Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/占事略决 20080809
Sumaruによる投票理由
[編集]全体的な点として
- 充実した記事で分量もある為、本文と注釈を行ったり来たりするのは閲覧者にとって不便なので、本文に回せる記述は可能な限り本文で扱い、注はおもに出典の明示に使うのが望ましいのではないか。
- 現代の研究者の見解や校訂などについてはそれ用の節を新設し、そこで一括して述べたほうが良いのではないか。
という点を感じました。以下、占事略决2008年10月11日 (土) 07:03(UTC)からの引用をまじえて、順に細かい点を述べますが
- 冒頭
注に入れられている話はむしろ本文に盛り込むべきではないかと思いました。注はむしろその出典(小坂眞二氏の文献の何処にそれが出ているか)を示すのに使ったほうが良いのではないでしょうか。
- 概要
奥書云々もやはり本文に盛り込んだ方がすっきりするように思いました。
- (改稿例)『尊卑分脈』によれば、撰者である安倍晴明の没年が寛弘2年(1005年) とされているので、『占事略决』はそれ以前に成立したと考えられる。京都大学附属図書館所蔵の写本の奥書によると、晴明が『占事略决』を撰したのは天元6年 (983年) のことである。ただし、同書には「歳次己卯」の記述もあり、この干支によれば天元2年 (979年)の撰となる[1]。いずれにしても現存する写本は、鎌倉時代以降のものである。
第2段落は概要としては不要だと感じました。上の改稿例のように一言添えておくだけで十分だと感じましたし、第2段落前半はむしろ「写本について」の節の冒頭に回す方が良いのではないでしょうか。
第2段落後半(特にマンガに触れた注釈)は概要としてはバランスが悪いので、記事の終わりのほうにでも「サブカルチャーにおける『占事略决』」(仮)といった節を設けて、そちらで記述する方が良いのではないでしょうか。またいつマンガなどで持て囃されるか分かりませんし、そういうときにそれを記述できる節がないと、それだけを書きたい利用者によって記事のバランスを崩されるおそれがあると思います。
概要の節の最後の注は、本文で記述した方が良いように思います。ただし、概要の節に入れるのではなく、現代の研究者の業績はどこかにひとまとめに記述して「テクストそのものについて」と「それについてどういう研究の蓄積があるか」を分けた方が、研究史や現代的意義をつかみやすいように思いました。
- 写本について
- >貞応の元号がそのまま6年まで続いたと仮定すると、貞応6年は1227年(安貞元年)となる。
この部分は専門家の間で定説化した「仮定」なのでしょうか。素人目には偽書の可能性や元号・年数の誤記など様々な可能性が検討されていそうなものだとも思えるのですが、出典の明示があると望ましいと思いました。
- >本文冒頭の記述が『常以月将加占事』となっているのは、京都大学附属図書館蔵本と同じである
当の京都大学附属図書館蔵本のくだりにはこの話が出ておらず、唐突な印象を受けました。また、これにどのような意味があるのか分かりませんでした。単なる誤記を紹介しただけなら良いのですが、もし写本の系統を推察する上で意味がある等、“有意義な誤記”であるならその旨の記載があるとよいかと思います。
- 『占事略决』の特徴
少しつながりが分かりにくかった文章表現を試みに直してみましたが、それ以外は特に気になった点はありません。
- 『占事略决』の構成
査読依頼の方でも指摘があったようですが、提示法を変えてはどうかと思います。私のような素人はずらっと並べられた章題を見ても何のことやら分かりませんし、すぐあとや注釈に盛り込まれている説明がその都度本文に示されている方が閲覧しやすいと感じました。
- (改稿例)
- 第一 四課三伝法
- 第二 課用九法
- 第三 天一治法
- この3つの章は、六占式占のための天地盤の作り方や四課三伝の立て方を説明している。天地盤を作成するときに、また「式盤」と呼ばれる簡易な器具を使用することがある。式盤のことを「天地盤」と呼ぶこともある。
- 第四、第五の章は六壬で重要視される十二天将と月将の持つ象意を説明している。
注に回されている説明もこのような形で本文に組み込めば、閲覧しやすくなると思います。なお、「天地盤を作成するときに、また「式盤」と呼ばれる簡易な器具を使用することがある。式盤のことを「天地盤」と呼ぶこともある」の部分は、「天地盤」と「式盤」の関係が分かりづらいと感じました。
「『占事略决』は、当時の六壬を知る上で極めて重要な書物である。」で始まる段落は「『占事略决』の特徴」の節の最後の段落につなげる方がすっきりするように思いました。
読み下しの容易さと表裏をなす理解の難しさについては、前述の通り、研究史の節などを作ってそちらに別記する方が良いのではないかと思いました。なお、どこに記述するにしても、『安倍晴明「占事略决」詳解』に見られる仮説の記述については注意が必要であると感じました。公刊されている著書ですからWikipedia:独自研究は載せないにはもちろん抵触しないと判断しますが、上梓なさった御本人の加筆では中立的な観点から疑問が投げかけられる余地があるように思います。もし既に書評などがあるのならば、他の専門家からその仮説がどう受けとめられているのかなどを付け加えていただく方が、禍根が残らないように思いました(以上の指摘は『安倍晴明「占事略决」詳解』の仮説そのものにケチをつけているわけではありません。それを判断する知識は私にはありませんし、あくまでも提示の仕方の話です。誤解の無いようその点は念押ししておきます)。
- 占術書としてみた『占事略决』の特徴
「研究史」に関する節がないこととも関係がありますが、何度も出てくる「失われた」という表現に引っかかりました。おそらく前の節にあった時代とともに知識が劣化していったということに対応しているのだと思いますが、では復元されたのはいつなのか(参考文献の刊行年からしてかなり最近の話なのか、それとももっと前からあったのか)がよく分かりませんでした。この節は「『占事略决』の特徴」の節(あるいは研究史についての新しい節)とでもあわせて再編した方がすっきりするのではないでしょうか。
- 安倍家における『占事略决』の位置づけ
この節は本来もっと前にあるべきではないでしょうか。少なくとも「諸説あるが冒頭に示したとおり、『占事略决』は安倍家における家伝を背景として、六壬神課について簡略に解説した書籍であり、中世陰陽道の研究に必須の文献資料と解される。」に対応する説明が「概要」の節にないのは、この文献の歴史的意義を読者に示すうえで不十分ではないかと思いました。
なお、細かい点ですがp.はpage, pp.はpagesの略ですので、単一のページを示す場合にはp. の方が適切です。
以上好き勝手に述べさせていただきましたが、内容的には大変面白く、勉強になった点は改めて強調させていただきたいと思います。--Sumaru 2008年10月13日 (月) 15:11 (UTC)引用元の明示--Sumaru 2008年10月13日 (月) 15:57 (UTC)