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利用者:石川入婿

議論がループして進まない邪馬台国論争を整理しています。

邪馬台国について、当時の陸運、水運、邑、鉱物、水産、農産、その他を想像すると、とてもスリリングかと思います。 卑弥呼が魏に始めて難升米、都市牛利を使者として送ったのは238年か239年か。 238年だとまだ公孫氏が存在している頃。 239年だと使者が謁見したのは明帝が病気になり、翌月には死去した月。

基本的に、どうみても、かぶってる、足りない、矛盾してる、長すぎるという記述以外は触りません。 それも、シンプル・イズ・ベストだとは思いますが、他の方の書き込みの本旨を変えてまで削ろうとは思いませんし、そもそも史料批判ができるほどのスペシャリストタイプではなし。その代わりに補足を入れるので、私が関わったページは長くなっていきます。 異見の多様性とざっくり統合が好みです。