ^ HNMS Zwaardvisch (P 322), uboat.net
  18. ^ HNMS Zwaardvisch (P 322), uboat.netにある「ズヴァードヴィッシュ」の記録には、ドイツ軍捕虜によれば3本が命中したが爆発したのは1本だけであった、との記述がある。
  19. ^ 内田弘樹『日の丸を掲げたUボート』152-153ページ。HNMS Zwaardvisch (P 322), uboat.net

参考文献

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