Wikipedia‐ノート:指示の肥大化を避ける

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ページ名[編集]

creep に「(ぞっとする、陰気な)いやなやつ」という意味があることからの誤解だと思いますが、文書の根本的な性格の理解およびページ名の翻訳に問題があると思います。ここでの creep が否定的な意味を含むことは確かですが、基本的には、進行が遅くなること、身動きがとれなくなっていくことを意味する、プロジェクトマネジメント用語であって、「クリープ」とカタカナ語にするか、「肥大化」または「緩慢化」と訳すべきものです。したがって、ページ名を「インストラクション・クリープ」「指示クリープ」「指示による緩慢化」などに変えることを提案します。現在のページ名はとんちんかんなものなので、できればリダイレクトも作成したくありません。--Aotake 2009年7月22日 (水) 02:10 (UTC)[返信]

上の意見を投稿した後になって、「指示の肥大化」でも別にいいことに気付きました。一応、コメントまで。--Aotake 2009年7月22日 (水) 02:18 (UTC)[返信]
参考まで "creeping vine" には「地を這い壁をつたう、つる植物」の意味があります。
現在の英語版には、クズの蔓が生い茂るイメージ画像が貼ってあります。
いや、英語版と同じ画像は使えませんが、「指示の肥大化」は適訳です。--Kiyoweap会話2015年4月29日 (水) 07:31 (UTC)[返信]

提案[編集]

公式な方針あるいはガイドラインの草案とすることを提案します。--වෙ 2010年5月20日 (木) 23:46 (UTC)[返信]

手引きを増やさないために手引きを増やすのですか? あえてそういう段階に持ち上げない方が、この文書のあり方としてはスマートではないでしょうか。--海獺 2010年5月21日 (金) 11:59 (UTC)[返信]
なぜですか?--වෙ 2010年5月21日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
上記のとおりです。この文書が公式な方針やガイドラインの草案として将来的に指示の一つになるとすれば、この文書が目指すものと自己矛盾になるからです。--海獺 2010年5月21日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
この文章が示す三つの条件をこの文章自身が満たしていないと主張されるのですか?--වෙ 2010年5月21日 (金) 19:10 (UTC)[返信]
少なくとも2番目の条件に関しては、私は満たしているとは思えません。よくわかりませんが、反対意見に対して逐一質問をしてどうしようと言うのでしょうか? あなたが納得しない限り、ひとつの意見として認めてもらえないのでしょうか。--海獺 2010年5月21日 (金) 19:18 (UTC)[返信]
私も海獺様に出し惜しみせずに完結した意見を述べて頂きたいのです。「手引きを増やさないために手引きを増やすのですか?」とおっしゃったので、この文章の指す肥大化という意味を正確にご理解されているか確認するために二番目の質問をしました。三つの条件をこの文章自身が満たしていさえすれば、海獺様のおっしゃる「自己矛盾」が存在しないことの十分な説明になると私は考えたのです。間違っていますか?--වෙ 2010年5月21日 (金) 20:15 (UTC)[返信]
根本的な誤解があるようですが、私は反対意見を出し、自分の解釈での意見を述べただけです。私の解釈が正しいと主張したいわけではないのです。ましてあなたの解釈が正確かどうかについても議論したいわけではありません。--海獺 2010年5月21日 (金) 20:23 (UTC)[返信]
海獺様は、ご自身の解釈によればこの文章はガイドラインにすべきではないとおっしゃっていて、私はそうではないと考えて提案しています。私は論点を明らかにし、意見の不一致を解消したいと考えていますが、海獺さんはそうではなく、ご自身の解釈が正しいと主張したいわけではないのにただ意見をつぶやいたというのですか?
海獺様はこの文章は三つの条件のうち二番目をなぜ満たしていないと考えているのかを最初から説明して下さったほうがスマートでしたし、それは今からでも遅くはないと思います。どうでしょう?--වෙ 2010年5月21日 (金) 20:58 (UTC)[返信]
この文書が将来的に一定の拘束力をもつ方針やガイドラインになることは、「景観を損ねるのでここにビラを貼るな」と書かれた大きなビラを貼る行為に等しいと感じています。ですから二番目の条件は満たしていないと思います。この文書を作った方の目的は知る由もありませんが、この文書に拘束力を持たせることは、「矛盾」という言葉できつければ「野暮」でしょう。
さて、こう言ったお話し合いにおいて「出し惜しみをせず」という言葉で、相手が納得するまで説明を求めるのであれば、最低でも提案文の中にこの文書は「みっつの条件をすべて満たしていると思います、なぜなら・・・」と提案者者としての解釈と説明を入れ、なぜこの提案をしたのかの理由くらいは、具体的に書いた方が良いと思います。ウィキペディアにおける提案というのは、「提案します」だけでは成り立つものではないと私は思います。例えば、管理者への立候補でも「何故管理者へ立候補したか」を書くことが慣例になっています。削除依頼も同様で、「自分はこう思い、この方針によって削除を依頼する」という流れです。他のアカウントやIPユーザーとしての活動がないのであれば、あなたはまだ参加されてまもないようですので、今回の提案の仕方からの感想は、もう少し時間をかけてウィキペディアでの提案の仕方について学んでいただいた方が良いと個人的には思います。--海獺 2010年5月21日 (金) 21:28 (UTC)[返信]
私はこの文章が、本文に書かれているような「指示や手引きが 時と共に追加され、もはや管理不能なほどに増殖した状態」とはほど遠いと思います。だから、自己矛盾するなどと思いもしなかったのです。『「景観を損ねるのでここにビラを貼るな」と書かれた大きなビラを貼る行為に等しい』という考えを明らかにして頂かないことには反論しようがありません。海獺さんが自己矛盾すると感じるであろうと先手を打って説明しろというのは時間軸を無視した不公平な意見です。
この提案は、ウィキペディアンがこの文章に合意できるか期限を設定せずに確認するものです。私の考えではなく、文章そのものに合意できるかの確認を求めているのです。私自身は、文章の内容がもっともだと思ったから提案したのだし、それ以上の説明を提案に先立ってすることはありませんでした。しかし、ある観点から受け入れられない部分があるなら対立する意見があることを明らかにしたり、改善の余地がないことを明らかにして廃案にすることにさえ価値があります。批判的な視点でも構わないので、「私の解釈が正しいと主張したいわけではない」などといわずに、是非とも主張して下さい。ただ論点を見つけようとすることを非難する試みはちょっと的外れであると指摘しておきます。--වෙ 2010年5月21日 (金) 23:04 (UTC)[返信]

(インデント戻す)私にとっては

  • 『「景観を損ねるのでここにビラを貼るな」と書かれた大きなビラを貼る行為に等しい』

という表現と

  • 『手引きを増やさないために手引きを増やすのですか?』

という表現は、意味するところは同一です。私にとっては言い換えの繰り返しに過ぎませんでしたが、伝わっていなかったようです。失礼しました。いずれにせよ、この文章が言う「指示の肥大化」というのは、この文書単体でのことだけを指しているわけではなく、方針文書やガイドラインの種類が増えることへの警鐘であり、そういう意味でこの文書が拘束力を持った場合「測定可能な有意義な効果」は、新しく提案された指示として、この文書がひとつ増えたという事実があるので、有意義とは言えず、提案された指示が、本当にその問題を解決できる については所謂パラドックスと呼ばれる状態に近いかと思います。読み返していただくとわかると思いますが、私の最初の意見はこの2点について簡潔に言及しております。--海獺 2010年5月21日 (金) 23:31 (UTC)[返信]

追記:あえて申し上げれば、この文書は公式な方針やガイドラインになることがない方が、この文書の持つ精神や主旨に準じている状態であり、適切だと考えます。--海獺 2010年5月21日 (金) 23:42 (UTC)[返信]

丁寧な回答ありがとう。私が指摘するのは、この文書が定義する「指示の肥大化」とは、「指示や手引きが 時と共に追加され、もはや管理不能なほどに増殖した状態」であり、文書の目的は「方針文書やガイドラインの数が増えることへの警鐘」ではないということです。また、「測定可能な有意義な効果」をガイドラインの本数とするなら(同じ理由でこれもちょっと違うと思いますが)、このガイドライン1つ増え、一定期間たったときに1つ以上のガイドラインが減れば、それは有意義な効果と呼べるでしょう。従って、ただちにパラドックスを生じるということにはならないと思います。また、精神とか信条とかで合意形成するのはWikipediaらしくありません。
そんなことより、これらの指示(この文書が提示している指示は、下記の三つだと思います)が守られたらガイドラインが減る方向に作用するのかどうなのか?を確認し、次に、この文書の指示の副作用がどのようなものであって、それが許容できるのか否か、文書に改善が必要かを議論するという方がよい議論の進め方だと思うのですが、どうですか?
  • すべてのページの指示は、定期的に簡潔に整理する
  • 根拠の不明確な要件は、追加され次第速やかに除去する
  • すべての新しい方針は、しっかりとした検証が行われるまで、「指示の肥大化」と見なす
--වෙ 2010年5月22日 (土) 00:32 (UTC)[返信]
この文書が何故作られ、英語版でも多くの反対で拘束力を持たない状態になっているかを考えれば、この文書が指し示す「指示や手引きが 時と共に追加され、もはや管理不能なほどに増殖した状態」とは、「現在のウィキペディアの状態に対する懸念」を指していると思います。ですので、私はこの文書をあえて拘束力を持たせることはなく、「こういう考え方もあるよ」と言うことが指し示されているだけで、十分機能すると思います。私たちは文書を改善したり、多くのルールにより拘束力を持たせることを目的にウィキペディアに参加しているわけではないのですから。
また、冒頭に提案理由を少しでも書くべきでしょう。そうでないと他の方が議論に参加しづらくなると思います。ここは私とあなただけの合意形成の場所ではないので、私との会話の中であなたの解釈を述べるのではなく、広く他の方の意見も聞いてみるためのわかりやすい状態を作っておくことが必要です。現にあなたの提案理由は私との会話を追っていかないとわかりづらい状態に既になっています。その観点を見逃していては、簡潔に整理するということを実現するのは難しいでしょう。「その論点は既に海獺さんとの会話の中で述べています」という状態になることが、一種の指示の肥大化につながます。現状はこの提案の根拠が不明確であり、提案者であるあなたによるしっかしりた検証が具体的に行われていません。まずは私との対話を進めるよりも、仕切りなおしてみる方が良いと思います。--海獺 2010年5月22日 (土) 05:52 (UTC)[返信]

この文書が広く合意されるか否か、無関心か、それが分かるまで待てないのですか?--වෙ 2010年5月22日 (土) 06:39 (UTC)[返信]

どのように書けばまっすぐ伝わるのかわかりませんが、私は「待ちましょう」と申し上げています。それには提案理由があった方が良いでしょうと申し上げています。やはり、もう少しWikipediaに関する色々なことを理解してから提案という行動をされた方が良いと思います。文書が合意されるのではなく、あなたの提案が合意されるかどうか、ではないでしょうか。いろいろご理解いただけていない部分もあるでしょうけれども、私への質問で解決しようとせずに、広く意見を集めることに動いていただけることを望みます。--海獺 2010年5月22日 (土) 06:51 (UTC)[返信]


海獺さんはガイドラインは「文書にあえて拘束力を持たせる」ものだと考えているようですが「多くの利用者が基本的に同意していて、従うことが推奨される状態」ならばガイドラインと読んでいいし、ガイドラインという札がついているから拘束力をもったりもたなかったりするわけではないと思います。
私は「多くの利用者が基本的に同意していて、従うことが推奨される状態」と呼べるのかそうでないのか、あるいは部分的に直せばそうなるのかを理解するための提案に私の考えを加える必要があると感じません。だから「あえてそれを避ける」という考え方が受け入れられませんし、まっすぐ伝われと言われてもなぁ、、、--වෙ 2010年5月22日 (土) 08:38 (UTC)[返信]
受け入れられないと言うことは承知しました。他の方の意見を待ちましょう。私との対話の中ではなく、提案理由を具体的に書いていただくことを望みます。--海獺 2010年5月22日 (土) 08:54 (UTC)[返信]

突然ですが失礼します。この「指示の肥大化を避ける」は英語版のエッセイを訳したものだと理解しています。それなのに「公式な方針あるいはガイドラインの草案」というテンプレートを用いていることが誤解を呼んでいるのではないかと思います。また、「ウィキペディアは何ではないか」を補足するものであることが明記されており、この文書自体をガイドラインにする必要はないと感じます。したがって、草案ではなくエッセイ(私論)であることを明記するべきだと思います--有足魚 2010年6月1日 (火) 14:26 (UTC)[返信]

日本語版の現状を見れば、方針化もやむなしでしょう。日本語版と違って英語版の利用者は一度ガイドライン/公式方針化された文書であっても文書に欠陥が認められれば、その文書を私論に戻したり廃案化したりといったことができます。コミュニティが自浄能力を発揮しています。一方日本語版はWikipedia:性急な編集をしないに代表されるように一度方針文書化された文書は中々格下げは難しいのが現実です。コミュニティに自浄能力が備わっていません。コミュニティが自身の手によって不必要なもしくは害のある文書を排除することができないのなら、こういった文書に頼るのもひとつの手だと思います--125.206.90.193 2010年6月10日 (木) 22:38 (UTC)[返信]

すでに述べていますが、この文書はウィキペディアは規則主義ではありませんの補足文書です。「ウィキペディアは規則主義ではありません」は明文化された方針の一部であり、「指示の肥大化が起こったルールを除去する」こともこの文書の地位に関わらず有効です。合意がなかなか形成できないことにはいくつかの原因があると思いますが、日本語版においては議論のメンバーが少なく、なおかつ固定されやすいことが挙げられると思います。もっと広く意見を求められればいいのですけどね。--有足魚 2010年6月13日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

Wikipedia:指示の肥大化を避けるはかなり大ざっぱな枠組みの提示なので、ガイドライン化には確実に問題があると思われます。もしこの草案がガイドラインとして使われた場合、「公式方針・ガイドラインの草案・変更案に対して、ノートに Wikipedia:指示の肥大化を避けるを守っていますか?と貼る」というような使い方をされるわけですよね。それでは、提案者は自分が精一杯考えたルールを「細かいこと抜かすな」で一蹴されたように思うのではないでしょうか? むしろ、こういう話題は「ルールを作るなら、できるだけ簡略に。必要ないルールは作らない」という心構えとして前もって浸透させるべきだと思います。というわけで私論としての採用は支持しますが、ガイドライン化は支持できません。--チャボ 2010年6月24日 (木) 15:21 (UTC)[返信]

単純にルールを増やすなと言っているのではなく、ルールを作る時の検定の方法を示している文書であり、その方法もシンプルなので、十分ガイドラインたりうると思います。その検定でアウトならば、何が問題なのかを議論し、解決してからルールにするというのも当然の手順です。ルールは一旦作れば皆が従うとされるものなので、提案者が精一杯考えたかどうかではなくこのような文書にかかれているような当り前のチェックがされて採用されていくということが重要だと思います。

ここでの議論を追う限り、そのタイトルのみから、短絡的にルールを減らせ、増やすなと言っているかのように誤解される方がいるようなので、タイトルの変更が必要かもしれません。--山間部 2010年6月27日 (日) 07:18 (UTC)[返信]

提案者が精一杯考える/考えていないというような論点は見当たりません。ガイドライン化を推し進める方の意見からは、その「必要性」という論点では意見が出ていないというおはなしだと思います。私が必要性を感じないのは、当初から述べているようにガイドライン化しない方がその理念としてスマートである文書であると思うからです。またこの文書で挙げられている3つの要素は、この文書をガイドライン化する上においてはパラドックスのようなものです。ですからガイドライン化は「野暮」であると表現しています。「短絡的にルールを減らせと誤解している」のはどの意見を指しているのかわかりませんが、そのような意見は見当たらず、誤った認識ではないかと思います。--海獺 2010年6月27日 (日) 08:42 (UTC)[返信]
提案者が精一杯考える/考えていないという論点はちゃぼさんが提案されていますよ??あと、パラドックスの意味はご存知ですか?野暮とは洗練されていないことをいいますが、どの部分が野暮なのですか?
*実際の問題がきちんと示されている (対比: 仮説や予想に基づく問題では無い事)
*提案された指示が、本当にその問題を解決できる (対比: 対症療法やみせかけの対応では無い事)
*望ましくない副作用 (判定ミスによる誤爆、過度の複雑さ、不必要な禁止事項など) がほとんど無いか、
 あるいは全く無い
これらがルールにとって必要条件なのはごく当り前のことだと思います。それをわざわざルールにしないことがであるというようなことがおっしゃりたいのでしょうか?ルールを作るに当たってを求める必要はないんじゃないですか?もしも、そのごく当り前のことができていないときがあるなら、それを明文化することは意義深いことに思います。--山間部 2010年6月27日 (日) 09:49 (UTC)[返信]
ええと。よく読んでいただければチャボさんが仰っている論点は「精一杯云々」の部分ではなく、そのあとのこの文書によって一蹴される「懸念」の方だとわかるはずです。「単に使われていた語句」と「論点」の違いをおわかりいただければと思います
どちらの語句の意味も理解しております。
ルールにとっての必要条件のお話は、少なくとも私は投げかけておりません。「ガイドライン化をする必要性」のおはなしはしていますが。
どうも根本的な理解度の齟齬があるようです。字面だけで追って、先入観で反論しても、議論の進展は望めません。
ガイドライン化に賛同している方からは、一ヶ月が経過しても「ガイドライン化を行うにあたっての具体的な必要性」が提示されておりませんので、その辺のお話が出てくるようでしたら、また議論参加いたします。--海獺 2010年6月27日 (日) 11:10 (UTC)[返信]