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利用者:味っ子

PDこの利用者によるウィキペディアへの寄稿物は、その権利が放棄されパブリックドメインの状態にあります。

2005年1月30日アカウント作成

2004年12月末頃から、主に歴史関係の編集をしています。

この利用者は「ウィキペディア合戦・騒動・人物伝」ブログを運営しています。

 ブログはじめました。


新規・加筆項目

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新規作成した項目

(ある程度の分量)加筆した項目

IPで新規作成した項目(2004/12/26-2005/01/29まで、憶えているもの)

飛鳥時代

平安時代

源平合戦

戦国時代

IPで(ある程度の分量)加筆した項目(2004/12/26-2005/01/29まで、憶えているもの)

新規・加筆予定

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  • 霜月騒動:適当な資料を入手したので。
  • 安達泰盛:適当な資料を入手したので。
  • 橋本龍太郎・・・年表式の経歴のみ。
  • 壬申の乱・・・「戦争の日本史2 壬申の乱」(吉川弘文館)を買ったので、戦争の経過部分をある程度詳しく。例によって地図を作成する。
  • 武田晴信の信濃経略…項目名がこれで良いかどうかやや疑問。川中島の戦いを調べている間に脇でいろいろ勉強し直したから。単著や単独記事になる戦役なので項目があってもいいでしょ。ただ、気分的にやや信玄ものに飽きているので後回しになるかも。1万バイト越えの見込み。関係図は川中島の戦いでつくったものを手直し。
  • 後北条氏・・・よく読んでみたら。項目の構成が酷いことが分かった。「概要」節が早雲の事績で、次が「拡大」「軍事面での評価」「内政面での評価」云々で氏綱や氏康のことって項目のつくりとして非常におかしい。複数人がてんでに手を加えることが悪い方向へ向かった模様。小手先ではどうにもならないと思う。リスト関係以外は全面的に書き直して、事績を中心に評価だの意義だのを交えない方向で大幅に加筆する必要がある。

自作画像

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記事を書いていて地図がないと地名の位置関係とか軍隊の行軍進路とか書いてる自分でも分りにくいなと、かねてから思っていまして、下手を承知で地図類を自作してみることにしました。見ての通りの手書きのあっさりしたものです。将来(5年後なのか、10年後なのか知りませんが)どなたかがもっと見栄えのいい地図をつくられましたら遠慮なく差し替えてくださって結構です。

寂しいと思う項目

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なんか記述が物足りないと思う記事。積極的に加筆する気は今のところない。

遣唐使道鏡騎馬民族征服王朝説伊勢氏西夏

  • 神功皇后:日本書紀などに書かれた事跡がほとんど書かれておらず論考の類が主になっている。
  • 佐伯又三郎:まるで項目の体裁になってない。見ると2004年に箇条書きのメモ的に書かれたものがそのままになってる。日本語版の初期はこういうのが多かったんだろうな。
  • 坂本龍馬:生涯が箇条書きの年表。。。履歴をチェックしたところ、1年ほど前にあるIPが箇条書きの年表形式にしちゃったんだな。

ウィキペディアについて思うことをつらつらと

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  • だみだこりゃと思った。まぁ、もう二度と余計なことはすまい。しょせん、わたしは場所借りて遊んでるだけの身だし、なにが出来る訳でもやる気もないし。いまはとりあえず回っているようだから、将来、行き詰まったらあの人たちもなんか考えるベ。(2007年2月4日)
  • 太平洋戦争日露戦争が保護されっぱなし。保護されている項目をながめるとお隣の国々や先の大戦とからむ項目が多い。意見の対立が起きやすく、とくに過激かつ非常識とも思われる編集を強行しようとするある種の人々が後を断たないようだ。安倍晋三など政治家、綾瀬はるかなど有名芸能人関係でもひとりよがりな編集を強行しようとする人々がいる。はっきりしていることは彼らとの合意の形成は不可能であることである。よって、日本語版ではこれらの項目は永遠にまもとにならない。でも、それでいいのだろうか?
しかしながら問題を引き起こすユーザーはごく一部である。大部分のユーザーはまともな編集をして、まともな項目を読みたいと思っている。過激かつ非常識な主張を強行しようとするごく少数の人々によってそれができない。特に注目度の高い重要な項目ほどである。彼らの動きを効果的に封じる策はないものか。現状は目に余る問題ユーザーはブロックで対応しているが、手続きに手間がかかるし、ソックパペットを次々に繰り出してくるし、お隣の国々にからむ問題だと一人、二人ではない、異常編集者は次々に現れる。イタチごっこだ。
これは大規模な新システムの導入を伴うために、あくまでも実現性の低い妄想に過ぎないが、ユーザーが他のユーザーを評価するシステムを導入してはどうだろう。Yahoo!オークションのユーザー評価システムみたいなもの。ある一定数の好評価を受けているユーザーには優良ユーザーと見なされて★印がつくとか。これを仮にウィキエリートとする。
評価権を有するのはログインユーザーでログインしてから1ヶ月できれば3ヵ月、半年を経過したアカウント。ハードルはそれほど高くせず例えば30ポイントの好評価でウィキエリートになる。更にウィキエリートによる評価は一人で10ポイントとする。これにより、三人のウィキエリートの推薦により新たなウィキエリートがつくられる計算になる。
重要なのは悪評価もできること、通常ログインユーザーはマイナス1P、ウィキエリートはマイナス10P。とうぜん問題ユーザーはどんどんマイナスがたまり、ウィキエリートになれない。ウィキエリートとは良執筆者と言うよりも、明らかに変な編集をしない人々なのだ。
この評価点は公開せず、何点なのかは本人も分らないようにする。ある日突然★がつき、ある日突然★が消えるのだ。これは本人も評価点が変動する様子を見ると気分が悪いということと、あと何点でこいつを引きずり落とすことができるという票読みをできなくさせるためである。あとユーザーの設定で他者からの評価を拒否することもできるようにする。このような人はもちろんウィキエリートにはなれない。
もちろん、一人のユーザーに対して1回しか評価できない。好評価を取り消したり、悪評価に切り替えることはできる。
これの意味は何かと言うと、問題ユーザーの動きを封じることにある。現状では編集保護は半保護と保護の二段階。これを半保護と保護と完全保護の三段階とする。保護状態は管理者とウィキエリートのみが編集できるようにするのだ。これで恒常的に紛争が起き易い項目から問題ユーザーを締め出せる。そして、ウィキエリート同士が編集合戦を起こす場合はやむなく完全保護とする。一定の評価を受けているウィキエリートなので何らかの合意は可能と見込まれる。
ウィキエリートは比較的活発なユーザーがなるのが見込まれるので、数的にはユーザーのごく一部でも割合に編集は進むのではないか。
もちろん、多重アカウントによる投票操作などの対処策の問題はあるが、現状の解決策のひとつになりうるのではないか。もちろん、こんなシステムが導入されるとは思わないけど。(2007/01/19)
  • ウィキペディアの現状を考えるとわたしがはじめた2年前よりはだいぶ項目が整備されたと思う。2年前は日本史だけを見ても百科事典としてかなりの必須項目もなかった。しかし、その記事内容を見ると依然としてかなり寂しい項目が多い。日本史以外ではカンブリア紀なんかが寂しい記事の事例となる。
わたしの見立てでは2004年頃に日本語版が世間に知られるようになり。その頃に大量に「とりあえず」の意味の項目がつくられた様子だ。その後に成長した記事もあるが、中には「とりあえず」のままで三年近く残っている項目も少なくない。カンブリア紀なんかは、ある日、誰かが気合を入れて一気に加筆するか英語版の翻訳をするであろう。ただ、それは明日になるか5年後になるか分らない。ウィキペディアはそういうまとめて書く少数の人たちによって記事が充実されていると思われる。
日本語版ウィキペディアが今後どうなるかをちょっと考えてみる。5年後、項目数は増大して100万項目を突破している。しかし、その増えた大半がどうでもいいような項目のしかも1000バイト以下のスタブであろう。スタブの初版のまま何年も加筆されず、そもそも閲覧する人自体がいない。単なる思い付きで立てられたマナイー芸能人やマイナー文化人、道路、雑学の類の項目なのだから。重要項目の内容にしても充実しているものは充実するが、依然として寂しい項目も多い。カンブリア紀は依然として寂しいままかもしれない。
10年後、200万項目を突破。もちろん、この間に増えた項目の大半はいよいよゴミスタブ。しかし、重要項目の内容はほぼ完成の域に達している。さすがにこの頃にはカンブリア紀も完成している。一方で、わたしが手掛けているようなセミマイナー、マイナー項目については年単位で編集されなくなっているだろう。根本的に書くことがなくなっているのだ。誤字脱字、スタイルも完全に直されている。とにかく、かなり使い物になっている。
20年後、日英機械翻訳がほぼ実用の域に達する。今よりも遥かに向上しているが、依然としてあちこち補正が必要になるレベルのもの。この(ほぼ)実用機械翻訳がウィキペディアのプロジェクト自体に革命をもたらすと考える。実用機械翻訳というのは非常に大きなビジネスで、開発に成功すれば莫大な利益を生み出す人類文明史上の大革命だと考える。神によってバベルの塔が倒されたときに、人は共通の言葉を失った。それを取り戻すぐらいに重要な文明上の革命なのだ。
それぐらいに、重要なプロジェクトなので、その開発と翻訳精度の向上にウィキペディアを利用したいと考える企業は必ず存在する。今は機械翻訳のコピペは著作権の関係とやらで御法度だが、企業が公式に提供すれば全く問題なくなる。巨大な英語版をベースを利用者たちがこぞって各国語の語彙のデータを集積するメリットは大きい。無償ないし財団に対価を払ってシステムの提供を申し出る企業は複数出てくる筈だ。その結果、各言語版固有の項目が英語版に大量に翻訳される。日本語版からだと日本史の事件や人物の項目が大量に輸出される。そして巨大化した英語版から各言語版へやはり大量の翻訳が行われるであろう。そのプロセスを通じて膨大な語彙と文法のデータが集積され提供した企業にフィードバックされる仕組みだ。これは機械翻訳にとって巨大な資産となる。この結果、英語版をはじめとする主要言語版は驚異的な成長を遂げるであろう。
30年後、機械翻訳は完全に実用レベルになり、日常生活で普通に使われるようになっている。言語の壁はなくなり、バベルの塔が再建された世界。今度は逆にウィキペディアでの翻訳作業はあまり行われなくなる。なぜなら、利用者は必要なら機械翻訳で各言語版を直接読めばいいから。この時代には機械翻訳を通して現在はバラバラの各言語版のプロジェクトが一体化されることになろう。そうなると、各言語版の意味は各国の史観、価値観の違いになる。
機械翻訳を通して財団が利益を得ていればそれは巨額なものになっている。それを活用しての定本版がつくられると考える。定本版では各分野の専門家に査読を依頼して行われ、それを各言語版から選ばれたウィキペディアンが助ける。彼らを仮にウィキ・エリートと呼ぶ。専門家とウィキ・エリートには必要な報酬が支払われ、仕事量に応じてバイト代程度からそれで生活できる程度まで。なにをするかというと、ウィキ・エリートが各言語版から必要な項目を選別して持ってきて、それを専門家に査読してもらって項目を完成させる。ウィキ・エリートはどういう人たちかと言うと志願した人で、活動する各言語版から推薦され、担当分野について一定の知識があり、偏った考えに固執してトラブルを起こさない人たち。要は偏ったサヨや嫌韓廚、電波など変でない人たち。彼らは(英語版とは別に)英語をベースに機械翻訳を活用して粛々と定本版を作成する。定本版に収録する項目は各言語版から幅広くだが、思いつきやイタズラでつくられたゴミみたいな項目は載せない。んで、実は9割方は使わなかったりする。
具体的にどういうプロセスが行われるかというとウィキ・エリートが必要な項目を各言語版から探してきて定本版に移植。各言語版を読み比べて記述を統合して、スタイルを整えたり、明らかに間違った情報や偏った価値観、個人的な感想などの不必要な記述を削る。この草稿をアップして、他のウィキ・エリートたちに見てもらって、必要ならあーしたらいい、こーしたらいいと直す。この作業で1000バイトにつき1ドルとか支給される。日本人と韓国人が史観で喧嘩するかもしれないが、そこはウィキ・エリートなので他国人の仲裁などでなんとか中立的観点で合意に達すると思う。それでも意固地になる変な人はプロジェクトの邪魔になるから容赦なくクビ。
草稿が出来上がったらプロの専門家に査読してもらって項目は完成。専門家にも1000バイトにつき1ドルとか支給。作業量が多いのである程度の完成までには数年を要するだろう。完成すると人類の知識の集大成ができあがるわけだ。厳密には完成はしない未来永劫作業は続くけどね。そんな未来予測を立ててみました。(2006/11/27)
  • 変な人についての話。かなり前だけどとある項目、変な加筆を見つけた。かなり変なんで差分を見たら全般的にちまちまと変にされてる。運良く固定IPなんで投稿記録を見たら、2日前から編集を始めた人だった。あちこち、たくさん編集している。いくつか見たら、やはり少しづつ変にされてる。どうも、変な思い込みを持っている人らしい。直感的にこれはすぐに直すと相手が変な人なんでムキなになられて編集合戦になると思った。編集合戦の行き先は保護。個人的に保護は見苦しくて大嫌いなので、静観することにする。変な人に目を付けられて粘着されるのもイヤだし。ここ数日盛んに編集しているけど、こういう人は思考の幅が狭いので書くことがなくなり、たぶん長続きしないだろうと思ったし、続いたら続いたで変な人だからどこかでトラブルを起こしてブロックされるのは必定。それを待つことにする。そのIPを監視していたら4日目ぐらいで息切れをはじめ、一週間目ぐらいに活動が停止した。しかし、まだ見ている可能性が高く、すぐには手を出さない。二週間待つことにする。7日、10日、よしよし活動停止のままだ。そのまま動くなよ、と思ったら12日目に1回編集しやがった。まだ生きてやがる。また2週間待つことにする。10日、12日、13日、よし今度は活動停止したままだ。14日目、こっそりリバート。気付かれると不味いのであえて要約に「revert」とは書かない。もちろん、変な人に目をつけられるとイヤなのでログアウトしてIPで編集。その他の項目もIPで直して回る。幾つか既に誰かに直されているものもあった。まあ四週間その項目の記述が少し変だったけど、大勢に影響はないと思いますし、その変な人も既にウィキペディアに飽きていたでしょうからトラブルにならない。変な人への対処法のひとつです。(2006/11/27)
  • 古代史の項目を見てると九州王朝説の記述が目につく、あれ何とかならんもんだろうかねぇ…。どうも頑張っている人がいるみたいで、面倒もイヤなんで手は出さないことにしている。しかし、かつて九州王朝説よりも遥かにメジャーだった異説の騎馬民族征服王朝説の項目のこの寂しい有り様を見るに、時が解決してくれると思う。ずっと先のことだけど、古田先生が亡くなって5年ぐらいたったら、古代史の項目の九州王朝説に関する記述は消して回り、記述は全部九州王朝説の項目に押し込めてしまうことを密に考えています。ちなみに、誰も書かないなら騎馬民族征服王朝説については、そのうち一通りの概略は書いておこうと思います。日本史的には九州王朝説よりは重要だろうし。(2006/11/26)
  • ウィキペディアを2年近くやってて思ったけど、みなが少しずつ加筆してゆくというのは半ば以上間違いだね。初版かそれ以降にでも誰かが気を入れてまとめて一通りのことを書かないとダメだと思う。言っちゃ悪いけど新規項目を見ると9割方がゴミみたいなスタブである現状を考えるにユーザーの9割はまとまった記事を書くことができない人だと思う。それは仕方がないのだけど、性質(たち)が悪いのが偏向した下らない加筆や単なる個人的な感想、明らかに間違った思い込みによる編集をやる輩がいる。んで、そういう輩に限って変に頑張るから始末に悪い。その結果、ひどくバランスの悪い記事が出来上がる。もちろん、そんな輩はまともな記事なんて書けないし、書いて欲しくもない。彼らに共通するのは思考パターンが非常に偏狭なんだ。下手にいじるとなにが楽しいのか暇なのか粘着して荒らしはじめる。わたしらあたりの素人はそんなものかと思ってればいいけど、その分野のプロの人がせっかくボランティアで書いてやってもその後で変な編集されたらさぞ呆れるだろうなと思うのですよ。プロは結構偏屈な人も多いしね。このあたりがプロの人がなかなか参入してくれない理由の一つだろうと思ってしまう。そんなウィキペディアなので、書くときは書けることはまとめて書いてしまうべきと考える。スタブ貼っておけば、そのうちにみんなが少しずつ加筆していつか完成するなんて到底信じられないのだ。わたしの執筆した項目なんかはややマイナーなのが多いせいか、半年、1年まったく編集されないのがザラである。たまに編集されても誤字修正程度。結構、日本史的には重要な項目も多いのにこの有り様だと、予言するけど、ウィキペディアが今後30年、50年続くとしてわたしの書いた項目の文章の多くは、素人のわたしが書いたほとんどそのまま残っていると思う。ちなみに、70年後あたりからは状況は変わるだろう。20世紀半ば以降の著作権が切れるから、その時代の百科事典やら本の記事が遠慮なくガシガシぶち込まれるであろう。(2006/11/26)
  • 明徳の乱応永の乱を全面的に改稿。とりあえず経過について一通り書いたつもり。通説主義者なので通説どおり。新説、異説の類はあまり好きじゃないもので。新しい試みとして明徳の乱で簡単な図を下手を承知で自作してみる。天誅組の変を加筆したときに思ったけど、地名の位置関係とかが自分で書いていても分りにくい。至極あっさりした図だけど無いよりはマシと思う。5年後、10年後でも絵心がある人がもっといい画像に差し替えればいいと思います。(2006/11/26)
  • 大物承平天慶の乱を書き終えて、改めて今まで自分が執筆・加筆した項目を勘定すると95項目になった。あと5項目で100項目になる。もう少し、頑張ってみよう。中世・古代がほとんどだけど、特に好きな分野というワケではなく、本来は人並みに戦国、幕末、三国志、第二次大戦が好きな人です。今年の大河ドラマが『義経』なので、気分が源平になっていたところから、なんとなく遡って中世・古代を手掛けています。それと、この分野は赤リンクが多かったということもありますが。しかし、そろそろネタ切れかなと思う今日この頃。あと平忠常の乱あたりを書いたら正式にネタ切れになるかもしれません。(2005/08/22)
  • 執筆にあたっての資料は一般書や雑誌です。しょせん素人ですから研究論文や原史料にあたることはまずできません。それでも複数のソースを使うように心がけています。ネットに関しては最終確認に検索して見ます。全く同文になっていないことを確認するためです。後で転載だの「なんとなく似ているような気がします」(仮にこんな理由で自分の項目が削除依頼されて晒し者モノにされたらスゲ-腹立ちますね)だのなんだととやかく言われるのは嫌ですから。最近、「六国史」の原文のテキストを手に入れたので、これの特に薨伝を活用すると奈良・平安時代初期までの人物伝はかなりカバーできます。この時代の人物の史料は事実上「六国史」だけといえますから。それで正躬王山村王を書いたのですが、メジャーな人物の項目がなかったりスタブの現状で、このようなマイナーな人物をやたらに書く必要があるのか疑問に感じてはいます。(2005/08/22)
  • 執筆にあたっては、自分が書けることはひととおり全部書いてアップする方針です。「後で少しずつ完成させる」は、およそ上手く行かないと考えます。途中で飽きて中途半端な文章になるのが目に見えています。個人的に5~6行しかない、スタブは好かないので、自分にはそういうモノしか書けそうもない記事は手をつけないことにしています。(2005/08/22)
  • (あくまで日本史関係について)メジャーな項目についてはかなり整備されてきていると思います。しかし、百科事典なら掲載されているであろうセミ・メジャー?な項目については、未だ弱い印象があります。例えば、藤原薬子。普通の百科事典なら必ず掲載されている人物なのに、わたしが書き込むまでありませんでした。他にも藤原種継藤原百川など重要人物が未整備なままです(2005/08/22現在整備済み)。つまり、戦国大名や幕末の志士、新選組、三国志は一般に関心のある人が多いが、奈良・平安時代はこれに比べると関心のある人が少なくなります。こういった元々人口の少ない分野の書き手をいかに惹きつけるかが、ウィキペディアの発展のための課題になるでしょう。(2005/01/31)

コミュニティー機能の強化をして欲しい

  • ウィキペディアは掲示板ではないと言われればそこまでなのですが、ここは私のページなので勝手に話を続けさせて頂きます。わたしは2ちゃんねらーです。そんで、2ちゃんねると比べるとウィキペディアはコミュニティー機能が非常に弱い。はっきし言って、ノートは書き込みにくい、掲示板としては使いずらいです。ノートの仕様を、例えば2ちゃんねるのスレッドのようなものにできれば、ノートの利用頻度はぐっと高まると思います。何よりも、書き手としては読んだ人の反応が知りたいのですね(もちろん、良い反応ばかりではないのでしょうが)。ノートでの議論が盛んになれば、おのずと本文の方もそれに連れて書き込まれ整備されていくと考えます。もちろん、仮にノートが書き込みやすくなったとしても藤原成親のノートに書き込む人が本当にいるのかという問題はありますが。(2005/01/31)
  • ただ、このために必要なことは項目のカテゴリーの区分けをすることでしょう。今の「最近更新したページ」は全てのジャンルが表示されます。これ沢山ありすぎです。仮にノートが書き込みやすくなって、本当に2ちゃんねるみたくなったら、カテゴリーの整理されていなくて使いにくくて仕方なくなります。正直言って、わたしは駅やアニメのキャラクターの更新には関心がないです。(わたしは)歴史関係の項目の更新だけを知られればいいなと考えています。また、そうでなければ、(使いにくくて)議論が活発化しないでしょう。項目が2ちゃんねるのスレッドみたいな役割を果たせればいいないと、考えます。もちろん、今からカテゴリー分けをすることが大変に難しいことは理解しています。でもまあ、ここはわたしのページですから。(2005/01/31)

英語版はすごい

  • 英語版は凄いなと常々思います。日本史関係以外は、とりあえず英語版を読んでおけばいいと考えています。日本語は日本人しか使わないけど、英語は単純に考えても米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの人たちが使っています。これだけで、利用人口は日本語の3倍、4倍。あれだけ、項目も本文も整備されていると、コミュニティー機能の強化云々なんて、余計なことを考えなくていいのかもしれませんね。サーバの負荷も多くなるし。(2005/01/31)

つねづね変だなと思うこと

  • 奈良小1女児殺害事件が保護されている。保護されているということは書き込めないということだ。どうやら容疑者の氏名が書き込まれたかららしい。普通にマスコミで報道され、ネットのサイトにもあちこち書かれているのに、何か問題なのだろうか?警察に発表された容疑者の氏名を報道することは日本では合法行為である。例え、冤罪であってもだ。サイトの場合はずっと残るという話もあるが、それを言えば新聞だって図書館に残っている。冤罪事件で、掲載された新聞を全国の図書館から廃棄させたというわたしは話を聞いたことがない。もしも、冤罪で無罪になったらウィキペディアが訴えられるとでも日本版の運営者たちは、まさか本気で考えているのだろうか??日本版の運営者たちは、もっと神経を太く持てないものだろうか。(2005/01/31)
  • ウィキペディアの日本版では容疑者はダメだが、被害者名もダメである。普通に報道されて新聞社のサイトにも載っているのに。英語版では、数年前に日本でも話題になった美少女殺人事件の被害者の項目があり、そこにはマスコミに容疑者扱いされた両親の名前まで書かれている。日本版の運営者たちはアメリカ人ぐらいに神経が太く持てないものだろうか。(2005/01/31)
  • 一方で、オウム事件関係の記事があり、麻原彰晃の項目ももちろんある。裁判のことも書かれている。判決が確定するまでダメなら、麻原彰晃はダメなんじゃないか?でも、これはいいらしい。オウム事件関係では被害者名の事件の項目(弁護士公証人役場事務員)まである。運営者の判断基準がいまひとつ分からない。(2005/01/31)
  • 日本人拉致問題では、拉致被害者名が消されている。あれほどマスコミに出て拉致問題の解決を訴えているのにウィキペディア日本版ではダメらしい。これこそ日本史に残る重大事件だろうに、一般の感覚と少しずれているのではないかと思ってしまう。(2005/01/31)
  • 北朝鮮」の表記をせっせと直して回っている人がいるらしい。もちろん、わたしは北朝鮮利用派である。なぜなら、朝鮮民主主義人民共和国では長すぎ、北朝鮮は日本では普通に使われているからだ。この人の活動のために北朝鮮関連の幾つかが項目が保護されているらしい。正直、話し合って結論の出る問題でもないし、先方も決して納得しないだろう。この人の好きにさせてやればいいのではなかろうか、この人が直して回っても、別の利用者たちがすぐに元に戻すだろう。そうなると数の勝負だ、彼とて24時間寝ずにPCに張り付くことはできない、やがて彼が根負けすることは目に見えている。そういう回復能力がウィキペディアのシステムの強みだと思うのですよ。日本版の運営者は多少のことは放置する勇気を持てないものだろうか。(2005/01/31)