Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の再選考/0.999... 20120826
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コメント
[編集]- Haifun999 さんのこのコメントへの返事です。ノート:0.999...#章「実解析」についてのすぐ上では、丁寧に対応していた方がいたのですが、この様子ではキリがないとみて対話を打ち切ったのでしょう。指示語が何を指しているのかは私から見れば明らかなのですが、意味が取れないというのは読み手の問題もあると思います。この日本語で分からないなら、原文を読んでも分からないでしょうから、翻訳の問題ではありません。むしろ分かりやすくしようとして指示語を増やしたフシがあります。翻訳者の方は原文を尊重するためにこの部分を残したのでしょうが、私なら大して意味はないと見てばっさりと削ります。それが記事の質の向上と言えるのかどうか疑問ではありますが、変ないちゃもんは減るでしょう。一般論として、素人に分かりやすく(もしくは分かりやすいと錯覚するように)書けば、玄人にはかえって分かりにくくなったり内容が不正確になったりしてしまいます。何を「完成度」と見なすのか、難しいところです。--白駒(会話) 2012年9月17日 (月) 01:06 (UTC)
- 氷鷺さんのこのコメントおよび後から付け加えられた依頼事由に対するコメントです。◆日本語版が英語版と違う基準であってももちろん構わないと思います。ただ、事の経緯を知らない者としては、それが何のためなのか、というところに興味があります。本当に記事の質の向上に寄与しているのだろうか、と疑問です。◆私自身は、利用者ページで宣言しているように、非専門家向けに記事を書くように心掛けていますが、非専門家にやや不親切と思われるような記事に価値がないとは思っていません。◆「分かる人だけ読んでね」ではなく、どういうレベルの人であっても分かるところだけ読めばいいんじゃないでしょうか。どうせ全てが分かるはずもありません。中学生なら中学生なりに、文系大学生なら文系大学生なりに吸収できるものを吸収して頂ければ良いでしょう。大学の教養科目だってそういうものだと私は理解しておりますけれど。その道のプロがすぐには分からないような奥深いことも講義するから価値があるのではないですか。ウィキペディアにおいても、対象読者のレベルを限定し、そのレベルの人が完全に理解できる内容にすべし、などという主張であれば賛成できません。むしろ目安の「内容が充実している」に反することになります。区間縮小法やらコーシー列やらデデキント切断を文系大学生に理解させよう、とかそんな無茶な。数学科でさえ少々苦労するところなのに。◆過去の議論をあさったところ、Y tambe さんのこのコメントに共感します。表現について代替案を頂くのであればまだしも、単に「誰でも分かるようにしろ」では対応できません。誰にでも分からんようなものはそもそも秀逸な記事にふさわしくない、というのが本当に皆様の総意であれば、まあそれはそれで私は一向に構いません。すでに申し上げたように、おかしな理由がまかり通るのが困るだけです。--白駒(会話) 2012年9月19日 (水) 13:26 (UTC)