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Wikipedia‐ノート:コメント依頼/MMMRCOW

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相手のリンクで相手の話だけが乗ってるページを見て投稿したら、すでに議論への参加者がついていました。私の意見を時系列にもどします。--KOGARASI 2008年4月29日 (火) 02:47 (UTC)[返信]



本件には全く関係ないことですが

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プロトタイプ理論の話は本件とは直接的には何の関係も御座いません。ただ、M.M.さんの勘違いをKOGARASIさんが説明なさるときに認知言語学の考え方であるプロトタイプ理論を誤った解釈に基づいてお話されていたので知的好奇心から訂正させて戴いたものです。議論を不必要に錯乱させてしまい申し訳御座いませんでした。
本件には全く関係ないことですが、KOGARASIさんの御質問に答えさせて戴きます。私が申し上げた古文英語とは当然中期英語以前のことです。御質問の古英語と現代ドイツに共通しているが現代英語では欠けている文法上の特徴は一番にはGenderの消失を挙げることが出来るでしょう。中期英語以前まではGenderによる区別が見受けられていましたが、中期英語の時代から名詞の文法的区別は専らそのSexに基づくものとなり、現代英語においてGenderによる区別は現在乗り物などがFeminineとして、社会的立場を踏まえた上での国家も同様にFeminineとして使用するという様に使用例が極めて限られています。例文として"The ship sank with all her crew on board."や"I want to understand the art and music of Japan, her people, her geography, her past and present."等が挙げられるでしょう。また、太陽などの擬人化においても一見Genderが考慮されているように思われますが、この場合は恐らくギリシア神話などからの連想であると考えるのが妥当であるとされています。
質問は、ドイツ語と古英語の共通点で、なおかつ、現代英語で欠けている文法上の一番の特徴はなに?ですが、答えは活用による文章の語順の柔軟性です。面倒なので多くは書きませんが、×です。ラテン語の勉強(ひとかじりで充分)をしてればこの答えは類推できるはずですが。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 04:17 (UTC)[返信]
次にサンスクリット語と古英語と古代ドイツ語の関連についてお答えします。例えば"famous"と言う単語は"fam"という部分が「言葉」という意味を表しており、語源的には「人々が言葉に出す」という意味であるとされています。"ban"は語源的に「厳しい言葉を言う」という意味でありそれが後々「~を禁止する」という意味になったのですが、この"ban"は先ほどの"famous"から直接派生した単語です。"f"と"b"というのは発音的に近接であり"flower"→"bloom"というようにしばしば入れ替えが起こります。これと同様"brother"→"pal"における"b"と"p"の入れ替え、"w"(ダブルヴェ)と"v"の入れ替えというのはしばしば見受けられ、これは古英語と古代ドイツ語の相関関係で説明できます。しかし次の例を御覧下さい。"cap"というのは"head"からの派生語なのですが、音声的なアプローチからも文法的アプローチからも古英語と古代ドイツ語のみでは"h"と"c"の変化は説明出来ません。このとき初めて古代ドイツ語と古英語の間にサンスクリット語という媒介を設定し音声的なアプローチから"h"と"c"の変化が説明出来るのです。同様の傾向が見られる変化としては"heart"→"cardiology"等が挙げられるでしょう。蛇足として、何度も説明申し上げている通り、厳密には日本語の"e"音は半狭であり、"ɛ"音は半広であるという点において日本語の発音と相違が見られると申し上げたつもりで御座います。以上、これらの回等で御満足戴けたでしょうか。
標準ドイツ語は書き言葉を文法によって発音することを中心に行われているので、発音は表記に従うという大原則を無視した理由には一切なっていない。そもそも、梵語が英語とドイツ語の橋渡しとして必要などと言う議論はここには必要ないし、だいいち例示のcapとder Kopf(頭)は一目瞭然だろうと思うが?何故"h"と"c"の変化なんでしょうか?--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 05:25 (UTC)[返信]


さて、話を本件へと戻させて戴きます。KOGARASIさん、M.M.さんの御指摘通り、私の難解なコメントが議論全体を錯乱しているという印象は否めません。私のコメントが所謂「煙に巻こうとしている」という感想を持たれている事は事実であり否定出来ません。しかし、KOGARASIさんが度々私の専門性に対して御疑念を抱いておられるようでしたのでそれに対する説明をしなければならなかったという点御留意戴けると有難く存じます。また、加えて申し上げたいのですが、KOGARASIさんは私の前コメントにおける愚問に対する御回答を一切なさっておりません。このまま議論が学術的な方向へ迷い込んでしまうのはKOGARASIさんの仰るとおり私の本意とするところではないので、一度論点を整理する意味を込めてKOGARASIさんに対する質問点を箇条書きさせていただきたく存じます。尚、KOGARASIさんにおけましても私に対する質問点を同様の書式に沿って箇条書きし提示して戴けると幸いで御座います。その際には然るべくその御質問に対する一点的な回答をするよう全力を尽くさせて戴きます。
  • ロサンゼルスの例のように言語的には明確に区別されなければならないものに対し、実際に用例の多数存在する呼び名について選択の多様性解決の為にリダイレクトを使用してはならないのでしょうか。
バ(ー)ベルスブルクの不存在が証明されないかぎり、バ(ー)ベルスブルクからバ(ー)ベルスベルクへ飛ばすことはされるべきではない。「もしかしてバ(ー)ベルスベルク?」ならばともかく。バベルスブルクの不存在が証明されないかぎり、バベルスベルクで、バベルスベルクへのリンクはされるべきではない。「もしかしてバベルスベルク?」ならばともかく。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 05:43 (UTC)--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 15:15 (UTC)[返信]
  • 今後、WP:Vと今回の案件に従い名称においても検証可能性を満足させる必要性があると考えられますが、その点についてどのように考えていらっしゃいますか。御自身のWP:Vに対する見解と合わせてお答え下さい。
検証可能性という点に関しては全くの正論であり問題ない。しかし、MMMRCOW さんが、WP:Vを他者に説明するとルールの権威がなくなると思う。難解な表現で稚拙な議論をすることは、ルール以前の問題である。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 05:43 (UTC)[返信]
  • 『そもそも、MMMRCOWさんは名前をいくつかもつ忍者で、こういう空論をかわすのが趣味ではないのか?とさえ思ってしまう。』という発言の真意はなんでしょうか。
名前をいくつかもつとは、キリスト教系の投稿者にMMMRCOW さんと似た編集傾向をもつものがいるから忍者か?と思うだけ。しかし、これは多数を装って議論をかく乱する行為をしているのはなく、仮にMMMRCOW さんと同一であっても問題は全くない。ただ、MMMRCOW さんは幼稚な事象を難解な表現で議論をおこなう点で議論を攪乱していると私は思う。なので、「禁止されている多重アカウント」ではなく、その点は全く問題にしていないので間違わないで欲しい。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 05:43 (UTC)[返信]


以上三点、KOGARASIさんの御回答を期待するもので御座います。--MMMRCOW 2008年5月21日 (水) 03:10 (UTC)[返信]
MMMRCOW さんは、私との水掛け論を回避するためにここで問題提起しているのに、私に再び意見を求めています。既に自己撞着に陥っていると思います。以上、無礼な表現もあるかもしれませんが、私が間違ってるのかもしれず、単なる個人的見解でMMMRCOWさんが私の考えるとおりの人かは別であるということです。その点はご容赦ください。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 07:05 (UTC)[返信]

以上MMMRCOW さんと編集競合したプレビューを転載します。--KOGARASI 2008年5月21日 (水) 15:15 (UTC)[返信]