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Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/Category:XXXX年の○○国の存在価値

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雑感

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「2015年の日本の音楽」を作らなかったこと自体は必ずしも責めるに値しないと考えます。たとえば、

  1. 不慣れだったから、新造していいかわからずに、既存のカテゴリの中で一番近いものの組み合わせを考えた。
  2. カテゴリ新造への心理的な敷居が高く(適切な構造化が出来るかに不安があるなど)、既存のもので代替出来るならそれでいいと考えた。

など、善意に取ることによって、荒らし以外の可能性はいくつも想定できます。1については初心者の行動として何の不自然もありません。2については、自分も世界遺産関連のカテゴリ整理をかなり長いこと躊躇った経験があるので、普通にありうる話だと認識します。

>「国と年」にカテゴライズしたいのであれば、私なら、「カテゴリXXXX年の日本の音楽」を作成します

というのは、管理方面でも経験豊富なJapaneseAさんならばそうかもしれませんが、その最適解を採らなかったからといって「考えなしにカテゴライズしたようにしか思えません」というのはさすがに行き過ぎかなと思います。

反面、今回のケースの場合、裁量ブロックされた利用者の履歴を見ると、「実際にその地で起きた出来事なんだから歴史カテゴリはつけなければならぬ」というきわめて独善的なコメントとともに歴史カテゴリを貼り付けて回ったことが確認でき、上記1、2のように、おずおずとした慎重な姿勢が理由であった可能性は否定されますから、荒らしと判断されたことにも十分に理由があったと思います。

で、なんでこんな雑感をダラダラ述べているかというと、この件は一般化されるべきでないということを確認しておきたいからです。繰り返しますが、この件に限れば

>「国と年」にカテゴライズしたいのであれば、私なら、「カテゴリXXXX年の日本の音楽」を作成します

が最適解だったというのはその通りでしょう。しかし、それを逆手にとってあれもこれも細分化しだす輩が現れるのは迷惑極まりないわけです。JapaneseAさんのご発言にそのような意図がないことは勿論分かりますが、細分化を促している(それをしないからブロックされた)とも解釈されかねない要素は、カテゴリ荒らしに妙な餌を与える危険性を孕んでいると感じました。この件に限れば細分化の方が望ましかった、しかし、常に細分化が歓迎されるわけではないという当たり前の事実は一応確認しておきたいと思います。--Sumaru会話2015年11月14日 (土) 01:41 (UTC)[返信]

コメント 2点コメントします。
  • まず、直近のコメントを修正しました。なお、利用者:42.146.63.66会話 / 投稿記録 / 記録を見るにカテゴリ作成は得意とされているようです。
  • 次に、子カテゴリ作成の件は、全く仰る通りで、何でもかんでもカテゴリを細分化するのが必ず正解ではなく、これは本件に限った話だと思います。
--JapaneseA会話2015年11月14日 (土) 08:10 (UTC)[返信]