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Wikipedia‐ノート:著作権/改訂に向けて/確認作業

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確認作業

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どうも根源からひとつひとつすり合わせないといけなそうですね。GFDL の 1. APPLICABILITY AND DEFINITIONS の第一文は、GFDL と宣言できるのを著作権者のみと限定している様にわたくしには読めます (著作権者の同意を得ている場合は代理人と考える)。まずこの点は共有しておりましょうか。--Jms 2008年5月19日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
はい。--Ks aka 98 2008年5月19日 (月) 11:25 (UTC)[返信]
すると全ての GFDL は著作権にその基礎を置くことになります。それと、「根拠は著作権ではない」や、「Dの履歴にaが含まれる根拠がAの著作者であることに由来しない」というのは整合しないと思います。D の履歴に GFDL に基づいて a が含まれているなら、その根拠は a の著作 A が GFDL によって利用許諾されている事にあり、その許諾の根拠は a が A の著作者であることに求めねばなりません。a が A の著作者であること以外の理由により、GFDL な D の履歴に a が含まれているとしたら、その理由としては一体何がありえましょう。--Jms 2008年5月19日 (月) 11:44 (UTC) さあうっかり転記元を履歴欄に書き忘れました。どうしましょう --Jms 2008年5月19日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
その理由は「aとbの契約の際の契約条件」ですね。
あと、転記元云々の件は引用の範囲じゃないでしょうか。--iwaim 2008年5月19日 (月) 12:14 (UTC)[返信]
aの著作物AをGFDL下に置く事ができるのは、aが著作権を有することに由来します。
Cの履歴の中に、aの名前が置かれていることの根拠は、Aにおいてaが著作権者であり、CはAの(Bを介した)二次的著作物だからです。DはCを無許諾で改変するために履歴ページを保存していて、そこのaの名前もあるわけですが、これはaがDに創作的な寄与をしているからではなく、Cの履歴ページにaがあったから残しているに過ぎません。aの名前がDの履歴に残る根拠は、単に「GFDLの求め」です。
これは「根拠」という言葉の使い方の違いに過ぎないのかもしれませんけれど。
転記は問題ないと思いますけれど。--Ks aka 98 2008年5月19日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
A を GFDL だと宣言したのが、A について何ら権利を有さない x であった場合、x が D の履歴に残る根拠は存在しないし、a が D の履歴からの x の除去を求められる根拠は A が x ではなく a の著作物であることにあると思うのですが。「aとbの契約の際の契約条件」という表現を使うなら、「aとbの契約の際の契約条件」が妥当である根拠は結局 a の A に関する著作権でしょう。確かに「根拠」という言葉の使い方の違いだとは思いますが、これらの場合に「根拠」と言えない理由は何でしょう。たとえば、「A の著者が x ではなく a であることを知りながら、c との契約であるからとしてなお x の名を D の履歴に残した d の行為には根拠がない」といった判決文があったとしたら、この文はおかしい文に思えますか? Ks aka 98 さんの「これはaがDに創作的な寄与をしているからではなく」という表現からすると、根拠すなわち a が D について著作権を有すること、という意味でわたくしが根拠という言葉を使っていると想定しているのではないかと想像しますが、わたくしは D に a の著作権が及ぶと主張しているわけではありません。d は c との利用許諾契約に基づいて C の履歴を D に引き継がねばならない、では 「Cの履歴の中に、aの名前が置かれていることの根拠は」と問えば「Aにおいてaが著作権者であり、CはAの(Bを介した)二次的著作物」であることに求められるわけですから、結局は D の由来する A の著作権が a にあることが D の履歴に a が含まれる根拠だと言っているのです。--Jms 2008年5月19日 (月) 14:49 (UTC)[返信]
《「aとbの契約の際の契約条件」が妥当である根拠は結局 a の A に関する著作権でしょう》というところが違うと思っています。まあ、根拠という言葉の使い方の問題なんだろうけれども。「aとbの契約の際の契約条件」が著作権法からみて妥当であるのか否かは関係ありません。両者が妥当だと思えばいいだけです。まあ、当事者の中には「妥当だ」という判断を下す一因として著作権法を思い浮かべる人はいるかも知れませんが、それはその人がそういう考えに基づいて行動しているだけです。あらゆる状況下で「根拠が著作権」とは言えないと、私は考えます。
あと、見出しつけておきました。--iwaim 2008年5月19日 (月) 15:13 (UTC)[返信]
GFDL ではなく、契約一般ならそう「かも」しれません。しかし、GFDL は a が A の著作権者であることを求めているので、著作権を根拠としないことはありえないと考えます。著作権を根拠としていないなら、それはそもそも GFDL ではないでしょう。すなわち、GFDL としての妥当性という制約があると考えています。--Jms 2008年5月19日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
著作権者の話は、別にGFDLな著作物にかかわらず、すべての二次著作物に関連する話だと思います。--iwaim 2008年5月19日 (月) 16:18 (UTC)[返信]
そこは議論の前提の違いですね。わたくしは GFDL についてしか議論していないという認識でいます。GFDL の様な逆説的ライセンスでなければ、普通に二次著作物として扱うだけのことでしょう。--Jms 2008年5月19日 (月) 16:27 (UTC)[返信]

懸念しているのは、「すなわち a が D について著作権を有すること」ではなく、「aがDに対する何らかの権利を有していると考えているのではないかということ」かな。そこで「契約」が出てくるなら、いよいよ論点は一元化されるということになりそうです。--Ks aka 98 2008年5月19日 (月) 16:40 (UTC)[返信]

「aがDに対する何らかの権利を有していると考えているのではないかということ」というのはトリッキーですね。D は、GFDL を条件として C を利用しているので、a を D の履歴に表示する義務を (GFDL という契約の範囲で) 負うていると考えます。これを、義務と権利というレトリックで言い替えられたら、それは違うでしょう、と答えます。契約の範囲での権利だ、といういい方もできなくはないでしょうが、C に対して a が権利を持つ、というのとは全然違う意味でしょう。もし a が D に関して履歴に a と表示させる権利を有しているなら、そもそも GFDL は不要です。GFDL の背後にある同一性保持権の不行使の適用希望範囲が著作権に逆説的であるがゆえに、GFDL 等の契約によらねば「A から派生したものを利用したら a と書いてね」といえない、と考えています。--Jms 2008年5月19日 (月) 17:22 (UTC)[返信]

はい。ではそこで、おれは、GFDLがあっても、なお、aがdに対して(無許諾でCを使用する)Dの履歴に名前を書けとは言えないのではないかと思っているのですが(少なくとも言えないケースはあるし、一般にも言えないかもしれないけどちょっとはっきりとはわからない)、Jmsさんは、書けといえると思っているのではないか、という違いがあるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。--Ks aka 98 2008年5月19日 (月) 19:34 (UTC)[返信]

「無許諾でCを使用する」というのは、許諾条件に反して、と読みかえてもよいですか。無許諾で、なら GFDL の外の話だと思いますが。D' の履歴について a と書くことを A が要求する、という状況に解釈してもよいなら、そんな要求は根拠のない不合理なものだと思います。--Jms 2008年5月19日 (月) 20:17 (UTC)[返信]
もしかして「d は C に関する利用許諾に基づき履歴に a を表示する義務を負うが、その義務の不履行に関して a が d を直接訴えることはできない」という非対称性の話ですか? a による A の GFDL での利用許諾は C の利用許諾の構成要件であるかどうか、ないし、d に対する C のライセンサーは c なのか、abc 三者なのかという話? --Jms 2008年5月19日 (月) 22:58 (UTC)[返信]

「d は C に関する利用許諾に基づき履歴に a を表示する義務を負うが、その義務の不履行に関して a が d を直接訴えることはできない」のはよいですか?--Ks aka 98 2008年5月20日 (火) 02:01 (UTC)[返信]

裁判してみないとわからない、というのが正直なところです。「履歴に表示されないことで精神的苦痛を受けた」といった理由なら受ける弁護士はいるでしょうから、訴訟自体は可能だと思います。弁護士と裁判官の組合せに強く依存すると思いますが、裁判所の判断としてありそうなのは、
  1. (D' に対する a の権利がないことの類推から?) a に原告適格性がないとして却下
  2. a を C の共同著作者として位置づけ、D に対する a の権利を積極的に認める
  3. A を提供した時点で a が履歴への名前表示に相応の期待をすることは妥当として a の主張を (ある程度) 認める
  4. 上記の様な可能な解釈を列挙した上で、そうした「混乱」を招く GFDL というライセンス自体が無効だとして却下
あたりだと思います。どれになってもわたくしは驚きません。1. の場合は形式的に処理したな、と思うでしょう。2.、3. ならそこそこ勉強してるな、と思うでしょう。4. だったらよくよく勉強しているなと思うでしょう。4. の様なケースさえあり得るので、「d は C に関する利用許諾に基づき履歴に a を表示する義務を負う」という部分も含めて、裁判してみないとわからん、と思っています。1. の場合が一番ありそうだ、という感覚はわかります。--Jms 2008年5月20日 (火) 08:10 (UTC)[返信]
だとすると、Jmsさんが「根拠」を「理由」とでも言い換えてくれればいい話という気がしてきている(少なくとも、おれは&同一性云々は別にすれば)。--Ks aka 98 2008年6月1日 (日) 17:40 (UTC)[返信]
  • 「根拠」sensu Ks aka 98 = 「直接の根拠」sensu Jms ⊂ 「根拠」sensu Jms ⊂「理由」sensu Ks aks 98
という感じでしょうか。道義的責任、なんてのはわたくしにとっては根拠ではありませんが理由です。同一性云々は別にできるのかどうか躊躇します。--Jms 2008年6月1日 (日) 19:40 (UTC)[返信]

別方面からの確認作業

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別方面からの確認作業を行いたいと思います。乱立すると混乱するというならば放置しておいてください。

まず、根源の確認。以降、特に明記しない限り日本法の範囲のみということで。

私は、著作物に対する利用の契約を交わすとき、契約自体の根拠法は民法であると考えていますが、この点について意識のずれはありますか? --iwaim 2008年5月19日 (月) 12:23 (UTC)[返信]

民法だと思うけれど、おれは民法は十分把握していないのであまり踏み込んだところでは意見を言えない、と表明しておきますです。--Ks aka 98 2008年5月19日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
契約の妥当性は民法でも判断されると思いますが、「契約自体の根拠法は民法である」という表現には違和感があります。契約を無効とする法的根拠は民法何条に求められる、という表現なら違和感はありません。民法でも、というのは、民法の範囲で妥当な契約であっても、著作権法の理念からすれば適切でない契約というのはありえると考えるからです。--Jms 2008年5月19日 (月) 14:49 (UTC)[返信]
やっぱりそこですか。《著作権法の理念からすれば適切でない契約》という表現がどこまでの意思を含意しているのかは不明ですが、そもそも契約自由の原則からすれば、著作権法の理念云々は無関係だと思います。cとdの間で著作物利用のための契約がなされるときに、cが出している条件「履歴にaが入っているが、これはそのまま履歴残せ」ということなどに同意できるか否かというだけの話だからです。--iwaim 2008年5月19日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
で、追記しておくならば、cがdにその条件を提示する理由はbとcの契約条件であり、bがcにその条件を提示した理由はaとbの契約条件です。そこに、著作権の理念は介在しないはずです。--iwaim 2008年5月19日 (月) 15:16 (UTC)[返信]
上にも書きましたが、それは契約一般論であって、GFDL についてではありません。それとは別に、著作権に関連しながら、著作権法の想定から逸脱する契約というのは、公序良俗に反するの類だと思います。まぁ公序良俗に反するとなれば民法でもダメなので、著作権法の想定から逸脱する契約は民法でもダメなのか…。--Jms 2008年5月19日 (月) 15:28 (UTC)
同じところに落ち着いたと思うので、新たな論点がでない限り、以降は#確認作業でやりますか。--iwaim 2008年5月19日 (月) 16:14 (UTC)[返信]