Wikipedia‐ノート:削除依頼/画像:!!!Hujiwaraseika.jpg

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Wikipedia:削除依頼/画像:!!!Hujiwaraseika.jpgでのコメント[編集]

  • (反対)(コメント)削除希望の理由が不明である.特徴を良くつかんだ秀作である。写真が掲載できない以上絵は必要と考える 2006年5月19日 (金) 10:49 (UTC)この署名のないコメントはIP利用者220.159.88.213のものです。賛否権無しにつきコメントとしました。--Oddmake 2006年5月19日 (金) 11:06 (UTC)無資格もかかわらず行なわれた賛否投票。判読可能な状態にしておく必要を認めない。--ikedat76 2006年5月20日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
  • (コメント)似顔絵の使用の是非はここではなく別の方法でするべきだとは思いますが、ただ、個人的には「肖像画」もしくは「写真」以外を人物の紹介に使うのは良くないと考えています。(「似顔絵」を許した場合、あからさまな「中傷」を「似顔絵」と言い張るようなことも考えられます。また、描かれている人物が存命中の場合、作者の意図は別として「似顔絵」が名誉棄損という訴えがあることも危惧します)よって似顔絵に相当する画像は削除相当であると言う考えは変えません。絵の出来不出来を問わず、です。--RestaurantLynx 2006年5月20日 (土) 07:00 (UTC)[返信]
    • (コメント) Nekosuki600 さまのご発言を援用いたしますと「項目上の説明画像として似顔絵を使うかどうか」の是非がどうであれ、「似顔絵に相当する画像」はすべて削除すべきだ、と主張なさるのですね、RestaurantLynx さまは。念のためお訊きいたします。
      - Opponent 2006年5月20日 (土) 07:11 (UTC)[返信]
      • (コメント)(1) 似顔絵の是非&イラストの是非については、なんかどっかてきとーな項目を立てて(たとえばWikipedia:井戸端/写真とイラストとか)、そっちでやんないかね。(2) いちいちおれを引き合いに出すなぁ(=・_・、=)(絶叫)。--Nekosuki600 2006年5月20日 (土) 07:22 (UTC)[返信]
        • (コメント)上記Nekosuki600様の(1)に賛成。ここは方針について議論する場ではありません。現状の方針に「似顔絵は削除の対象」という記述が無い以上、一旦は全て存続して議論し、合意に基づいて対処することが望ましいと思われます。Yassie 2006年5月20日 (土) 08:07 (UTC)[返信]
      • (コメント)Opponentさんに申し上げたいのですが、私は先の発言の中で似顔絵を使用すること自体が非であると考えていると発言したつもりです。もっとも安全な方法を考えた場合、「使わない」という選択肢をとるべきだと言うことです。--RestaurantLynx 2006年5月20日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
        • (コメント)似顔絵を使うこと自体が非であるという主張は、ここでするような主張じゃないんですよ。わざわざ議論場所の指定までしているというのにそっちに行くやつがひとりもいないってのはどういうことだ(ためいき)。--Nekosuki600 2006年5月20日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
    • (コメント)ケースFの「削除が妥当だと思われる場合」に含まれると思います。「削除対象にならないもの」には該当しませんし。Qazzx 2006年5月20日 (土) 23:16 (UTC)[返信]
      • (コメント)依頼者は削除が妥当である理由について他の方が判断できるような明確なものを述べていないように思います。私は現時点でそれに該当するという判断ができません。--Filler 2006年5月20日 (土) 23:35 (UTC)[返信]
        • (コメント)Filler様に補足。ケースFの「削除が妥当だと思われる場合」には、削除すべき理由をしっかりと述べて下さい。と明記されています。本件の依頼理由である「不要」というのは、どう読んでも「しっかりと述べられた削除すべき理由」ではないと思います。Yassie 2006年5月20日 (土) 23:46 (UTC)[返信]
          • (コメント)ケースFでは、「述べて下さい」の主語を明確にしていません。依頼者に限定されているわけではないと判断するのが妥当ではないでしょうか?依頼者に限定しているのなら、私が新たに依頼しなくてはなりません。そんな無駄なことを削除の方針で求められているわけないでしょう。Qazzx 2006年5月20日 (土) 23:50 (UTC)[返信]
        • (コメント)依頼者に限定されているわけではないと判断するのが妥当ではないでしょうか?とはまた、恣意的な解釈ですね。それならば「依頼の時点で(=依頼者が)しっかりと述べるべき」という解釈も成り立つわけですが。また、あなた様が新たに依頼「しなくてはならない」ということはないでしょう。当然、そのような無駄なことは削除の方針で求められるわけが無いですね。Yassie 2006年5月21日 (日) 00:08 (UTC)[返信]


    • (コメント) Wikipedia:独自の調査」は画像を例外としています。「8 Original images : オリジナル画像」は次のように述べています。Opponent 2006年5月21日 (日) 03:19 (UTC)[返信]
      • 「独自調査禁止方針において、画像は長らく幅広い例外分野として認定されてきました。ウィキペディア編集者は、自分で写真を撮り、あるいは絵を描いて、それをアップロードしてGFDLライセンスか別のフリーなライセンスの下でリリースして、記事の挿絵に利用することを推奨されてきました」(翻訳中の仮訳なので原文も付加)。
      • (原文)"Pictures have enjoyed a broad exception from the NOR policy. Wikipedia editors have always been encouraged to take photos or draw pictures and upload them, releasing them under the GFDL or another free licence, to illustrate articles."
    • (コメント続き)この文章に続き、その理由が明記されています。要約すれば、(1)画像は例証であること、(2)法律上使える画像は少ないが、独自の画像にってニーズに応えるものであること。――(2)の理由は、存続意見の方々が何度ご指摘なさっています。
      - Opponent 2006年5月21日 (日) 03:19 (UTC)[返信]
      - Opponent 2006年5月21日 (日) 03:46 (UTC): [返信]
      • (コメント)当該文章には続きがあります。記事の内容を補足・例証するような画像の作成・投稿は推奨されますが、画像自体が独自の見解の発表であるような場合はいずれにせよ許可されません。
        • (原文)Images that constitute original research in any other way are not allowed, --猪山人 2006年5月21日 (日) 04:01 (UTC)[返信]
        • (コメント) 「信頼性のある外部メディアに掲載され」説は崩壊いたしました。また、議論の対象となっている画像群について、ご指摘の「画像自体が独自の見解」となっていることを示す、納得に足るご説明をしていただく必要がございます。少なくとも一定程度、画風を理解なさる方がいらっしゃいますので。挙証責任は、猪山人さまにございます。
          - Opponent 2006年5月21日 (日) 04:41 (UTC)[返信]
          - Opponent 2006年5月21日 (日) 04:42 (UTC): 敬称付加[返信]
          • (コメント)似顔絵には省略や誇張があり、本人の外見を忠実に描写するものではないのですから「独自の見解」でしょう。そもそも肖像画とはそういう要素が含まれるものだという見方もあるでしょうが、それでも信頼性のある外部メディアに掲載され一定の評価を受けているのであれば「独自の見解」ではないと言えるでしょう。この似顔絵はその要件を満たしていません。なお画風の理解云々についてはウィキペディア内での評価は無意味です。ウィキペディアは研究成果のピアレビューをする場所ではありません。--猪山人 2006年5月21日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
            • (コメント) 似顔絵に限らず、一つの被写体を撮影した多数画像から選択し、トリミング・レタッチなど画像処理の際に「独自の見解」が入り込むなど、写真にも同様なテクニックはございます。そのようなリスクがありながらも「Wikipedia:独自の調査」が画像を例外として許容するのは、画像が一つの例証に過ぎず、画像資源の不足を補い、ニーズに応えてきた実績があるためです。似顔絵も同様です。ですから「要件を満たしていない」ことを立証していただく必要がある、と申し上げているんです。ところで「ウィキペディア内での評価は無意味」とするご意見は理解不能です。もしそうであるなら、合意形成への議論もまた無意味、とおっしゃっているように聞こえます。「似顔絵として優れていると思わなければ、とっくに削除に賛成しています」(miya さま)とのご意見を傾聴したうえで、議論をお進めくださいませ。
              - Opponent 2006年5月21日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
              - Opponent 2006年5月21日 (日) 06:04 (UTC): 「レタッチなど」を付加。ちなみにレタッチはいわば写真の改竄と見なすこともできます。[返信]
            • (コメント)とゆーか。テキストだって、誇張や省略があるというか、森羅万象を漏れなく表現することはできず取捨選択がなされるという点について同等でしょう。要するにその取捨選択が適切かどうかでPOV/NPOVという評価がなされ、不適切であればPOVだとか独自の見解だとかいう評価をなされる場合があるということで。それがテキストであれ写真であれイラストであれ媒体としてさほどの差はありません。「イラスト」という新しく登場したもの(いや、そういうわけじゃないんだが)に対してどういうスタンスを取ればいいのかがわからなくておろおろしている(人がいる)、というのが現状じゃあないんでしょうか。--Nekosuki600 2006年5月21日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
              • (コメント)写真を処理して掲載する場合においても、処理によって事実を歪め、独自の見解を付け加えることは禁じられています。例えば人物写真に体毛を書き加えたりすることがこれにあたりますかね。このことは「Wikipedia:独自の調査」にも明記されていますが。
                • (原文)A known disadvantage of allowing original photographs to be uploaded is the possibility of editors using photo manipulation to distort the facts or position being illustrated by the photo.
              • 「ウィキペディア内での評価は無意味」とは、誰かがウィキペディア内で独自の学説を発表した場合に、たとえそれが正しく、何人が賛同しようが、ウィキペディアには掲載させられないということです。基本方針「独自調査の禁止」に違反するからです。テキストで表現する場合においても、字数にも限界がありますので、森羅万象を漏れなく表現できないのは仕方ありませんが、既知の事実ではない独自の見解をそこに加えることが許されないのは当然です。--猪山人 2006年5月21日 (日) 09:40 (UTC)[返信]
      • (コメントまとめ(全削除))長くなりましたので私のコメントをまとめます。まず写真の場合を考えると、掲載の際に明るさを調節したりするのは何ら独自の情報を追加するものではないので問題ありませんが、体毛を書き加えるのは独自の情報の追加となりますのでたとえ1ピクセルだろうが許されません。この観点から言うと、本似顔絵は髪の毛などを作者の創造で描いているわけですから完全にアウトです。肖像画として認められるのは、世の中に発表され、これは誰々の肖像画だと広く認識されている場合です。逆に言えば、この要件を満たすのであれば、どんなに下手だろうが似てなかろうが肖像画として認められると考えます。--猪山人 2006年5月22日 (月) 09:43 (UTC)[返信]
        • (コメント) なんと申しましょうか目眩が……訂正なさるのではと思い様子を見ておりました。御説によればウィキペディアンによるすべての絵は一切まかりならん、という理屈になります。そんなご無体な。では宮崎駿さんの似顔絵もダメだということですね。これはコモンズにも投稿されたウィキペディアン en:User:Tarnas さまの絵で、投稿時、広く認識されていたわけではございません。そのようなご意見を持たれることを否定はいたしませんが、少々雑駁すぎる暴論と感じられ、到底首肯いたしかねます。削除意見の方々もそこまで主張なさっているわけではないと思います。
          - Opponent 2006年5月22日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
          • (コメント)ウィキペディアンによる絵は、模式図や図解のような、まさに百科事典の挿絵のようなものは推奨されるでしょう。似顔絵は現行の各種ルールから考える限りは全部ダメでしょうね。私は現行のルールから導かれる結論について説明していますが、暴論だ、というならどこがどう間違っているのでしょうか?そんなにルールに従うのが嫌ならルールを変えるしかないでしょうね。--猪山人 2006年5月22日 (月) 14:31 (UTC)[返信]
            • (コメント) ルールによれば「自分で写真を撮り、あるいは絵を描いて、それをアップロードしてGFDLライセンスか別のフリーなライセンスの下でリリースして、記事の挿絵に利用することを推奨されてきました」となっています。(「Wikipedia:独自の調査」)
              - Opponent 2006年5月22日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
            • (コメント・追記) さらに申し上げるなら、似顔絵や肖像画はダメという示唆ないし明示は、どこにもございません。
              - Opponent 2006年5月22日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
              • (コメント) ルールによれば、画像自体が独自の見解の発表であるような場合はいずれにせよ許可されません。--猪山人 2006年5月22日 (月) 15:24 (UTC)[返信]
                • (コメント) ご発言は明らかにトートロジーないし一方的宣言だと思いますけれども。
                  - Opponent 2006年5月22日 (月) 15:43 (UTC)[返信]
                  • (コメント)ルールであるので一方的宣言なのは仕方ないです。独自の見解の発表ではない画像とは、本の例になりますが『大帆船』のような絵でしょうね。この絵は帆船という事象を図解するものであって、何ら独自の見解を含むものではなく、それでいて芸術としても極めて優れたものです。こうした絵がウィキペディアにも投稿されたら素晴らしいでしょうね。似顔絵はダメです。--猪山人 2006年5月23日 (火) 09:08 (UTC)[返信]
                    • (コメント)大帆船、知ってますけど・・・これ、たとえば船内のコモノとかキャラクタとかにかなりの演出がこめられているんですよねえ・・・。悪いとはいいませんし楽しいしかまわんと思いますけど、だからといって「独自の見解が含まれていない」というのは判断ミスだと思います。意思や見解を含まないものを作るなんて、どだい人間にできることじゃないんです。あとは個々の出来や使い道などに基づいて個別判断をしていくしかない。さて似顔絵。似顔絵が最も適している用途としては「似顔絵という項目の説明用」というのがあると思うんですが、まずはそういう用途について、それでもWikipedia上に似顔絵画像があるのは許せないとお考えなんでしょうか?--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 09:57 (UTC)[返信]
                      • (コメント)『大帆船』のような図解というものは、細部にいくら演出が加わろうが、「帆船」という事象に関して、既知の事実ではない独自の見解が加わっているわけではありません。似顔絵は本人の外見を完全に歪め、既知の事実ではない独自の見解によって表現しています。根本的に異なりますね。--猪山人 2006年5月23日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
        • (コメント)えーと、おれは主としてビデオ、ときどき写真を、商売にしてるんですが、なんというかこう猪山人さんの考え方はちょっと実写映像(写真含む)を信頼しすぎていると思います。イラストだと鮮やかであり写真や実写動画ではわかりにくいという違いはありますが、実際には写真や実写動画であろうとも意図を込めたり事実をゆがめたりということは簡単にできます。どちらかというと、写真や実写動画の方が「そこにあるものである」という迫力がある分だけ意図が見抜きにくく、だましやすいものである、ということすらできます。写真や実写動画であっても、イラストと同様に独自の見解の表明には使えるのです。申し訳ないのだけれども、ちょっとそのメディア観は素朴にすぎるのではないでしょうか。イラストと写真や実写動画を区別する理由はありません。使い方がむずかしいことについても、両者は並列で扱うべきものです。--Nekosuki600 2006年5月22日 (月) 15:27 (UTC)[返信]
          • (コメント)これはおっしゃるとおりで、だからこそ写真といっても創作的要素が含まれるものは許可されないと言えるわけですが、創作的な絵を許可してよい理由にはならないでしょう。--猪山人 2006年5月22日 (月) 22:17 (UTC)[返信]
            • (コメント)「創作的要素が含まれる写真はNG」としたら、Wikipedia上にあるほとんどの写真は削除しなければならなくなりますけれども、そういうご主張だと理解してよろしいでしょうか?--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 03:36 (UTC)[返信]
              • (コメント)例えば銅像に体毛を書き込んでから撮影すれば、写真自体には何ら修正がなくても創作といえるでしょう。しかしそうした写真がウィキペディア上のほとんどを占めるとは思えませんが。--猪山人 2006年5月23日 (火) 09:08 (UTC)[返信]
                • (コメント)創作性の範囲を、独自の見解と言うべきレベルにまで矮小化してご理解なさっているように思いますが。ほとんどすべての写真には創作性が認められ、著作物として理解されており、同時に「写真家の意図・創作性」がこめられているものとして扱うべきというのは、通説判例であり一般常識でもあります。そして、ぱっと見たところ猪山人さんにはわからないのであろう部分にも創作性はまぎれこんでおり、写真家の意図が表明されている場合があります。「創作物」と「そうではないもの」との猪山人さんのご理解は「大帆船」が例に出てきたこととも共通していますが、やはりかなり特殊な基準であると考えざるを得ません。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 10:08 (UTC)[返信]
                  • (コメント)これは私の用語も良くなかったかもしれませんが、「創作」を勝手に「著作」に言い換えないでください。私が上で言っている「創作」とは、「既知の事実ではない独自の見解を付け加えること」であって、「著作権」などという文脈で使われる「著作」とは全く違います。著作物か否かといわれれば、ウィキペディア上の写真はおろか文章も全て著作物であるのは言うまでもないことす。ではその中で、既知の事実ではない独自の見解を述べることが許されるかというと、絶対に許されないのは何度も繰り返している通りです。--猪山人 2006年5月23日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
                    • (コメント)極端に偏った独自の見解が歓迎されるかというと、Wikipediaでは歓迎されません。しかし、まったく見解が含まれないものを人間が作れるのかというと、それがテキストであれ写真であれイラストであれ、作れないんですよ。なんかWikipediaにおける「中立性」をめぐる争点でよく出てくる見解のような気がするけど、中立的視点みたいなものを仮想しても、それは理念なのであって、現実には存在しないんです。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 12:27 (UTC)[返信]
                      • (コメント)ウィキペディアにおける「中立性」とは、既知の事実に関して複数の見解が存在する場合に一方に偏ってはいけないという原則です。本似顔絵が違反しているのは、「独自調査の禁止」、すなわち既知の事実ではないウィキペディアン独自の見解を述べることは許されないという原則です。両者は別次元の問題です。--猪山人 2006年5月23日 (火) 13:19 (UTC)[返信]


  • (コメント)Opponentさんが挙げた宮崎駿氏の似顔絵ですが、肖像権に抵触する恐れがあります。肖像権は知っての通り、写真だけでなく描写も対象になっています。法律で明文化はされていませんが、すでに判例では認められている権利です。私は、この似顔絵も削除対象にして欲しいと思います。(他の似顔絵とは違う問題点があるので、ここで反応がなければ独立して削除依頼を出します。)Qazzx 2006年5月23日 (火) 09:54 (UTC)[返信]
  • (コメント)上のほうで写真も創造性があると主張している方々がいますが、写真と似顔絵の違いを一つ指摘します。それは、写真には被写体が存在するということです。被写体が記事に該当するかどうかという他者からの判断が可能です。それに対し、似顔絵はモデルが他者から見て特定できません。件の画像は私にはどう見ても藤原惺窩には見えません。彼は何を資料にしてこの似顔絵を描いたのでしょう。判断に困ります。それでも削除に反対する方々がいる。写真なら、被写体が別の物ならば削除も簡単でしょう。似顔絵は、描いた本人が言い張れば別人も本人になってしまうらしい。削除も不可だそうです。こんな危険な存続基準はないでしょう。Qazzx 2006年5月23日 (火) 10:27 (UTC)[返信]
    • (コメント)イラスト全般について論じるんだったら場所を変えてくれとゆーてるのになんで削除派のみなさんは移動の気配も見せずに続けるのかなあ。さて。写真とイラストの違いですが、「抽象性」のレベルが違うという視点があります。写真の場合、「それは現物をそのまま現したものである」と受け止められる可能性が高い(実際はそうじゃないんですが)。しかしイラストの場合「写実的なものではない可能性がある」と、見る側が認識の上で留保します。そういう意味で、表現の幅は、確かにイラストの方が広いかもしれません。さてしかしこれが悪いことかどうかというと微妙。たとえば生物図鑑なんかでは、一般に写真ではなくイラストを使いますが、それは写真を使うと「特定の個体の特徴が、その種の生物の代表例として扱われてしまう虞がある」ためです。犯罪捜査に使われるモンタージュも同様。写真よりはイラストの方が「似ている」と思う範囲が広いため、写真よりは似顔絵の方が望ましいという技術的意見があります。そして肖像。特定の表情の写真と、特徴を抽出した似顔絵と、どちらが望ましいか。そんなもんは使い方次第でしょう。あなたがたが使い方を思い浮かばないのならば使わなければいいのだが、誰かが使い方を思い浮かぶ可能性につながる道を封じる権利は、あなたがたにはないのです。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 11:06 (UTC)[返信]
      • (コメント)イラスト全般については別の場所で語りたいのなら、個々の問題について返答頂けないのは何故でしょうか。この削除依頼の大本であります藤原惺窩について、書かれている人物は別人ではないでしょうか。削除に値すると思いますが。Qazzx 2006年5月23日 (火) 11:25 (UTC)ちなみに、10:27の私のコメントは、藤原惺窩を削除できない現状を語ったに過ぎません。藤原惺窩を例に挙げた似顔絵に関する危険性のコメントでもありますが、イラスト全般に広げたつもりは毛頭ありません。似顔絵に、「特定の個体の特徴が、その種の生物の代表例として扱われてしまう虞がある」に該当する問題点はあるのでしょうか?藤原惺窩が複数いたとでも?Qazzx 2006年5月23日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
        • (コメント)藤原惺窩の写真なんか残っていませんからねえ。「特定の藤原惺窩の肖像画と似ているか否か」という話にしかなんないです。その時々に描かれた肖像画にしても、その時々にはやっていた画風などの影響を強く受けていますし。さあ問題は「歴史的人物の肖像画全般の是非」に走って行ってしまうのでしょうか・・・。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 11:57 (UTC)[返信]
          • (コメント)生物図鑑で写真ではなくイラストを使うのは、全くおっしゃるとおり特定の固体ではなく魚一般について表現することが目的だからです。人間の場合も、特定の人物ではなく人間一般について表現するのが目的であればイラストのほうが適しているでしょう。特定の人物の外見を表現するのにイラストはウィキペディアでは原則ダメだと言っています。肖像画については、誰々の肖像画だと広く認識されていることが要件だと何度も述べていますが。--猪山人 2006年5月23日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
            • (コメント)・・・だから「原則ダメだと言って」いるのなら、それは特定のイラストの削除がどーのって話じゃないんで、ここでする話じゃないというのは2つくらい上で言ったばかりでしょう。そういう原則の確立をするのは、削除依頼の役割ではありません。とにかく削除をしたくてああ言えばこう言うに陥っているのではないかということを内省してみる必要があるのではないでしょうか。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
              • (コメント)人格攻撃のご発言がたいへん多いようですがいかがなものでしょう。もう場所を変えたほうがいいと思うのですがどうすればいいのですか?--猪山人 2006年5月23日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
                • (コメント)自分の意見に対する反論や、その意見がなぜもたらされたのかについての指摘を、人格攻撃であると感じるようになったら、議論は休んだ方がいいと思います(ためいき)。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 15:54 (UTC)(編集競合が出たわけでもないのに次のOpponent氏発言を消して上書きしちゃったもんで、リバート+編集をしときます。事務処理。--Nekosuki600 2006年5月23日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
                  • (コメント)私はあなたのご発言に従って移動しようと申し上げているのですが、自分はどんどんコメントを追加していく二枚舌はいい加減にしていただきたいですね。私は画像自体が独自の見解の発表であるような場合はいずれにせよ許可されませんという既存の原則に基づいた議論をしているのであって、未確立の原則の議論をしているのではありません。議論をすり替えないでいただきたい。いずれにせよ「Wikipedia:井戸端/写真とイラスト」にコメントを書き始めましたのでご意見よろしくお願いします。--猪山人 2006年5月24日 (水) 04:12 (UTC)[返信]
  • (コメント) ちょっと愛想がつきかけているんですが、というか、大局を見ずして重箱の隅をつつくような人が多すぎではないかと思ったりしております。コモンズの新着画像を時々見に行きますが、不要じゃないかと思われるトンデモ画像は山のようにございます。あるいは、こんなもの何かの役に立つのだろうかという疑問を感ずる画像も多数ございます。それでも情報の世界ではノイズは多い方がいいんですね。脳神経でも使われていない部分は九割以上で圧倒的多数はノイズ、というか何の役にも立っていそうもない繰り返しパタンがえんえんと続いているんです。ウィキペディアの方針は、不要あるいは有用ではないものであっても、権利侵害か明らかな事実誤認などの実害があるものは別として、自発的な投稿は原則的に受け容れることとなっています。ウィキペディアンが増大すれば、有用でない情報は淘汰されるはずだという信頼と確信に基づいてウィキペディアは運営されてきました。現に、ここで削除対象とされている画像のいくつかに代わる写真画像が、この問題を契機にしていくつか登録されたではありませんか。ウィキペディアで削除すべき対象はウィキペディアの運営と存続に実害を及ぼす虞れのあるものに絞られています。さらに画像に関しては「独自の見解」を少なくとも一定程度許容してきたという経緯もございます。問題とされている画像はカリカチュアと呼ばれる分野に属します。このカリカチュアの歴史は非常に古く、文化的に大きな役割を持ち、また文化以外にも政治的・メディア的に重要な機能を果たしてきています。しかも資本主義の本格化によって、似ていないものは淘汰されてきた歴史もございました。淘汰圧が働くのです。ウィキペディアにも淘汰圧は働くはずです。であるならば、削除の必要は全くございません。もっとすぐれた画像が登録されたとき、だれかが置き換える、これがウィキペディアのきわめて大きな特質です。えんえんと「削除せよ」論を書き連ねるよりも、ウィキペディアのこの特質を信頼してコンテンツ充実に努めることが第一義的に求められるのではないでしょうか。
    - Opponent 2006年5月23日 (火) 15:51 (UTC)[返信]

こんにちは、Koba-chanです。
個人的な判断として存続理由は既に書いてますが、削除の是非以外の問題点が輻輳しはじめているようなので、整理してみました。似顔絵が抱えている問題点を思いつくままに書いてみましたので、こちらの削除依頼とは別にWikipedia:井戸端/写真とイラストにて「乾いた」議論をお願いします。Koba-chan 2006年5月23日 (火) 16:40 (UTC)[返信]

  • (削除)(コメント)既にコモンズに同一の画像がアップロードされているのでこれらは重複です。あちらでも削除依頼が提出されていますが、存続意見多数により削除されることはないと思われます。これにより削除の是非を論じる必要は既に無くなっていると考えます。なお、コモンズの方には日本語フォントを使用したファイル名が使われていますので、それを変更した方が良いという意見を書き込ませていただきました。 Calvero 2006年5月23日 (火) 17:29 (UTC)[返信]
    • (コメント) 次元の違う話ですね。そもそも重複画像の処理について、いちいち削除依頼を立てて投票しなければならないのでしょうか? Tietew さまによる集中的連続削除依頼は「参考」として上でご指摘申し上げましたが、「存続意見多数により削除されることはないと思われます」と、現段階の投票数による Calvero さまの勝手なご推測によって、あたかも投票で削除するかのような誤解を招く処理をするならば、話の筋は違います。コモンズにおいて Deletion Requests の結論が出たわけでもありません。コモンズでの手続きとは別個の問題として扱うべきです。コメントならともかく、そのような理由で削除票をお投じになるべきではなかったと思いますし、「……意見を書き込ませていただきました」とおっしゃりながら、 Calvero さまはコモンズでも Delete (削除)票。
      - Opponent 2006年5月23日 (火) 23:48 (UTC)[返信]
      • 日本語ファイル名でも問題ないそうなので、削除票は取り下げてきました。ただし解説とカテゴリを付加した方が良いとのことです。画像ファイルは名称変更ができない以上、いったん削除して再アップロードするしかないのでは。こちらでの削除票は、いまだ方針の定まっていない「用途不明の画像についての処理」ではなく、別な要不要の観点からの意見表明です。しかし、確かに混乱を招く上に時期尚早ですのでコメント化しました。Calvero 2006年5月24日 (水) 13:24 (UTC)[返信]
  • (コメント)とりあえず、画像:!!!Hujiwaraseika.jpgに関してですが、この画像が藤原惺窩とは別人だという指摘に誰からも反論頂いておりません。別人だという結論でよろしいのでしょうか?別人ならば削除すべきではないでしょうか。Qazzx 2006年5月24日 (水) 00:06 (UTC)[返信]
    • (コメント)「既存の同氏の肖像画とは似ていないと思う、というQazzxさんのご感想が表明された」と受け止めましたが、それ以上でもそれ以下でもないので。感性に反論するのって無粋ですし。--Nekosuki600 2006年5月24日 (水) 00:29 (UTC)[返信]
      • (コメント)それはつまり、Nekosuki600氏は似ていると思うという意思表明であり、似ていないということは削除の理由にならないという意見表明ですね。似ていないことが削除の理由にならないのなら、似顔絵の削除は完全に不可能になってしまいますが、これ以降、似顔絵(に限らずイラスト全般)は削除対象から除外されるという判断と理解してよろしいでしょうか。そして、似ているというのなら、藤原惺窩が髭を生やしていたという根拠を提示してください。Qazzx 2006年5月24日 (水) 00:56 (UTC)[返信]
        • (コメント)いいえ。似ているかどうかについてぼくは意見の表明をしていませんのでねえ。ついでですが、「似ていない」ことは削除理由にはならないとは思います(当該項目に当該画像を貼り付けない理由になるかもしれませんが)。--Nekosuki600 2006年5月24日 (水) 01:41 (UTC)[返信]
          • (コメント)貼り付けない理由になるというのを聞いて安心しました。似顔絵でははっきりと藤原惺窩と断言して掲載されていますので、問題ということで貼り付けはやめにしましょう。で、似ているかどうかというレベルでは無いという事をはっきり言いましょう。画像が間違えているという指摘です。細川町の銅像を見ても秀雅百人一首を見ても、髭は生やしておりません。彼が髭を生やしていたという根拠を提示できない限り、これは間違いだと断定します。根拠なく可能性のみで、間違いというのを否定するのなら、それは妄想というものです。ウィキペディアにふさわしくありません。小沢一郎の写真画像をKoizumijunichiroo.jpgの画像名でアップロードするようなものです。Qazzx 2006年5月24日 (水) 02:01 (UTC)[返信]
            • (コメント)よくわかんない誤読をしたことについての釈明はナシですか。それはいただけないなあ(誤読というより揚げ足の取りそこねだと思うけど)。んで、説明やらなんやらが間違っていた場合ですが、それは「修正の対象」であって「削除の対象」ではありません。そしてここは「修正依頼」のコーナーではなく「削除依頼」のコーナーなんです。--Nekosuki600 2006年5月24日 (水) 02:09 (UTC)[返信]
              • (コメント)わかりました。それではあの画像の間違えている部分を削除すればいいのですね。私はすべてが間違っていると思うので、白紙化という方向でよろしいでしょうか。Qazzx 2006年5月24日 (水) 02:27 (UTC)ついでに、誤読はしましたが、上の文章はその読みが正しかったのかを確認したものであり、正しかったらという仮定の上での注文です。問題はなんら存在しないと認識しております。Qazzx 2006年5月24日 (水) 02:32 (UTC)[返信]
              • (コメント)しかしそれでも問題が残ります。この画像名が「!!!Hujiwaraseika」であるということです。後に藤原惺窩の適切な画像をアップロードするとしても、それは「Seika Hujiwara」などの名前になるでしょう。エクスクラメーションマークが入った謎の画像は気づかれることなく放置されると思います。これは記事と違い画像は名前の移動ができないということに問題点があります。記事とは違った画像の削除ルールを作るべきだと思いますが、こういう想定外のことにも対応できるようにケースFが存在します。やはり削除するのが妥当ではないでしょうか。Qazzx 2006年5月24日 (水) 02:49 (UTC)[返信]
                • (コメント)しょーじきなところ、「なにがなんでも削除を求めて無手勝流」の相手をするのはめんどくさいので、Qazzxさんへの対応はしばらく見合わせさせてもらいます。個別の間違い修正なんかはあとから考えればいいことであり、現在は「一括して並べられた削除要請。主旨の大意は『似顔絵の存在なんか許さない』」の処理の方を優先すべきであると考えます。欠点があるのかもしれないものを手がかりに一点突破をはかるというのが、誠実な議論姿勢であるとは思えませんし、今のところおれは当該画像が間違っているという点について合意をしてもおりません。--Nekosuki600 2006年5月24日 (水) 14:12 (UTC)[返信]