Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/導入部/導入部の長さと「概要」節

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概要について

>ウィキペディアでは、== イントロダクション ==、== 導入 ==、== 序論 ==のような見出しをつくらないようにしてください。その見出し内に書こうとしていた内容は、見出しを付ける前の部分で記述してください。

とあるのですが、「概要」という見出しはたくさんあります。[[1]]これも禁止されているという解釈でいいのですか? それとも、

>「要約」「概略」などの見出しで要約をつけることを妨げるものではありません。

の方に入るのでしょうか? 趣旨から言うと前者の気がしますが?--赤龍館 2006年9月28日 (木) 04:10 (UTC)[返信]

私もはっきりとは分かりませんが、「導入=概略」ではなく、「導入→概要」という考え方が基本になっているのではないでしょうか? 言い換えると、導入(イントロダクションや序論なども含む)という概念と概要(要約なども含む)という概念は対等ではなく、導入があってその後に概要を述べるのが基本になっているのではないかということです。Yahoo辞書の導入(2)概要を比べてみても「導入(=準備のため)→概要(=全体をまとめたもの)」であるべきだと思えます。--ピピヨン 2007年2月11日 (日) 09:37 (UTC)[返信]
私は赤龍館さんに同感です。「概要」という項目を作ることは概要を重複させることになり、文章の構成が変なように思います。私は記述スタイルの趣旨を次のように解釈しています:
> 本文の先頭から最初の見出しまでは、導入部として、その項目の概要について説明します。
(1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する、という構造なのでは。
最近「概要」という見出しが増えていますが、読みにくい感があります。特に、導入部に一文を置いた後に、数行の「概要」を記された記事は、読みにくい記事に思います。たとえば、カナダ議会: 2007年3月2日 (金) 00:17版は、その一つです。
「概要」が記された記事のなかには、見出しを置いたほうが読みやすいものも見たことがあります。しかし、項目名として「概要」を付けられた項目のほとんどは、もっと他の分かりやすい項目に置き換えることができるように思います。
もっとも、私が、初めには言いたいことを述べ、次にその詳細を記述する、といった英語でよく見かけるスタイルの構造に慣れていることから、多少の偏見が含まれているかもしれません。--eveningmist 2007年3月4日 (日) 07:38 (UTC)[返信]
「記事のスタイル(記述量)」と「見出しの文言」の話がごっちゃになっていませんか?。eveningmistさんの仰るとおり、Wikipediaでは 1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する…という構成が推奨されています。そして(1)は「導入部」であり、コンテクストを確立する部分であり、数行程度という推奨もされていたと記憶しています。で、ここには見出しをつけない、と。
その上で(2)に「概要」という見出しをつけることは問題がないというのが、本方針の意図でしょう。数行の導入部のあとに、十数行の「概要」が続き、さらに詳細な説明が続くということです。eveningmistさんの問題提起は
  1. この構成に問題がある。
  2. この構成になってない記事が散見されるのが問題である。
  3. 「概要」の節名は、もっと適切なものにするべきだ
のどれなのか、よく分かりません--はま 2007年3月4日 (日) 08:00 (UTC)[返信]
eveningmistです。はま さん、ご指摘ありがとうございます。私が問題としているのは、記事の構成、すなわちスタイルです。はまさんの言われます「記述量」ではありません。はまさんにまとめて頂いた項目のすべて、とくに2が私の意図に該当します。すなわち、はまさんの言われます、「(2)に「概要」という見出しをつけること」は問題と思います。これは、『概要』と『要約』・『概略』の混同に端を発します。
  1. この構成に問題がある。
    スタイルマニュアル(導入部)の項目4の定義は不完全ではないかと思います。この文から、概要は導入部に包括されることが望ましいことは分かりますが、「要約」・「概略」の節名も別に立てることもできます。『要約』・『概略』は『概要』と同義語であり、これが混乱を導き、「概要」の節名が増える結果となっているのではないかと思います。英語版では'As the lead section always comes above the first header, it is almost never useful to put an ==Introduction== or something similar.'[1]とあり、『概要』と同義の項目を立てることは推奨されていません。もっとも、日本語で書く場合の事情もあり、これまでにも合意形成がなされてきたものであることから、「要約」・「概略」の節名も別に立てることもできる方針には、不明確だとは思うものの、反対はしません。
  2. この構成になってない記事が散見されるのが問題である。
    そのとおりです。wikipedia:スタイルマニュアルに於いては「概要」の節名を定義をされておらず、この節は導入部に含めるべきだと思います。この原因は、上記1に書きました通り、スタイルマニュアル(導入部)の項目4の定義が不完全なためと思います。なお、はまさんが言われます、「導入部」を数行程度という推奨がされていたことは存じ上げません。
  3. 「概要」の節名は、もっと適切なものにするべきだ
    wikipedia:スタイルマニュアルに於いては「要約」・「概略」には書かれているものの、「概要」という見出しは定義されていないため問題とは思いません。ただし、上記2に述べましたとおり、各記事での「概要」の節名は、問題であり、この節を導入部に含めるべきだと考えます。
  • 参照
  • ^ en:Wikipedia:Guide to writing better articles
  • できるだけ明瞭に書くように心がけましたが、不明瞭な部分もあるかもしれません。ご不明な点等ございましたら遠慮なくご質問ください。--eveningmist 2007年3月5日 (月) 06:08 (UTC)[返信]

    2ヶ月もたってますが、個人的には、導入部は数行(100字程度)書くにとどめて、概要などは節を設けて記述するのがよいと思います。読み手にとって導入部は、この記事が何について記述しているのか「判別できる」ことが第1の目的としてあり、記事の概要や概略・要約については第2の目的としてあるのではないかと思います。しかしながら、導入部において第1の目的だけにとどめるべきだと思うのは、ウィキペディア特有の閲覧環境にあります。ウィキペディアの発展はすなわち、長い目次の出現を招き、それに伴い、導入部と最初の見出し以下の本文に距離が開くようになってしまいました。

    • 導入部(定義→概要)→→→→→→→→→本文

    つまり何が言いたいかというと、

    • 導入部(定義)→→→→→→→→→概要→本文

    の方が、読みやすいと思います。さらに、記事の右上に写真や長いテンプレートも出現し、その横に概要を書くと読みづらいです。しかし、改定案なら、左側に長い目次、右側に写真や長いテンプレートを配置することができます。ゆえに、本ガイドラインにおいて、導入部に概要を記述することを非推奨に変えませんか。--プロバロン 2007年5月17日 (木) 21:16 (UTC)[返信]

    非推奨にするのは難しいと思います。
    導入部の内容について私は、ウィキペディアの記事を元にしてコンパクトな用語集を作成しようとする場合に、各記事の導入部だけを集めれば一応それなりのものになる程度の記述があったらいいなと考えています。おそらくこれだと、「定義」プラス、簡潔な「概要」くらいまで含まれることになるかと思います。これに加えて、しっかりとした「概要」が必要なら、その下に節を作って言及するのが理想です。ただし、どこまでが「定義」で、どこからを「概要」と捉えるのかは、個人差もあるでしょうし、記事によっても異なるでしょうから、抽象論で話を進めるのは難しい部分があるかもしれません。--oxhop 2007年5月19日 (土) 15:20 (UTC)[返信]

    具体論で話すと、導入部を100字程度にするとよいと思います。しかし、oxhop様の意見にうなずけるところもあるので、概要を非推奨にするという意見を撤回し、「導入部は100字から150字程度が望ましい」とするといいかな、と思います。理由は、上で述べたとおり。--プロバロン 2007年5月25日 (金) 13:35 (UTC) 2007年5月25日 (金) 13:38 (UTC)[返信]

    一ヶ月以上待ちましたが、再反応がないので解説に反映しました。ただし、明確な合意が得られたわけではないので、3段落ルールも条件付で残しました。--プロバロン 2007年7月2日 (月) 18:16 (UTC)[返信]

    かつて国立国会図書館(現在、導入部は3段落)において、第二段落以下が「概要」として分節されたところ、これを不適切とする多数意見により「概要」節は廃止された(その代わり導入部自体もできるだけ簡潔にされた)という前例があります。ノート:国立国会図書館#「概要」の議論は本節の先行議論として参考になると思われます。 --Vantey 2007年8月7日 (火) 12:54 (UTC)[返信]
    自己フォローになりますが、国立国会図書館は上記投稿の12日後に「概要」節が再分割されて現在に至っています。「概要」節のあり方に関しては最新の議論によって新たな指針ができていますので、このノートの下方およびおもてのページをご参照ください。 --Vantey 2008年8月1日 (金) 16:35 (UTC)[返信]

    導入部の長さについて変更案

    ノート:荒木飛呂彦の議論で促されてきたのですが、導入部の長さについての「100字~150字程度が望ましい」は目安としても短すぎるように思います。この目安に従ってか、数100字しかない導入部を「概要」の節でわざわざ分断するだけの編集を各所で見かけるのですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)にも「たった一つや二つの段落に見出しを用いないでください」とあり、文章量の少ない「概要」の節をわざわざ作るのは好ましくないのではないかと思います。100字~500字程度に幅を持たせることを希望します。現在の目安では夏目漱石ジェイムズ・ジョイスの導入部が長すぎるということになりかねません。--Metronome 2008年5月4日 (日) 22:02 (UTC)[返信]

    導入部分の長さについてどう書くかは、悩ましい問題だと思います。以下、ひとつの意見として考慮していただければ、と思います。
    荒木飛呂彦の導入部は〔荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ、1960年6月7日 - )は、日本の漫画家。代表作は『ジョジョの奇妙な冒険』。〕くらいでいいと思うし、夏目漱石やジェイムズ・ジョイスも「小説家。代表作は・・・」くらいでもよいと思います(そのほかの部分は、略歴などに記載。なお、身長体重や家族構成などは、記述の必要性なども含めていろいろ考えるべき部分だと思います。プロスポーツ選手だと体格も重要な情報ですが、漫画家の場合はどうなんでしょう・・・)。j8takagi 2008年5月5日 (月) 02:44 (UTC)[返信]
    問題点が伝わっていないような気がします。
    まず、人物記事などの場合、定義のほかに主たる業績などを概要としてかいつまんで説明するのが望ましい、という点については概ね意見の一致が見られていると思います(秀逸な記事に選ばれているノストラダムスなど)。漫画家や小説家の概要は代表作だけでよい、というのは少々乱暴な意見では。その上で(概要を記す上で)3~400字程度しかない短い「概要」の節をわざわざ作るべきではなく、その程度なら導入部にまとめるべきではないか、という話だったのですが・・・。上述した夏目漱石やジェイムズ・ジョイスなどの例も、略歴、作風、評価などを適度にまとめたものの例として挙げたのですが、J8takagiさんはこれらが好ましくないとお考えなのでしょうか。--Metronome 2008年5月5日 (月) 03:08 (UTC)[返信]
    んー、「業績」の捉え方が私とMetronomeさんでは違うのでしょう。小説家や漫画家の場合、「作品」(代表作)こそが業績のほとんどだと私は考えます。
    また、略歴、作風、評価は、「業績」と比べると1段重要性の低い情報であり、そうしたまとめは概要部分に必ずしも必要ではない、と私は考えます。漱石やジョイスの記述は、わざわざ修正する必要があるとは考えていませんが、現状がベストとも思っていません。「荒木飛呂彦」の場合、学歴や同期生などの記述は「百科事典に載せるべき業績」とは明らかに違うため、概要への記載は好ましくないと考えます。また「荒木飛呂彦」の場合、概要を短くするとしても、現在導入部に記載している情報は「略歴」や「作風」に移動させるだけでよく、「概要」の節をわざわざ作る必要はどのみちないと考えます。j8takagi 2008年5月5日 (月) 03:57 (UTC)[返信]

    (インデント戻す)リンクしておきますと、この変更#概要についての議論ですね。

    Metronomeさんの意見に賛成です。多くの記事では150字では、ここの本文に書かれている 導入部に概要がまとめてあることが望ましい。 という条件を満たす事は出来ません。参考として、最近選ばれた秀逸な記事の選考終了時点での導入部の量を、選考の新しい順に10例、大雑把に調べてみました。

    記事ごと・分野ごとに事情が異なるでしょうから、ここの数字はあくまで目安として考えるべきでしょうが、上限の数字としては 500 - 600 程度が適切だろうと思います。それを超えてしまう場合のみ概要節に分けるのが適切でしょう。分けた場合の導入部は、j8takagiさんの言われた程度に簡潔にとどめた方が良いと思います。--Kickaha 2008年5月5日 (月) 03:40 (UTC)[返信]

    (「100字~150字程度」を支持)冒頭文には簡潔明瞭な定義だけを置くのがよいと考えています。ただし概要を分離するには短すぎる場合のために
    概要に分割するには情報量が少なすぎる場合は概要を別立てしなくてよい
    と注記してはどうでしょう。私個人としては、夏目漱石やジェイムズ・ジョイスも定義以外は概要として節を改めた方がよいと考えていますが、どういうスタイルにするかは、ウィキプロジェクトで話し合って決めるべきでしょう。荒木 飛呂彦で言えば、冒頭は定義と本名だけにして、のこりは執筆スタイルともども概要にまとめた方がいい(冒頭に身長体重だの血液型だの既婚や子どもの有無だのは不要)と思っています。冒頭が短い方がいいと思うのは、携帯電話で閲覧しやすいという理由もあります。携帯端末からだと、冒頭文が短い方が目次が上に来て、目的の情報を見つけやすいのです。--miya 2008年5月5日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
    Kickahaさん、情報整理ありがとうございます。非常に参考になります。
    携帯電話での閲覧の便というのは考えていませんでした(携帯持ってない)。冒頭に500字あるとそんなに不便なものなんでしょうか。短い「概要」節に抵抗があるのは(ノート:荒木飛呂彦でも書きましたが)「英語版でそんな節は見たことがない」ということもあります。英語の文と日本語の文とでは見易さなども違うでしょうから一律にすべきではないですが、分量関係なく無闇に「概要」節が作られていく現状はちょっと奇異に感じます。
    ウィキプロジェクトで(つまり分野ごとに)議論されるべきというのは分かりますが、ある程度規範となっているスタイルマニュアルの方であまり制限(のようなもの)を設けるべきではないと思うので、やはり幅を持たせたほうがいいんじゃないか、というのが私の意見です。
    荒木飛呂彦に関して、冒頭に身長だの血液型だの同期生だのいらない、というのはまったく同意見ですが、略歴の文章にうまく組み込めず、独立させるとトリビアの箇条書きになってしまう、というような事情でなんとなく冒頭に来ているような感じです(そもそも事典の情報としてもいらんと思うのですが、書き込む人がいるので)。この点は「概要」節に独立させても事情は同じかと思います。なお「執筆スタイル」などは漫画家の業績や特徴としてはそれこそ瑣末な事柄ですので、この部分を概要に組み込んで記述すべき、というご意見には首肯しかねます。--Metronome 2008年5月5日 (月) 05:20 (UTC)[返信]
    スタイルマニュアルでは幅を持たせるべきだという意見に賛成です。150字では、極端に少なすぎます。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)で、導入部の第一段落の例として挙げられている文章すら収まりません。ちなみにスタイルマニュアル (人物伝)では、「人物の主な活動」「人物がどうして重要か(主な活躍)」までを、第1段落に記載すべきとされています。またmiyaさんは ウィキプロジェクトで話し合って決めるべき と書かれましたが、発端の「荒木飛呂彦」を扱うWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画家では、詳細項目を読まなくても導入部で説明が完結するような書き方が推奨されています。--Kickaha 2008年5月5日 (月) 08:06 (UTC)[返信]

    定義というのは、他の類似のものとの区別を可能とする必要がありますから、例えば漫画家の場合は、単に漫画家であるということだけでなく、他の漫画家との区別が可能な程度の情報、つまり、どのような漫画家なのか、まであってはじめて定義になると理解すべきだと思います。デビューした年、代表作、どのような系統の作品が多いか、などは定義に含まれると思います。だとすると、定義だけでも150字程度ではきつい場合が多いだろうな、とは思います。しかし、具体的にどの程度の文字数までならOKというのは、なかなか難しいですね。環境も様々ですし。

    それよりも問題なのは「概要」節のあり方で、こちらに関しては私も変な記事が増えたなと感じています。分量の少ない「概要」節もそうなんですが、それ以外にも、記事全体が概要でしかない状態で、その中の一部記述に「概要」というタイトルをつけているものは滑稽ですし、「概要」節の中身を読んでみると全然「概要」ではなくて「雑記欄」(それだけでは単独の節とするのが難しい程度の短い説明による情報を放り込んだもの)と化しているものも多いです。基本的に、秀逸記事のような読み通すのに数時間かかるようなデカイ記事には5分程度で読めるくらいの分量の「概要」節があると便利なのですが、コンパクトな記事には不要だと思います。雑記類は目次のすぐ後ではなく、あるとしても記事の下の方にあるべきですし、記事の初めで言及しなければいけないような情報なら冒頭部にあるべきだと思います。冒頭部が肥大化しすぎな場合であれば、安直に冒頭部と「概要」節に分断するのではなく、定義の書き方や記事の構成自体の見直しが必要になるのと思います。トリビア節に否定的な意見も強いようですが、冒頭部や「概要」節に書かれるよりはよほどマシだと思いますので、暫定的なメモ書きスペースとしてあってもよいのでは(将来的には記事本体へ組み込んだり、情報自体を除去するなどの整理が必要なのはもちろんです)。--oxhop 2008年5月5日 (月) 12:01 (UTC)[返信]

    私はmiyaさんの意見に賛成です。幅を持たせるにしても最大500文字では一般的な原稿用紙が400文字詰めですので概要として分けるのに十分な量であり導入部としては長すぎるのではと感じます。
    導入部はあくまで定義を書く場所なので100文字から200文字程度が望ましいかと。ですが分割する必要がない程度の記述があり略歴等のまとめるのに適した節がないのならばそのまま導入部に書いてしまう形がよいのでは。荒木飛呂彦の記事でいえば「1980年「武装ポーカー」でデビュー。」云々からの記述は定義としては不必要な情報なので略歴等にまとめるのがベストだと思います。--Qret 2008年5月5日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

    >Oxhopさん 特にサブカルチャーの記事でトリビア節をつくってしまうと事典的でない情報が次から次へと書き込まれていくんですよね。私はトリビア節を作るくらいなら次善の策としてパーソナル・データを冒頭に組み込んだほうがよい、という立場です。「概要」しかない記事に「概要」の見出しがいるのかというのはまったく同感で常々感じていたのですが、これも携帯電話からの便を考えるとあったほうがよいということになるのでしょうか。 >Qretさん ノート:荒木飛呂彦でも述べましたが、略歴に組み込んでしまうと概要に当たる説明がなくなってしまうんですよ。原稿用紙が400字詰めだから400字で分割すべきという論理的根拠がよく分からないのですが、この点をもう少し説明していただけますか。--Metronome 2008年5月5日 (月) 17:22 (UTC)[返信]

    まとめと再提案

    論点は概ね出尽くしたようなので、ちょっと仕切りなおします。現在、目安を100~150字/200字に維持すべきとの意見と幅を持たされるべきという意見が伯仲しております。しかしここで話し合われているのは「考慮すべきガイドライン」であり、「多くの利用者が基本的に同意」しているはずのことで、議論が伯仲しているということ自体が、上の数字はガイドラインの目安としてふさわしくないということの証左ではないでしょうか。携帯電話からの便宜も考えた方がよいというmiyaさんの意見も顧慮すべきところがあると思いますが、しかしWikipedia全体(つまり、他言語版も含めて。英語版のほかに独、仏、伊、ポーランド、中国語版の秀逸な記事のページをざっと見てきましたが、冒頭で短く定義を述べ、あとは概要などにまとめる、というスタイルが主流であるようなものはありませんでした)の現状から見ても、また日本語版における秀逸な記事群を見ても、そうした観点が利用者の間に行き渡っている(多くの利用者が同意している)ものとは言い難いようです。すべての記事に当てはまるスタイルマニュアルである以上、この場の狭い議論で「どのようなスタイルを推奨すべきか」を決定すべきではなく、「現状、良質な記事においてどのようなスタイルが取られているか」を基準に目安を設定するべきかと思われます。以上の観点から、Kickahaさんの報告が示すように、日本語版の秀逸な記事において、500~600字程度を境に冒頭に「概要」節が作られているということが蓋然的に見て取れることを踏まえ、目安を100字~500字程度に設定することを再度提案いたします。この観点からの賛成意見、反対意見をお寄せいただけますでしょうか。--Metronome 2008年5月6日 (火) 19:36 (UTC)--Metronome 2008年5月7日 (水) 17:42 (UTC)修正[返信]

    目安の文字数を変えることに反対ではありませんが、「導入部には定義(人物の場合は業績)をできるだけコンパクトに記載」「記事が大きい場合は記事全体のまとめを記載」などといった内容についての記載もあったほうがよいと思います。単に目安の文字数を増やすだけでは、「導入部に雑多な情報を記載する」結果を招きかねないと思いますので。j8takagi 2008年5月6日 (火) 21:33 (UTC)[返信]
    英語版のガイドラインには「導入部の適切な長さは記事全体の長さに依ります」というような文言があるようです。「導入部の長さは、記事の扱う内容や記事全体の量にもよるが、100字~500字程度であることが望ましい」くらいでどうでしょう。あくまで長さに関する議論ですので、導入部に何を書きどのようにまとめるか、といったことは分野ごと(人物ならウィキプロジェクト (人物伝))で個別に議論されるべきかと思います。--Metronome 2008年5月6日 (火) 22:01 (UTC)[返信]
    目安の文字数を変えること自体はいいと思うのですが、500文字というのは反対です(増やしても200文字程度)。定義や概要をまとめるのに500文字は必要ないでしょう。j8takagiさんの言う通り雑多な情報まで記述される恐れがありますし、あくまで導入部は簡潔なのが美しいのでは。--Qret 2008年5月7日 (水) 12:11 (UTC)[返信]

    荒木飛呂彦を外野から眺めてました。概要節を作ることそのものには賛成も反対もしませんし、文字数の目安についても意見を持ちませんが、この編集のようにただ単に見出しだけを挿入してぶった切るのはやめていただきたいです。概要なら概要と呼ぶにふさわしい内容が書かれている状態にしっかりと再構成してほしい。節の構成を変更するってのはそういう、結構な大仕事だと思います。内容を考慮することなく長さだけで節を切りまくった結果長期ブロックを受けた人を知っていますが、先の例はこれと同レベルの質の低い仕事と言えるんじゃないでしょうか。そんなわけで、節に分ける場合は単純に見出しを挿入するのでなく、記事全体の構成を考慮するような文言を盛り込んでくださるとありがたいです。--cpro 2008年5月7日 (水) 13:02 (UTC)[返信]

    Qret氏へ。議論の流れをまったく無視して「必要ないでしょう」と根拠も理由も示さず一方的に拒否するというのはどういうことでしょうか。「この観点から(多くの利用者が同意しているか、という観点から)賛否をお願いします」と述べたのにその観点についてもまったく言及されていませんよね?概要をまとめるのに必要な文字数についてもすでにKickahaさんより「概要をまとめるのに100~200字では難しい」ことが実例を持って示されているのにそれも無視し、導入部・概要が300~500字ある秀逸な記事や日々作られている新着項目群すべてに対しあなたは「いらない」と言い切れるのですか。
    「美しい」って別に私は短くまとめるのが美しいとは思いません。なぜ我々があなた一個人の美的判断に沿わなくてはならないのか。そろそろご自身の論点がおかしいということを自覚なさってください。きついことを言ってますが、議論を撹乱されてはこちらの方もたまったものでありません。--Metronome 2008年5月7日 (水) 17:42 (UTC)[返信]
    ★「導入部の長さは、記事の扱う内容や記事全体の量にもよるが、100字~500字程度であることが望ましい」・・・この変更自体はいいとは思います。ただし導入部に記載する「定義」(人物の場合は業績)は簡潔なのが望ましいということと、導入部に雑多な内容を入れないでほしいということは留意してほしいです。
    今回の議論で考えたのですが、「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」というのは記事がある程度以上大きい場合に限った話かもしれないですね。記事自体が小さいときは、導入部の簡潔さの方を優先したい気がします。j8takagi 2008年5月8日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
    ここまでの議論を踏まえて修正しました[2]。導入部は「簡潔な定義文+概要節」が良いという立場も、導入部で概要をまとめたいという立場も許容できる文面にしたつもりです。「短い記事」というのがどの程度の短さを言うのか、などちょっとあいまいな部分もありますが、あまり厳密な規定をしても意味がないと思うので。
    あくまで「長さ」の説明ですので、雑多な内容に関する注意は特に行なっていません。上述のように私自身は作家の作風や略歴まで冒頭に不必要とするのは反対ですし、トリビアの節を作るくらいならある程度冒頭に組み込んでもいいと考える立場です。例えばWikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人には、「冒頭における定義文は人物について語るにあたって「重要な事項を明確・簡潔」に記述することが望ましいので、上記の例に挙げてあるからといって欲張って詰め込む必要はない」という注記があります。導入部に何があるのが望ましいか/望ましくないかは記事の分野ごとに違うので、ここで一律に「とにかく簡潔にし雑多な内容は入れない」とするのではなく、このようにプロジェクトごとに規定していく形が望ましいと思います。--Metronome 2008年5月8日 (木) 23:11 (UTC)[返信]
    文言をさらに修正しました。目的は、文章の整理です。あと、「導入部はできるだけ簡潔に」という表現を強めました。Metronomeさんの意図も汲んだつもりですが、もしそうなっていないのならば再修正をお願いします。
    「導入部が雑多な内容にならないように」は、今後の宿題ですね。j8takagi 2008年5月9日 (金) 00:30 (UTC)[返信]

    すいません、異議有りです。[3]ちょっと最初に意図したものとちがった内容になってしまっています。「目安」というのは導入部を書く上での目安であって、「概要」の節を作るか作らないかの目安ではないです。現在の文面では長いものは文面を調節して分離することを推奨するかのような内容になっています。上述のように私は両方の立場を許容する文面にしたつもりで、今の文面では「短い定義文+概要節」の立場寄りになっています。賛成できません。
    極端な話、べつにミネソタ州の歴史(ちなみに英語版の秀逸記事の翻訳です)みたいに冒頭に1000字あったってさしたる問題は無いと考えます。600字を基準に概要をつくることを推奨することには同意できません。またそもそも問題の発端となっていた「「概要」をつけて回ったり消して回ったりする行為」に注意を促す文面は欲しいのですが、J8takagiさんはそのような編集をしたほうが良いという立場なのでしょうか? ええと、具体的には、第2・3文を私の案の第2文に(ですます調にして)置き換えることを希望します。(第1文は異存ありません)
    とくに意見が無ければ上のようにしておきます。
    --Metronome 2008年5月9日 (金) 00:59 (UTC)[返信]

    すいません、上記撤回します。やはり現在の第1文にも不満があります。
    現在の第1文は目安に拘束力があるかのような書き方になっています。簡潔さも強調しすぎではないでしょうか。上の議論でわかるように、私とJ8takagiさんでは冒頭の「簡潔さ」について見解の相違があります。雑多な内容を詰め込むべきではないというのはまったく同意ですが、大雑把に言うと私は「ある程度膨らませても良い」と考える立場であって、とにかく簡潔なのがよい、とは考えません。まだ見解の相違がある(合意が成り立っていない部分がある)ことに留意してください。私の意図は「どちらの立場も許容できるが、一方の立場を押し付ける編集は牽制する」文面を作ることです。--Metronome 2008年5月9日 (金) 08:47 (UTC)[返信]

    具体案の提示

    編集を行なうのは時期尚早だったようなので、まずこちらで具体的な文面を示し、合意が得られてから投下するようにしましょう。ほとんど最初の文面と同じですが、私の文案は以下のものです。

    • 導入部の適切な長さは、記事の扱う内容や記事全体の長さにもよりますが、短い記事であれば100字~200字(1~2段落)程度、長い記事でも100字~600字(1~4段落)程度にするのがよいでしょう。定義、概要はなるべく簡潔にとどめ、記事全体を説明しない雑多な内容を記述するのは避けてください。
    • 概要が長くなってしまう場合や、あるいはその方が記述しやすい場合は、「概要」「概略」などの見出しを設けてそちらで記述しても構いません。ただし、既存の記事に「概要」の見出しをつけてまわったり、逆に消して回ったりするような編集はくれぐれも行なわないでください。上記の数字はあくまで目安に過ぎませんし、あなたが見やすいと考えるスタイルが他の人にとっても見やすいとは限りません。

    上記について変更すべき細かな点、あるいは対案があれば提示して下さい。「長さ」についての本文はコメントアウトしておきますので、2~3日して異論が無ければ上記とまったく同じ文面にいたします。--Metronome 2008年5月9日 (金) 08:47 (UTC)[返信]

    1. Metronomeさんの具体的な改定案を見たら、なんかよく分からなくなってきました。例えば、Metronomeさんは導入部にトリビアを入れることも許容すべきだとおっしゃっていながら、その案だとトリビアを入れることはできないことになると思うのです(「避けてください」は「するな」ってことをやんわり言ってるだけ)。私はそれで構わないのですが、今回の議論の参加者の中で何が合意されていて、何が合意に至っていないのかがいまいち分からなくなってきました。
    2. そもそも、導入部の長さを考えるにあたっては、導入部の目的や役割(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#定義あたりに書いてありますが、他にもあるかも)を果たす上で、必要な情報が過不足なく書かれていることが第一であって、文字数は二の次のはずです。にも関わらず、「長さ」と題して、まず「何文字から何文字程度が望ましい」みたいなことが書かれていることが元凶なのではないでしょうか。文字数ばかりに目が奪われて、これを短めに設定されていれば必要な情報まで目次の下へ回し、逆に長めに設定されていれば不必要な情報まで追加して、これでガイドラインには反していないのだ、となる。目安に過ぎないことを強調すればするほど、ガイドラインとして文字数の提示は本当に必要なのだろうか、と疑問に感じてきました。--oxhop 2008年5月9日 (金) 12:49 (UTC)[返信]

    合意ができていなかったと判断して、Metronomeさんと私の編集は差し戻しました。
    さて、Metronomeさんの案には、次のような問題を感じています。1つ1つは表現上の細かい問題です。だけど積み重なると結構気になります。

    • 1つ目
      • 文字数の目安よりも先に方針(例えば、「簡潔であるべき」)を示すべき。
      • 「が」でつなぐ文はわかりにくいし、美しくない(ノートならともかく、記事本文や方針文書では避けたい)
    • 2つ目
      • 長すぎる
      • 「その方が記述しやすい場合」があいまい
      • 「つけてまわる」「消して回る」の表現がわかりにくい

    対案を示してもなかなか受け入れてはもらえなさそうなので、代わりに私の考える、現在までの合意点をまとめておきます。
    次の点については合意ができるのかなと思っています。

    • 文字数の目安を変える
    • 導入部が短い場合は「概要」節は不要
    • 既存の記事の導入部を安易に分割すべきではない

    次の点は合意できていると思っていたのですが、そうでもないのですかね。

    • 導入部は簡潔であることが望ましい
    • 導入部が長くなる場合は、「概要」を別に設けることも可能

    以上です。j8takagi 2008年5月9日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

    まず合意点について。おそらく現在まで合意が行なわれている(と私が考えていた)のは以下のことです。
    • 目安の文字数が100~150字では少なすぎる。(500~600程度まで幅があってもよい)。
    • 「概要」などの見出しを設けても良い。
    • 既存の記事を編集してあまりに短い「概要」節をわざわざ作るべきではない
    • 既存の記事の導入部を安易に分割すべきではない。
    • 雑多な情報を導入部に入れるのは好ましくない(出来るだけ「避ける」)
    以下の点は合意ができていません(合意できません)
    • 簡潔さを導入部の第一義として強調すること。
    • 目安に基づいて既存の記事を編集してまわる行為を是認すること。つまり記事を目安に杓子定規に当てはめようとすること。
    「簡潔さ」についてはすぐ上で述べたとおりです。合意は成立していないものと思ってください。私の文案が「目安」が「目安」に過ぎないことを強調しているのは、記事のスタイルの多様性を是認するためです。j8takagiさんは多分目安がつくられたのならその目安を既存の記事にも当てはめたいと考えられているのだと思いますが、新着項目に選ばれるような良記事でも上の目安に当てはまらない記事が多々あるような現状、ひとつのスタイルを好ましいものとして推奨するには、現在の議論では狭すぎると考えます。既存のすべての記事に「600字を超えているなら概要に分けるべき(「分けることを考えた方がいいかもしれません」)」ということを推奨するのであれば、コメント依頼やお知らせなどを通じて議論を周知し、より広い議論を行なってください(無論、私も議論に参加します)。
    oxhop氏への応答にもなりますが、私の文案は「合意されていることはそれほど多くははない」という認識に基づきます。合意されていない現状をそのまま反映したつもりです。そもそも文字数を掲げることが必要なのか、といったことは私も考えたのですが、例えばこれから記事を書こうとする人にとっての参考程度にはなるのではないかな、くらいに考えています。oxhop氏が懸念されている、文字数にとらわれた編集が行なわれるのではないか、ということについては、目安があくまで目安に過ぎないこと、「概要」節をつくることを妨げないこと、既存の記事を目安にしたがって編集して回らないことという文言を盛り込むことによって回避しようとしたつもりでした。
    さて、割と自信のあった文面が読みにくいと言われてちょっとショックなのですが、どうでしょうか。わかりにくいでしょうか。多少もってまわった言い方になっているのは、慎重に述べたりある程度の含みを持たせているためだと思うのですが・・・。自分ではこれ以上修正できませんので、修正案、対案などがありましたら(もちろん、そもそも文字数の目安はいらない、という意見もふくめて)よろしくお願いします。そろそろコメント依頼も考たほうがいいかもしれません。--Metronome 2008年5月9日 (金) 23:13 (UTC)[返信]

    (ちょっと別の話になっているので分けています。文案などに対するご意見は下にお願いします--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:06 (UTC))[返信]

    Metronomeさんのコメントの内容についてはもう少し考えるとしてとりあえず・・・オモテのページで「長さ」の部分はコメントアウトしないでほしい。議論前の状態が「消去しなければならないほどの問題」だったという点についても合意できていないと思います(私は「変えてもよい」とは申し上げたけど・・・)。j8takagi 2008年5月9日 (金) 23:45 (UTC)[返信]
    100字~150字が目安としてふさわしいということ自体に複数の利用者から異議が出されているのですから、明らかに「多くの利用者が基本的に同意」しているものでは無くなっています。掲げておく理由は無いと思いますが。--Metronome 2008年5月9日 (金) 23:51 (UTC)[返信]
    異議が出てることは確かですし、その気持ちもわかります。だけど、「現状(変更前)が問題」という合意がとれている状態ではないですよね。だとしたら、保守的に対応するのが常識的だと思います。コメントアウトすると、結果として、合意がとれていないまま編集してしまうことになります。j8takagi 2008年5月9日 (金) 23:55 (UTC)、2008年5月9日 (金) 23:58 (UTC)一部修正[返信]
    理解できません。「現状が問題だという合意が取れている」とはどういう意味でしょうか。現状が問題だというのは異論が出ていることから分かるのであって「現状に問題がある」というテーゼに合意を得ることによって分かるものではないでしょう。もしそうだとすると、異論が出ているのにも関わらず現状が問題無いと考えるたった一人の人間が「現状に問題がある」ことに同意することを拒むことによって「現状に問題はない」ということになってしまう。論理的におかしいでしょう。「コメントアウトすると、合意が取れていないまま編集してしまうことになります」というのも意味がわかりません。説明を求めます。--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:03 (UTC)[返信]
    「『現状(変更前)が問題』という合意がとれている状態ではない」で、「現在の文面を問題だとは思っていない人がいるかもしれない」という意味です。現在の文面をコメントアウトが必要なほど問題だと考えているのが本当に1人なのか、それともほかにいるのかは未検証です(ちなみに、「反対しているのがたった一人ではあっても、議論などにより合意を目指す」のがWikipediaの原則ではあります)。「文字数を変えること」には反対しない人でも、コメントアウトすることには異論がある可能性について留意してください。また、コメントアウトことについてはなにも話し合われていない点についても留意してください。
    「コメントアウトすると、合意が取れていないまま編集してしまうことになります」について・・・。文字数の目安を変更すること自体はある程度合意がとれているでしょう。しかし、コメントアウトについて合意がとれていません。j8takagi 2008年5月10日 (土) 00:51 (UTC)[返信]

    ああ、要するに「コメントアウトをすることに合意を取ってくれ」ということですね(他の点の説明はちょっと理解できませんが)。コメントアウトは論議中の文章を宙吊りにしておくごく一般的な手段だと思っていたのですが。{{Notice}}を入れておくことに異存はありませんか?--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:56 (UTC)[返信]

    そうです < 「コメントアウトをすることに合意を取ってくれ」。{{Notice}}を入れておくことに異存はありません。j8takagi 2008年5月10日 (土) 01:06 (UTC)[返信]

    「文字数の目安よりも先に方針を示すべき。」に賛成です。

    簡潔さについては、次の3つの捉えかたができると思います。

    1. 中身度外視で単純に短ければ短いほうが良いという意味での簡潔さ
    2. 必要最小限の内容という意味での簡潔さ
    3. 内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ

    私は3なら賛成なんですけど、皆さんはどういう意味で簡潔が良いとお考えなんでしょうか? あるいは、Metronomeさんが反対されているのは、どの意味での簡潔さなのでしょうか?

    目安となる文字数の幅に関しては、現段階では合意に達していないと理解したほうが良いと思います。ここは、いろいろな見解があるということを前提として、各記事の執筆者間でうまく調整してもらう、という方向性にもっていったら良いのではないでしょうか。

    「概要」節をつくることに関しては、上でも述べたように私は原則的には反対の立場なのです。秀逸記事のように記事が巨大な場合はあったほうが良いと思いますが、それ以外の多くの記事においては「概要」節はなくても困らないし、導入部が長くなってしまった場合は記事の構成全体を見直して、それぞれ適切な節に情報を割り振るべきだと考えています。--oxhop 2008年5月10日 (土) 13:11 (UTC)[返信]

    私も3であればもちろん賛成です。ですが文頭に「簡潔さ」を示すj8takagiさんの文案では、「求められているのは内容的に過不足無いことを前提とした簡潔さである」というニュアンスがまったく伝わらないんですよ(「定義」のほうの文に書かれているとはいえ)。目安の文字数を設定することによって文字数にとらわれた編集がされることをoxhopさんが懸念されているように、私は簡潔さを第一義とすることによって「とにかく簡潔なほうが良いのだ」ということになってしまうことを懸念しているわけです。例えば先の議論の例では、J8takagiさんやmiyaさんは作家の記事の冒頭は代表作だけで十分だと言う。私やoxhopさんはデビュー年や作風などもあったほうがよいと言う。この場に限ってみても「簡潔さ」の解釈に差が出ているわけで、「簡潔さ」を強調することで前者がよいのだということになるのは私としては困るわけです。
    文字数については概ね「100~600字」でまとまっていると思ったのですが、oxhopさんが「いらない」という立場を取られるのであれば、文字数についても「概要」節の取り扱いについても意見の一致が見られていないということになりますね。私とJ8takagiさんの一番の争点も多分「目安を設定した上での概要節の取り扱い」だと思うので、目安を設置すべきでないとなると双方の意見の前提が崩れます。こうなってくると
    1. 意見の一致が見られないということをもって「長さ」に関する規定を本文から除去する
    2. 本文に「意見の一致が見られていない」「分野ごと・記事ごとに執筆者間で調整する」といったことのみを記すにとどめる
    3. コメント依頼へ移行
    くらいしか方策は無さそうだと思うのですが、いかがいたしましょうか。--Metronome 2008年5月11日 (日) 03:37 (UTC)[返信]
    ★「内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ」について、「内容」が明らかでない限りはなんともいえないです。
    「中身度外視で単純に短ければ短いほうが良いという意味での簡潔さ」の、「内容度外視」というのは論外です。もっとも、内容についての議論をしてないのだから、そのような印象になるのも仕方ないですね。
    一方、「必要最小限の内容という意味での簡潔さ」と「内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ」については、「内容」がわからなければなんともいえません。この2つを区別するよりは、なにが必要な内容なのかを考えるべきでしょう。私としては、この文書のほかの部分から、「定義は必須。概要は望ましい」という扱いになると考えていました。つまり、本当の必要最小限は「導入部には定義だけ」になるし、多くの場合は記事ごとに「概要」をどこまで記述するか考える、ということになると思うわけです。
    導入部は、「概要を含めても、目安となる文字数以下にする」のが理想です。そうならない場合は概要から不要な記述を削除して適切な節に割り振る、(仕方がないから)概要節を作る、(これも仕方ないから)目安を越える状態にする、という対応になるでしょう。ただし、既存の記事に関して概要節を作るのはいろいろ問題があると考えていまして、わたしの文案でも3番目の項目でそのことの注意は書いたつもりです。
    なお、繰り返しになりますが、「長さ」に関する規定を本文から除去するのであれば、除去するための合意が必要です。コメント依頼については、反対しません。j8takagi 2008年5月11日 (日) 09:12 (UTC)[返信]

    >除去するための合意が必要です
    そんなことはわかってますけれども、しかしそれはひょっとしてj8takagiさんは合意する気は無いってことじゃないですかね?仮に他の全員が除去すべきだと言ったとしても、「保守的に対応するのが常識的」で「合意を目指すのがWikipediaの原則」だから、j8takagiさん一人が頑張る限りはとても多勢の賛成が得られているとはいえない条項が半永久的にガイドラインに残るということになる、と。キャッチ=22じゃあるまいし・・・。j8takagiさんがそのような考え方でいる以上、コメント依頼をしようが何しようが無意味なんじゃないでしょうか。

    もともと「100字~150字」の規定はあとから(ごく最近)つけられたもので、この文章を付け加えたプロバロンさん自身「明確な合意が得られているわけではない」と明言されています[4]。そのときに反対意見が出なかったというだけで、目安について議論を経た上でのものではないのです。それを今あらためて妥当かどうかを議論しており、この長さに疑問を呈する意見が複数出ている。

    • 導入部の長さについての「100字~150字程度が望ましい」は目安としても短すぎるように思います(by Metronome)
    • 多くの記事では150字では、ここの本文に書かれている 導入部に概要がまとめてあることが望ましい。 という条件を満たす事は出来ません/導入部の第一段落の例として挙げられている文章すら収まりません。(by Kickaha)
    • 定義だけでも150字程度ではきつい場合が多いだろうな、とは思います(by oxhop)

    上記の意見が「問題はあるけれども、文面を変えるほどでもない」程度の異論に見えるのでしょうか。もう一度確認しますが、現在話しあわれているのは「考慮すべきガイドライン」の条項であり、「多くの利用者が基本的に同意」しているはずのことです。議論参加者の半数が疑義を呈しているような条項が上に当てはまるわけはない。したがって「ガイドラインにはふさわしくない」。単純な三段論法でしょう。これと「全会一致が見られなければ(いくら反対意見が出ようと)条項を手付かずのまま残すべき」という考え方といったいどっちが常識的なんでしょうか。

    以上はj8takagiさんに対する不信感の表明です。誠意あるご回答をいただければ幸いです。無論、話し合いで誰もが納得できる文章にするのがベストですが、この場の議論だけでも論者ごとに意見が分かれているような状態では、仮にコメント依頼にかけたとしても「誰もが納得できる統一的なスタイル」を見出すのは難しいんじゃないかと思います。結局は上に挙げた1か2ということに行き着くんじゃないでしょうか(自分で「コメント依頼を」と言っといて何なんですが、コメント依頼は労力もかかるし)。わざわざ「長さについては統一的な見解が得られていない」といったことを記すのもどうかと思うので、私の立場としては「どちらかというと(他の手段よりは)本文の除去を勧める」というものです。oxhopさんは(あるいは他に意見のある方)はいかがでしょうか。--Metronome 2008年5月11日 (日) 14:58 (UTC)[返信]

    Metronomeさんの発言を読んでいると、ほかの人の発言から自分に都合のいい部分だけを抜き出そうとしている印象が強いです。わたしがMetronomeさんの発言や行動に異議を唱えている部分があるというのはご理解いただいているようです。しかし、そのほかにも例えばmiyaさんやQretさんが、Metronomeさんの改定案や「除去」に賛成していると思いますか?oxhopさんも、「概要」節を作ることに反対という点ではMetronomeさんと意見が一致しています。だけど、Metronomeさんの改定案に賛成しているわけではなさそうですし、「除去」の是非については触れてないですよね。MetronomeさんがKickahaさんの意に沿うような案を考えているのは理解します。だけど、Metronomeさんの提案以降にKichaさんが発言していない状態では、ほんとうにkickaさんの意図通りかもわからないですよね。そうして考えると、j8takagiは別にしても、現在議論している人の間でMetronomeさんの行動や発言が納得を得られているのかは怪しいわけです。合意とは何かをもっと真剣に考えてください
    Metronomeさんは思いがけず強い反対にあって手詰まりのような気分になっているのだと推察します。だけど、解決方法のヒントは今までの議論(下のTosakaさんの発言も含め)の中にたくさんあります。もう一度ここでの議論全体をじっくり読み返してみることをオススメします。j8takagi 2008年5月12日 (月) 15:38 (UTC)[返信]
    論点がずれまくってますね。私は自分の改定案には全くこだわってませんし、私の考えにどれだけの人が賛成しているか、なんてことも今は問題ではありません。「自分一人でも反対すれば自分にとって都合のいい条文が守れる」などという、自分の立場に有利な条件をまるで理の当然のように提示するというのは議論の態度としてどうなのか?と言いたかっただけです。あなたの目に私が「ほかの人の発言から自分に都合のいい部分だけを抜き出そうとしている」ように見えると言うのであれば、私としては「あなたはガイドラインや基本方針から自分にとって都合のいい部分だけを抜き出そうとしているように見える」と言わせていただきましょう。論争の元となる可能性のある方針は採用の前に十分議論する必要があります(Wikipedia:基本方針とガイドライン)。現在の長さに関する方針は採用前に議論されていません。合意というのは考えの違う人々が意見を擦り合わせることに対して言うのであって自分の立場を安全にするために使うべき言葉ではない。「合意とは何かをもっと真剣に考えてください」そのままお返しいたします。
    議論を追っている人はわかると思うので、私が何を言っているのかJ8takagiさんが理解できないというのならもう放っておいて構いません。まあそういう人なんだろうな、と思うだけです。--Metronome 2008年5月12日 (月) 23:31 (UTC)[返信]
    名前が挙がったのでコメントしておきます。まず、私はj8takagiさんの変更された文章でも、「拘束力があるかのような書き方」とか「600字を基準に概要をつくることを推奨」しているとまでは感じませんでした。あくまで「目安」とか「ことも検討してください」という表現ですので……。どちらかと言えばMetronomeさんの新提案の方が適切に感じる部分もありますが、私としてはどちらも受け入れられるものです。
    導入部は簡潔であることが望ましい という点については合意できていたと思います。しかし「冗長な表現や瑣末な内容を避けるべき」なのは、記事本文全体に対して言われるべき事です。「導入部では特に注意が望まれる」などの記述は有用でしょうが、この節で第一義として書く事ではない気がします。「方針を先に示す」という意味では、本文の最初で導入部では その項目の概要について説明する とされており、「簡潔」という意味は「概要」という言葉に当然含まれると思っていました。少なくとも、第一文に「oxhopさんが書かれた3つの捉えかたができるような表現」を置く事で、「単純に短い方が良い」と誤読される可能性があるならば、それは改善されるべきでしょう。
    導入部が長くなる場合は、「概要」を別に設けることも可能 という点についても合意できていたと思います。「機械的な節分け」に対する注意文としては、j8takagiさんの文章の方が明解に感じました。(「記述しやすい」という表現は私も違和感があります。)節分けを推奨していると読まれないように表現を変更されてはいかがでしょうか。
    記述全体について、あくまで目安である事は、強調しておいていただきたいと思います。極端な例を挙げると、記事全体が1000字程度で記事として完成されている場合に、その冒頭に概要をまとめなおしても、かえって理解しにくくなるだけですし、もちろん概要節を設ける必要もないでしょう。記事の構成の仕方についての議論は有益ですし、私も色々意見はありますが、結局は分野ごと・記事ごとに考えないと例外は必ず生じます。規定が細か過ぎると、例外を認めないような誤解を招きやすくする点も危惧するところです。--Kickaha 2008年5月13日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
    (遅ればせながら)ご意見どうもです。議論を錯綜させてしまってどうも申し訳ないのですが、「目安」の設定に関しては消極的な意見が出ていることもあって、私自身も設定しない方向に傾いています。下のほうにも意見をいただければ幸いです。--Metronome 2008年5月17日 (土) 06:55 (UTC)[返信]

    概要の取り扱いについて

    こんにちは、Tosakaと申します。ここの概要についてはま様が2007年3月4日に書かれております記述が私の考えを表現して下さっているので以下に示します。

    『eveningmistさんの仰るとおり、Wikipediaでは 1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する…という構成が推奨されています。そして(1)は「導入部」であり、コンテクストを確立する部分であり、数行程度という推奨もされていたと記憶しています。で、ここには見出しをつけない、と。』

    私も導入部と概要節で最も重要なのはそれぞれの役割を満たした記述が行なわれることだと思います。それらの記述量は各執筆者にお任せするのが良いかと思います。それぞれの役割とは以下のように考えています。

    1. 導入部: 読者が調べようとしている記事かどうかすばやく判断できるように、内容を簡潔に示す。つまり記載事項の範囲を示す。間違いやすい範囲外の事項はここで明示し、可能ならリンクを付ける。
    2. 概要節: 長い内容の記事では、個別の詳細事項について記述されたそれぞれの節の前に、概要節を置くことで詳細事項への理解の助けとする。

    たとえば、導入部の最初から主題の説明が始まっているために判り難くなっている記事の例として、マッシュアップでは

    マッシュアップ(まっしゅあっぷ)とは2つ以上の曲から片方はボーカルトラック、もう片方はオケトラックを取り出してそれらをもともとあった曲のようにミックスし重ねて一つにした音楽の手法である。バスダードポップとも言う。』

    から始まって(私の画面で)さらに8行分の説明で「導入部」が終わり、「目次」、「1つ目の節」という構成になっておりますが、この記事が音楽に関するページだと判りますのは、ボーカルトラックやオケトラックといった聞きなれない用語の後に初めて「音楽の手法である」という文言が現れて、ああ、コンピュータやITの用語はここではないと判断できます。もちろん多くの記事ではこれよりひどく、こういった専門用語だけで音楽の手法であるといった説明が無いものもありますが、やはり、1文目は「マッシュアップ(まっしゅあっぷ)とは音楽の手法の一つで…」ではじまるべきだと思います。「1文目には専門用語を使わないことが推奨される」といったガイドがあっても良いかもしれません。

    導入部ではその記事に何が書かれているのかについての説明を行なうのであって、主題の説明そのものをいきなり始めるべきではないと思います。そして、目次より後ではじめて主題の説明を行い、各節に分割できない基本的な説明事項があればまず概要節で行なうという構成が良いと愚考しています。つまり、導入部と概要節は書かれる目的が異なり、内容が重複することはむしろ自然な場合が多いと考えています。導入部の定義だけで主題に関する基本的なことが説明されていれば概要節は必要ありませんし、基本的な説明で補足したいが概要節を作るだけの情報量がなければ導入部に付け足すして書くというのもありだとは思います。--Tosaka 2008年5月11日 (日) 23:04 (UTC)[返信]

    非常に明快かつ納得できる考え方だと思います。すでにoxhopさんも文字数の設定に対して異議を唱えられていましたが、このように「導入部」と「概要」の役割の違いをそのまま明文化してしまえば、その記事の導入部が「長いか短いか」と言う視点ではなく「必要なことが書かれているか/不必要なことが書かれていないか」と言う視点で見ることができるようになりますし、何文字以上の時に節を分けるか、なんていうことを考える必要はなくなるんじゃないでしょうか(Tosakaさんもそういう意図で発言されたのだと思いますが)。上のTosakaさんによる発言を軸に「導入部と概要節の役割を明確化する」方向で意見を調整したく思いますがいかがでしょう。具体的には
    • 「長さ」の項目は破棄
    • 「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」の表現は混乱の元なので言い方を変え、「導入部」の役割をはっきりさせる文面にする。
    • 「概要」あるいは「『概要』について」などの節を新たに設け、「概要」節の取り扱いを導入部との違いという観点から説明する
    といった感じで。この線であれば、長い場合は「概要」節を作ることを考えたほうがよいかもしれない、という、J8takagiさん案の第2文に近い感じの文面があっても納得できます。--Metronome 2008年5月13日 (火) 00:01 (UTC)[返信]

    論点が錯綜しているせいか意見が付きませんでしたが、上のように「文字数を設定する変わりに、導入部と概要節との役割の違いを明確化する」という観点から「概要」の取り扱いに関する文案を練ってみました。長いのでサブページに書きます[5]。構成が分かりやすいように他の部分も移していますが、変更点は「長さ」を除去し「概要について」を加えたことだけです。導入部外の事柄(「概要」節)の説明も含むため見出しを3段ではなく2段(「導入部」節の外)にしています。「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」は代わりのうまい表現が思いつかなかったのでそのままにし、「概要」節と「導入部における概要」という風に分けています。

    しかし自分で書いといてなんなんですが、文章がくだくだしく、他のスタイルマニュアルの記述からするとずいぶん浮いた内容になっています。意味もつかみにくいかもしれません。そんなわけであんまり自信がありませんが、目安の設定という点ではだいぶ行き詰っていると思うので、とりあえずこの文案に対する意見を求めてみます。「こんなんだったら無いほうがいい」といった意見でもよいので遠慮なくお願いします--Metronome 2008年5月17日 (土) 06:55 (UTC)[返信]

    草案への感想 - 構成を再考してみては?

    Metronomeさん、まずはおつかれさまです。マニュアル全体を練り直すべき、とお考えになったのだと思います。賛同します。
    さて、草案を読んでいてまず気になったのは、全体の構成として「導入部」「定義」「概要」をどう整理しているのかが見えにくいことです。わたしは、「導入部 = 定義 + 概要」が基本で、このパターンにあてはまらない場合(概要がなかったり、概要がやたらと長いのは許容できるか)で意見が分かれていると認識していました。
    こうした視点で読んでいくと、(現在のスタイルガイドもそうなのですが)草案では「定義」と「導入部全体」の説明が混同されている気がします。そこで、全体の構成を次のように再構築するのはいかがでしょうか?

    導入部の書き方(導入部には、原則として、定義文(必須) + 概要を記述する)
    定義文の書き方(←1.2を移動)
      定義文の例(←1.1.例)
      読み仮名(←1.3.)
      原語表記(←1.4.)
      別名(←1.5.)
    概要の書き方
     ・・・
     
    

    「概要の書き方」節の内容についてはそれこそMetronomeさんの書きたい部分だと思うので、自由に構成すればいいと思います。わたしだったら、次のように節分けします。

    概要の書き方
     概要に記載すべき内容
     概要の例(←できれば欲しい)
     「概要」節について(←節を設ける場合は注意しよう)
    

    以上です。j8takagi 2008年5月19日 (月) 12:41 (UTC)[返信]

    再構成しました[6]。現在の例文は定義だけでなく概要も含まれていますし、また別名などは定義外の事柄ですので、J8takagiさんの案とは違った形になっています。また英語版のガイドラインを参考に「どのように書かれるべきか」といった文言を追加しましたが、その結果当初の「導入部と概要節の役割を分ける」という観点を若干翻すことになりました。Tosakaさんの提示された観点は非常に分かりやすいと思ったのですが、「概要節を作る場合は導入部を簡潔にする」「分量がない場合は導入部に組み込む」などの文言がある以上、両者の役割が違うということを打ち出すことに実際上あまり意味が無いのではないかと思うようになりました。要は定義と概要の役割を明確にすれば長いか短いかを議論する必要は無くなるということですので、定義・概要が「どのように書かれるべきか/何が書かれるべきか」を明確化することで解決を図ったような次第です。日本語版の特殊な事情らしい「概要」節の役割をあまり導入部と切り離してしまうと他国語版との齟齬が大きくなってしまうのではないか、と危惧したということもあります。
    前案とややニュアンスが変わっていますが、どんなもんでしょうか。--Metronome 2008年5月19日 (月) 23:16 (UTC)[返信]
    素晴らしい内容となっていると思います。以下の数点で提案がございます。
    読み仮名の強調、リダイレクト元になりうる別名を太字で書く
    これらは私は反対の立場ですので、賛成してはいないということだけ記しておきます。
    太字にするべき別名は導入部に記載すべきです。第1段落中にあるのが望ましいです。
    「但し頻度の少ない別名について、本文中でまとめて記述する場合にはこの限りではありません。」としてはどうでしょうか?私は似たような表現や名称があるときに「名称」節を設けてまとめて説明する方法を良く採ります。こうしないと似た名称の説明文が加わって導入部が異常に大きくなってしまいます。例えば、船の「船員」では「乗員」「乗組員」「船乗り」「水夫」「漁師」等がほとんど同じ意味で使われるのですが、微妙に意味が異なるので説明を加えないと「すべて同じ意味」と読み取れることになります。
    「概要」「概略」などの見出しを設けて
    「概要」だけを推奨することにすればいかがでしょう?「概略」「イントロダクション」、「導入」、「序論」など複数の名前を許容すれば、記事の内容に合わせたファッションとして「いい感じ」に出来るメリットもあると思いますが、読者の混乱を招き執筆者に概要以外の記入を誘うなどのデメリットの方が大きいと思います。あくまでも、推奨ですが。でもこれは本当に些細な点です。
    上記の数点で「難癖」をつけているように思われるかもしれませんが、実際は私の思い描いていた内容に非常に近いので少し感激しております。あまりにも良い出来でしたので、上記の数点の些細な注文は無視していただいて、すぐにでも入れ替えていただいても良いかと思います。
    さて、色々と勝手なことを書きましたが、Metronome様も「導入部」と「概要節」の役割分けに関する点だけに注力して自らの希望する変更点はあえて[7]に盛り込まれなかったかも知れず、上記の意見集約が済んでいない点は以後も継続されるものとして、とりあえず、「導入部」と「概要節」の役割分けに関する点だけでの、スタイルマニュアル本文の差し替えを行なえれば良いかと愚考いたします。ご尽力に感謝いたします。--Tosaka 2008年5月27日 (火) 22:40 (UTC)[返信]
    はじめまして。今まで議論に加わっていなかったので、積極的に意見を申し上げるものではありませんが、自分は、ある程度、情報系の世界での学問的な論文の書き方について訓練を受けた人間なので、自分がどのように訓練を受けているかを参考までに記してみます。
    概要(abstract)と導入部(introduction)は、違うものだと教わりました。概要は論文全体の縮小コピーであり、本文の前におかれ、本文とは別物です。概要の主張=論文の主張、だと思われてもよい様に書かなくてはいけません。実際、毎年大量に論文は作成されるので、論文を読むときはまず概要を見てその論文を読むべきか決めます。また、本文は論文を実際に購入しないと入手できないのに対し、概要は外部に無料で提供されます。概要の文章量は、文字数で規定されていないことも多いですが、どんなに長くてもA4半ページに収まるように書くのが普通だと思います。論文を全部書いてから、必須な内容だけを抜き出して概要を書くイメージです。
    導入部は、概要と異なり、本文の一部です。どれほど分野違いの人間が突然論文を見たとしても、既にわかっている事柄は何で、この論文はそれに何を付け加えるものなのかが、わからないといけません。多くの場合、導入部は概要を少し詳細にしたものではじまり、その後に主な既存研究を書き、最後にこの論文が付け加えているものを書きます。
    もちろん、論文とJAWPでは目的が異なるので、概要や導入部に対する解釈も違ってよいと思います。ただ、それを概要と呼ぶか定義文と呼ぶかは別として、本文全体の縮小コピーと呼べる部分があってもよいのかなぁ、とは思います。--Autem 2008年5月28日 (水) 20:12 (UTC)[返信]

    >Tosakaさん
    ありがとうございます。苦労が報われる思いです。
    「頻度の少ない別名」の扱いについては異論ありません。そのように注記を加えてよいと思います。「概要」の名称一本化については多少躊躇します。現状概ね「概要」で統一されているようにも思いますが、秀逸な記事の中でもビザンティン建築で「概説」が採用されておりますし、とりあえず「概要」「概略」「概説」辺りは執筆者の裁量に任せるということでいいんじゃないでしょうか。もっとも「序論」「イントロダクション」などはTosakaさんのおっしゃるように概要にふさわしくない文章が書き込まれる恐れが出てくるので止めたほうが良いと思いますが。なお私はもともと現状にあっていないとおもわれる「100字~150字」という目安をなんとかしたかっただけですので、上で示した案が通るのであれば他にはとくに希望することはありません。

    >Autemさん
    非常に参考になります。私は文系の学部で卒論を一本書いたに過ぎませんが、アブストラクトのみ他国語で書かされたりしましたので、「本文とは別物」というのはなんとなくわかります。ただWikipediaの記事では発表済みの事柄をまとめることしかできませんし、形式上どうしても記事の一部に組み込まれる形になりますので、おっしゃるように論文における概要とは自ずと違った機能も持つことになるかとも思います。執筆者も自然に記事全体の流れを考えて「概要」を書くと思いますし、秀逸な記事をざっと見ても必ずしも記事全体の要約ではなく、主題についての基本的な情報をまとめる場として用いられているものもあります(もっとも、中には改善の余地があるものもあるのかもしれませんが)。

    今のところ反対意見も無いようですので、1週間して反対意見がなければ上記の別名についての注記を加えた上で本文に反映するということでよろしいでしょうか。細かい修正点の提案などあれば今のうちにお願いします。--Metronome 2008年5月31日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

    本文に反映しました。--Metronome 2008年6月11日 (水) 03:10 (UTC)[返信]
    Metronome様へ、ご苦労様でした。本来複雑な内容が良くまとめられていて、以前に比べて大変良い内容になったと思います。--Tosaka 2008年6月12日 (木) 14:27 (UTC)[返信]