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利用者:Yugui

YuguiあるいはYǔguì

数学板の香具師が物凄い勢いでwikipediaを弄るスレから2003年6月20日にやって来た。IPユーザーとして小さな編集を繰り返した後、7月11日非ユークリッド幾何学を書いたのが最初のまとまった投稿。その日の晩、継続的に参加することに決めてログインする。

自己紹介

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編集上の姿勢に影響を与える可能性のある私の性質を列挙するなら、こんなものです。

挨拶と自戒

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上記のような立場故に、一部の話題については私の個人的な視点はいくらか偏っている可能性があります。Wikipedia:ウィキペチケットには「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」とあります。偏った視点は中立的であることを妨げます。事実、過去に幾つかの記事で偏った視点の指摘を受けました。

しかし、私が完全には中立的であることができないとしても、そのことを私が心に留めて注意を払い続けるならばその害は最小限に抑えられるであろうと考えます。そして、執筆者が必ずしも十分ではない日本語版ウィキペディアの現状にあっては、そのような人間でも些かは役に立つであろうと信じています。


主に執筆・編集している分野

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数学関連
一応専門であるし、自分の知識の程度も顧みずに書けるところは書いている。
ジェンダー論・関連
ジェンダー論に関しては他の人の執筆が活発になってきたので、最近はあまり書かない。
クィア関連はあまり執筆者がいないので少しずつ書いている。
コンピュータ関連
気が向くと書く。執筆者は十分ではないものの、それほど少なくもない分野と思える。

あるものを体系的に十分に説明するためには、その背景として、説明すべき内容の10倍の知識が必要である。こうしてみると、私の知識の10分の1というのは本当に少ない。


メモ

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執筆途中のもの、加筆準備中のもの

いずれ直したい記事

  • 小数 - 級数の収束のあたりは説明が簡潔すぎるので、大学一般教養レベルの前提知識が必要かも知れない。中学校レベルの知識で理解できるようにしたい。各国の表記法。
  • クラス - http://www.cs.utexas.edu/users/wcook/papers/OOPvsADT/CookOOPvsADT90.pdf, Simula, Smalltalk, 基礎論のクラスについてもいつか書きたいが、難しい。
  • 整数 - 「あと一歩の記事」らしいので何とか「秀逸な記事」にしたいところ。負の数の導入するにあたっての歴史とか、自然数からの構成法とか……。後は何があるだろう?

参考資料

記事新設についての考察

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ウィキペディアに於いて何が記事になるべきであり、何が記事になるべきでないのかを考えてみる。勿論、今までに幾人ものウィキペディアンがこの問題に関心を持ったし、井戸端の話題になったこともあった。[1]それを踏まえた上で私なりの考えを書いてみる。

品詞

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百科事典の記事名は原則として名詞である。世界をいくつもの概念の集積として切り分けるために名前があり、百科事典は概念について体系的な知識を提供する物だからと思われる。概念を識別するための識別子こそが名詞である。

しかし、名詞以外の単語が執筆の対象となることもある。走る煮るは、果たしてこれを執筆の対象とすることが適切なのか、あるいは対象となるとして記事名は適切であるのかが問題となった。議論は決着していないように思えるが、これらの記事はそれなりに充実してきている。

また、歴史的な変遷が深く研究されている単語に関してはそれを記すことで品詞に関係なく興味深い記事が出来上がる。しかし、1行で説明される程度の俗説だけが知られている単語について記事を書いてみても、それは国語辞典との区別が付きにくい。それはウィキペディアで望まれている記事ではないかも知れない。

大項目主義

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全ての名詞に対してそれぞれ1つの記事が対応している必要はない。記事は複数の対象について述べるべき場合がある。

同義語・表記揺れ

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明らかなものとして、同義語や表記揺れ(外国語の音訳など)はリダイレクトで解決されるべきである。この点については既にコンセンサスが形成されているように思える。 勿論、統合された同義語たちについては「……ともいう」という形で冒頭部に言及があるべきである。例:オイラー関数


しかし、どの言葉を中心とし、どの言葉はリダイレクト化されるべきであるのか。その選択は時としてとても難しい。歴史的な経緯や政治的な問題が関係することもある。特に対立する論者の間で用語法が異なっている場合、中心として選ばれた言葉は他のリダイレクト化された言葉に対して何か権威を持っているかのように見えてしまうこともある。これは中立的でない。

もし、そのような複雑な事情によって1つの対象を表す複数の言葉を1つの記事に集約することができないならば、分割もやむを得ないかも知れない。しかし、それらの記事では分割せざるを得ない背景を記事の一部として説明した上で、対する言葉についても簡単に説明し、クロスリンクを張るべきである。これによって、読者は両方の立場について理解する機会を得る。また、マイナーな用語法が何か一般性や正統性を持つかのように見えてしまうことも防げる。

対義語

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背反概念・対義語は統合されるべき場合がある。互いに他との差を述べることでしか定義できないとき、これらの記事を分割することは理解の妨げにしかならない。他方について知ることによってこそ、そのものについても深く理解することができる。

従属

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Aが一般にはBに従属する概念であるとき、AはBの記事の中で説明されるべきである。 想定される読者の前提知識についても考える必要がある。

断片化を避ける

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「従属」と似る部分もあるが、体系だった知識を提供するためには複数の概念を1つの記事に集約することも必要である。数学記事における大項目主義について出でやるさんが考察していた。 無数の断片的な興味深い知識を述べるだけでなく、それを体系化して提供してこそ百科事典である。

体系化する過程で関連する概念について述べることが必要になる。2つの密接に関連する概念が互いに詳細に言及し合うとき、2つの記事は必然的に統合される。

環論の記事は良い例だと思う。整域は極めて重要な概念ではあるが、定義上はとの差がわずかでしかない。そのため、環と同じ記事の中で説明されるべきである。更に、環を研究する学問が環論であるのだから、環を述べることは環論を述べることと非常に近い。

一般に、良く分からないものを一定以上の時間(時にはリンクをクリックして画面が切り替わる間さえ)記憶しておくことは困難であり、よく理解するためには体系的な説明が必要である。あらゆる名詞を専用の記事の中で説明しようとする極端な小項目主義をとると、読者は記事を自分で書き直してみるような作業なしには何も理解できない。

1274年13世紀に統合されているのも、断片化を避けて読者に体系的な情報を提示しようとする努力である。

記事の分割

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一方、1つの対象についての言及を積極的に複数の記事に分割すべき場合がある。1つの対象についての複数の視点があって互いに独立性が高く、かつそれらの記述が長くなる場合である。このときには、分割しても理解が難しくなると言うことはあまりないし、むしろ長い記事の中で必要な場所を探す手間を軽減できる。

日本がその良い例である。この記事が行っているようにどこか1つの記事に全ての関連記事の要約がまとまっていると、その主題を大まかに把握しようとするひとにとっても助けとなり、とても使いやすくなる。