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利用者:Usarsose

横浜市14歳少女虐待自殺事件

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14歳女子虐待自殺事件とは、1980年(昭和55年)に神奈川県横浜市で起きた当時14歳の少女の虐待自殺事件である。俗に、「ヴァンパイア事件」とも言われ、父親が日頃から少女の生き血を啜っていたことや、自殺後に切断された手首に唾液が付着していたことからそう呼ばれるようになった。

事件の概要

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1980年 (昭和55年) 12月25日深夜、当時14歳の日海 さく(ひうみ さく)が行方不明となり、母親によって捜索願が出され、神奈川県警が調査。

その後、日海さくの父親(当時34歳)と少女の母親(当時32歳)を任意事情聴取。父親が「娘が自殺したので工場に捨てた」と供述。翌年1月18日、横浜市保土ヶ谷区にある廃工場で、供述どうり日海さくの遺体が見つかった。そして日海の母親と父親は死体遺棄および死体遺棄罪逮捕された。

少女は手首を切断された状態で死亡していた。

日海さくの下着の中に挟められていた遺書と思われる紙には「おかあさんだいすき」という言葉が小さな字で32行にわたり記されており、紙の裏には「12月25日 2時00分にわたしは自さつしました。」と記されていた。

日海さくの顔や身体に、生前から打撲痕切り傷があることを被疑者追及すると、日海さくは日頃から父親からの虐待を受けており、その事は母親も知っていたが、恐怖から止めることが出来無かったという。

少女への虐待

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木製の板やゴム製のバットで殴打する、床に叩きつけるなどの非常に激しい折檻を毎晩長時間にわたって与え続けた。また、ベランダに締め出し、寒空のもと防寒・寝具なしで寝ることを強要され、日海さくは冷たい床にシート1枚という劣悪な環境下に連日晒された。

そのため肺炎を患っていたが、病院で診てもらえるはずもなく日に日に症状は悪化していった。

日海さくの一日の食事は残り物のおかずを少しとペットボトル一本分にも満たない水だけであった。父親に隠れて母親が与えていたこともあったみたいだが、到底14歳の少女にとっては足りうるものではなかった。

そのため日海さくは過度の栄養失調状態であった。肺炎を患っているにも関わらず、肺炎の薬も一切受け取れずに空腹の喉の渇き等で非常に苦痛であったとみられる。そのため日海さくは衰弱していき、自殺をする数日前には立つこともままならなくなった状態で嘔吐失禁を繰り返していた。その度に父親からの激しい折檻を受け、この状況下で日海さくが受けた苦しみは計り知れない。

父親について

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父親には娘を虐待していたという認識はなく、あくまでも""と言っていたが、身体に残された複数の打撲痕や切り傷をみれば明らかな虐待だった。

そして日頃から日海さくの手首をカッターで切っては、その生き血を啜っていたと母親が証言している。目的は明らかにされていないが、母親の話によると、父親の異常な性癖であったという。

日頃の父親の吸血行為、そして自殺後に切断された手首から唾液が検出されたことにより、「ヴァンパイア事件」と名称づけられた。