Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Husa 20160620
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議論1
[編集]- Husa様の御発言[1]の「JapaneseAさんのWikipedia:コメント依頼/Husa 20160620に関するコメントについて、「全ての議論を追わずとも言える一般論」をなさった件については、不適当なコメントであると考えます。利用者に関するコメント依頼ですから、それについては自由な見解で述べられるべきです。しかし、編集内容が適切であるか否かについて、議論を追われることなく、単なる一般論を持ち出して断定的なコメントを述べられる[2]などについては強い異議を唱えます。この依頼については、コメント依頼の仕方も不案内であるために、全ての議論を追うことが難しい状況ではありました。しかし、私が不適当であることを指摘した後にも、全ての議論を追うこともなさらずに一般論として出典の記載通りにすべきと主張し続けられる態度[3]は、改善なさるべきです。意見を述べたいということであれば、ノート:日本の降伏#無条件降伏などで話し合っている段階ですので、最低でもその内容は追うべきでした。深刻な論争がある主張を事実として記さないという原則、つまり、「絶対的で交渉の余地のない中立的な観点」は、個人的な見解に基づく一般論より上位に扱うべき方針です。」部分に回答します。
- まず、ノート:日本の降伏#無条件降伏はコメントする前に見ています。「議論を追われることなく、単なる一般論を持ち出して断定的なコメント」と批判されるのであれば、他にも追うべきノートの提示を御願いします。また、「出典に「日本軍の降伏」と書いてある、出典も見ずに一般論を言うな」であれば、貴方の批判もわかります。さて、出典には「日本軍の降伏」と書いてあるのでしょうか?
- --JapaneseA(会話) 2016年6月22日 (水) 23:51 (UTC)
- 該当記事の議題に関する議論については、分散を割けるためにこちらで行うことは考えておりません。議論に参加される場合は、ノートでお願いします。もちろん、議論に参加されなくてもかまいません。--Husa(会話) 2016年6月24日 (金) 14:21 (UTC)
- コメント この案件については、Wikipedia:中立的な観点による記述が最も重要であると考えており、出典にどのように書いてあるかという観点のみにより、記述内容を決めるべきではないと考えております。かつ、このノートにおいて議論するつもりはありませんが、いちおう、ご納得されると思われる範囲においてお答えすることにいたします。議論の続きを希望される場合は、日本の降伏等のノートでお願いします。
- 日本の降伏で用いられている纐纈厚著の出典においては、
- 「ポツダム宣言受諾による無条件降伏という事実[4]」
- という記載がなされています。ポツダム宣言には、「全日本軍の無条件降伏」が明記されているため、この「無条件降伏」は、「全日本軍の無条件降伏」を指していると解釈できます。しかし、日本の降伏には、「日本の無条件降伏」と記されておりました。日本の降伏においては、二林史夫さんにより「引用文献中の文章の表現に戻した」などと称して「日本の無条件降伏[5][6]」への差し戻しがありましたが、これは出典通りではなく、出典をもとにした解釈による執筆であると考えています。そして、その執筆内容は、Wikipedia:中立的な観点に反すると考えております。なお、ポツダム宣言(全日本軍の無条件降伏等)を受け入れ、日本が降伏したので、この出典をもとに「日本軍の無条件降伏」、「日本の降伏」等と記すことは、出典と矛盾するものではありません。しかし、「日本の無条件降伏」と記してはいませんので、こう解釈するのは独自研究に当たるものです。—Husa(会話) 2016年6月25日 (土) 20:11 (UTC)
- 後ほどノート:日本の降伏#無条件降伏にてコメントします。--JapaneseA(会話) 2016年6月26日 (日) 05:48 (UTC)