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Wikipedia‐ノート:管理者解任の投票/Tomos 20100217

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進捗状況

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賛成票1票目氷鷺さんまでと、反対票10票目まさふゆさんまでの投票資格を確認。--青木(おおぎ)高校生 2010年2月20日 (土) 20:10 (UTC)[返信]

解任賛成票、氷鷺さん、解任反対票の18票目、山本山815さんまで投票権があることを確認しました。反対票12票目に投票されたUtsu009さんは要約欄でのコメントが行われたため、無効セクションへ移動させました。--Hosiryuhosi 2010年2月22日 (月) 07:41 (UTC)[返信]
賛成票、11票目Chatamaさんから、24票目Centaurusさんまでの投票資格を確認しました。Utsu009さんの投票が無効であることも確認しました。--青木(おおぎ)高校生 2010年2月27日 (土) 10:36 (UTC)[返信]

Utsu009さんの投票について

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反対票に投票されたUtsu009さんについてですが、要約欄でのコメントを行った投票が行われ、その後それに気がついて取り消しを行われた後に再度投票を行われました。Wikipedia:管理者の解任#投票フェイズの無効の取扱いの1の5番目にあたり、取り消し後に再投票を行えば有効票とするとはかかれていなかったため、無効と判断して無効のセクションに移動させました。微妙だったのでここに書きました。ご意見をよろしくお願いします。Wikipedia:管理者の解任#賛否表明の形式にあたるため無効でした。--Hosiryuhosi 2010年2月21日 (日) 10:47 (UTC)訂正--Hosiryuhosi 2010年2月21日 (日) 10:58 (UTC)[返信]

投票コメント

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解任賛成

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解任反対

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  • 被依頼者の履歴をざっと見ても、特に問題があるとは思えませんでした。よって解任には反対します。 ところでコメント依頼の議論も見ましたが、解任動議を起こさなければならないような理由も(私には)感じ取れませんでした。 私は、(問題があれば、いつでも解任動議を起こすことが出来るため、任期制が必要とまでは思えませんが)定期的に管理者の管理行為を見直すことは意義があるとは思います。 しかし、それは定期的にコメント依頼の場で見直せば良く、そこで解任する他ないと考えるまでの問題がないのに、解任投票まで持ち込むというのには首を傾げざるを得ません。(問題があれば、投票への移行は仕方がないでしょう。) 順次解任動議を提出して行くやり方には、「えー、こんなことずっとやるの?」とウンザリした感情が湧いてくるのは否定出来ません。--山本山815 2010年2月22日 (月) 06:51 (UTC) --文面修正山本山815 2010年2月22日 (月) 08:34 (UTC)[返信]
  • (コメント)コメント依頼にも書きましたが、あらためてこのような投票に反対の意見を書きます。任期制の議論がこじれてこうなったというのは承知しています。自分はそちらの話に関与する気はないので、任期制が導入されてもされなくても、決まったことには従うだけです。が、話がまとまらないから解任投票でやってしまえというのは、どう考えてもおかしいです。任期切れで辞めるのと、解任されて辞めるのでは意味が全然違います。このような大事を規律する人たちは、我々の司令塔であり、司令部員と言っていいのです。人を使い捨ての駒のようにするのでなく、生かして動かすための人事を考えていただきたいです。
コメント依頼で示された理由は、Tomosさんの非を鳴らすものではなく、Tomosさんが自分の考える管理者像に一致しないというだけでした。それも、他人から突っ込まれてはじめて明かしたもので、何も指摘されなければ理由をきりぎりまで伏せたまま、あるいは何の理由もなしに、反対票が入ることになった可能性があります。投票に賛成だが解任には反対という行動も含め、Tomosさんの解任の是非よりも、組織論的・政治論的信念のほうを優先してはいませんか。
管理者の信任基準が75%というのは、意見の違いを投票動機にしないという自制心が投票者に求められている、ということを意味しています。人々が考えの違いを理由にぽんぽん反対票を入れはじめたら、誰も管理者になれません。そうではなく、ウィキペディアンの間に対立があるなら、管理者の間にも当然その対立があるだろう、と考えるべきなのです。人事に関する投票を、意見表明の手段として使ってはいけません。自分と意見が違う人でもまっとうなウィキペディアンだと認める度量を示す。一人一人がそのような投票をして、はじめて75%の信任は機能します。そのように振舞う人がいなくなれば、50%でも機能しなくなるでしょう。そういうわけで、自分の理想を単純に投影して、それに合わないことを理由に反対票を投じるのは、間違っていると思います。--Kinori 2010年2月24日 (水) 16:12 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず結論から言いますが、本管理者の解任には反対します。管理者権限なんてものは使わずに済むのならそれに越したことは無い(むしろ使いすぎて問題になることのほうがはるかに多い)のだし、本管理者の場合は、管理者以前のユーザとしても問題どころかむしろ模範的であると感じられるからです。
    しかしながら、こうした投票そのものについては私は否定しません。RfAでは信任されるためだけの美辞麗句を並べ立て、就任すると豹変して「よほどのへまをしない限り安泰」とばかりに権限の上にあぐらをかいているとしか思えない管理者もいます(就任直後からRfAで述べたこととは真逆のことをやる管理者までいます)。また、一部の管理者には中立性を維持せずに管理者同士の意味不明な庇い合いに走る傾向があり、本来ならば管理者が複数いることによって機能すべき管理者相互のチェック機能が残念ながら機能しているとは言い難いです。こうした現状がある以上、現職の管理者に対して、何らかの定期的なチェック機能は必要と考えます。そこでこうした投票を定期的に行うことによって、現職の管理者は一度はコミュニティから信任を受けた管理者として、あるいはそれ以前の百科事典の編集者としての普段の活動を見直すきっかけになるのではないかと考えます。投票には賛成だが解任には反対という票が入っているのも、そうした現状を反映してのことではないでしょうか。
    そもそも、人には自制心がどうの度量がどうのと言いながら、ご自分は投票そのものを否定するのであれば、それこそご自分の度量のほどをまず疑ってみたほうが宜しいのではないかと思います。任期切れで辞めるのと、解任されて辞めるのでは意味が全然違いますとのことですが、そんなものは言葉尻のニュアンスに過ぎず、本質的な問題ではありません。ウンザリした感情が湧いてくると言っている人もいますが、うんざりするのならばこの種の投票には一切関わらず、ご自分の記事を書き進めていればいいのではないでしょうか。Yassie 2010年2月25日 (木) 22:53 (UTC)[返信]
    • コメント 「順次解任動議を提出して行くやり方」に「ウンザリした感情が湧いてくるのは否定出来ません」と書いています。 投票やこのコメント欄で意思を表明することは、当然許された行為でしょう。 あと、私はログインして発言していますので、「人」というような失礼な書き方は止めて頂けないでないでしょうか? 「言葉尻のニュアンスに過ぎ」ない事を取り上げず、「本質的な」疑問について良くご理解した上で発言下さい。 --山本山815 2010年2月26日 (金) 00:35 (UTC)[返信]
      • (コメント)私は、「人」というのは至って普通の書き方だと認識しています。それこそ言葉尻の揚げ足取りというものではないでしょうか。これが仮に「輩」とか「奴」とかと書いたのであれば、おっしゃるようなことも理解できますが。Yassie 2010年2月26日 (金) 05:48 (UTC)[返信]
    • (コメント)任期切れで辞めるのと、解任されて辞めるのでは、意味が全然違います。ニュアンスの違いにはとどまりません。任期切れで辞めるのは、プラスでもマイナスでもありません。解任されれば深く恥とし、場合によっては恨みを含みます。それは人として当然の感情で、そのような感情いを持たないほうが異常なのです。人事にあずかる人は、他人に対して異常者になることを求めるべきではありません。
      それから、私が信任投票について述べた「度量」を、まったく別の文脈に移し変えないでください。我々は様々な問題で対立します。そのときには当然対立意見を批判します。投票に持ち込まれれば、反対票を入れるでしょう。それはいいのです。少数派、多数派どちらにあっても、自分の考えを述べればよろしいのです。そこでは初めから度量など問題にならず、無理に度量を求めても、卑屈な追従しか得られないでしょう。私は、その反対を管理者投票にまで持っていくな、と言うのです。75%基準でそんなことをすれば(重複するので中略)なのであります。私が求めるのは、議論における対立と、信任投票での賛否をきっちり区別することです。この趣旨を理解した上で、私が何を批判しているのか、個々の段落ごとに分けて読んでいただきたいです。--Kinori 2010年2月26日 (金) 02:53 (UTC)[返信]
      • (コメント)私は「異常者」になることを求めた覚えはありません。管理者であれ一般ユーザであれ、あるいは執筆・編集活動であれ管理・運営活動であれ、「人情」などというものを基にして回したのでは中立性を欠き、つまりはプロジェクトの根本理念に真っ向から反するから捨てていただきたい、とは思いますが、それを「異常」と切り捨てることのほうが「異常」ではないでしょうか。少なくとも私に言わせれば、ボタン押し係を解任された程度で恥だの恨みだのというほうがよっぽど「異常」ですよ。何かこう、Kinori様は管理者を特別視しすぎておられるのではないでしょうかね。
        それから大学を卒業してから一貫して外資系企業で勤務している身として申し上げますが、Wikipediaのようなグローバルな場では、かような「浪花節」は通用しません。それどころか、実社会のグローバルな場では、そういったものは物笑いの種にすらなり得ます。jawpはあくまで「日本語版」であって、「日本版」でも「日本」でもないということを、よくお考え頂きたいと思います。Yassie 2010年2月26日 (金) 05:51 (UTC)[返信]
      • (コメント)『異常者』としての発言となりますので御了承ください。Yassie様、グローバルな世界を知っているものばかりがココを見ているわけではないことに、もう少しでいいですからご配慮をいただけませんでしょうか?あまり“グローバル”を盾にされると、その“グローバル”とやらを破壊する(破壊を志向する)人間を増殖させることにもつながりかねません。Yassie様にとっては物笑いでしょうが。--61.116.131.149 2010年3月1日 (月) 15:40 (UTC)[返信]

中立

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棄権

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