Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/婚姻した皇女について/過去ログ2007-01-23T22:20:47Z
婚姻・臣籍降下によって皇族身分を失ったものについて
[編集]- 話がずれてしまうのですが、三笠宮崇仁の女子は既に結婚されて臣籍に降下されて戸籍名も変わっているのだから(皇族に戸籍はないというツッコミは別儀に)、項目名は近衛甯子・千容子で立てるべきなのではないのですか?--水野白楓 2005年11月5日 (土) 03:34 (UTC)
- 15日には紀宮の結婚が行われて民間人の「黒田清子」さんになるわけですから、その辺の確認はきちんとした方がいい。--163.139.24.53 2005年11月10日 (木) 00:49 (UTC)追記…今、書いたところ、黒田清子→紀宮清子のリダイレクトになっていたが、逆ではないか?
梨本宮守正王もその例でしょうか?私は、皇族時代に有名であり、皇籍離脱後に特筆すべき活動がない元皇族の記事名に関しては、離脱後の名称を記事名とすることに違和感を感じます。一般人でも、旧姓のまま活動している著名人が存在しており、旧姓のままの記事名になっております。私は、基本的には皇族時代の名前を記事名とすることが望ましいと考えています。--経済準学士 2005年11月15日 (火) 11:59 (UTC)(追記)経済準学士 2005年12月5日 (月) 10:13 (UTC)
- 結婚して皇籍離脱したことにより、公人でなくなるので皇族時代の名前を記事名とすることが望ましい。結婚相手の方も一般人ならば元皇族の方と結婚した以外、特記すべき事項がないので記事にする必要性があるとは思えない。--ぽち 2005年11月16日 (水) 10:35 (UTC)
- それぞれ近衛甯子、千容子、黒田清子とするのが望ましいと考えます。旧皇族の女性方は、伊勢神宮の祭主や各団体のパトロナージュなどされている方も数多く、公的な活動をなさっている以上、その限りにおいて公人として扱われてしかるべきかと存じます。一方、結婚相手の方は、とくにその他事跡のない方ならそのままでよいとは思います、裏千家の宗匠などは、独立した記事があってしかるべきだろうと思いますが、それはまた別の話ですね。、ってこれもあいまいさ回避をどうしましょう。斎号を記事に含めるのかしら(だからそれは違う話だろうと)--Aphaia 2005年11月17日 (木) 12:39 (UTC)
- それを言ったら近衛氏は日本赤十字社社長で細川元総理の実弟、島津氏は山階鳥類研究所理事長、池田氏は岡山の池田動物園の経営者でいずれも旧華族なのですから、ウィキペディアで項目を立てることに遜色のある方とは思われない(近衛氏は項目がある筈です)ですね。--水野白楓 2005年11月17日 (木) 12:57 (UTC)
- 15日には紀宮の結婚が行われて民間人の「黒田清子」さんになるわけですから、その辺の確認はきちんとした方がいい。--163.139.24.53 2005年11月10日 (木) 00:49 (UTC)追記…今、書いたところ、黒田清子→紀宮清子のリダイレクトになっていたが、逆ではないか?
- 項目名としては、皇族時代の名前の方が望ましいと思います。重要度(公人である度合い?)からいっても、皇籍離脱前の名前のほうがよいのでは?--miya 2005年12月1日 (木) 15:41 (UTC)
- 前から指摘している事なのですが、「皇籍離脱前の名前」を支持されている方に問いたいのは半世紀以上も前に降嫁した昭和天皇の内親王に対してもそれでよろしいのか? ということです。半世紀も使われていない言葉をウィキペディアだけが採用すると言う随分頓珍漢な事態にもなりかねなのでは?--水野白楓 2005年12月3日 (土) 08:39 (UTC)
- 主要メディアが皇籍離脱後の名前を使用するのは、「現在皇籍でない元皇族」というのを前面に出したいためでしょうね。皇籍離脱後の名前で著名人としての活動があれば、皇籍離脱後の名前でも構わないと思います。--経済準学士 2005年12月6日 (火) 13:23 (UTC)
- 主要メディアが皇籍離脱後の名前を使用するのは「現実の氏名」が皇籍離脱後の名称だから以外に他ならないからではないのですか? 皇族は公人であっても臣籍に下れば公職になければ法的には一介の私人となるのであって立場が全く違うでしょう。そんな同窓会でかつての級友だった女性を旧姓で呼んだりするのとは訳が違うのでは? そもそも「皇籍離脱後の名前で著名人としての活動があれば」とおっしゃられるが、その判断基準とは何ですか? --水野白楓 2005年12月8日 (木) 13:10 (UTC)
- 主要メディアが皇籍離脱後の名前を使用するのは、「現在皇籍でない元皇族」というのを前面に出したいためでしょうね。皇籍離脱後の名前で著名人としての活動があれば、皇籍離脱後の名前でも構わないと思います。--経済準学士 2005年12月6日 (火) 13:23 (UTC)
降嫁して臣籍にはいったのであれば結婚後の氏名で項目を立てるのは構わないと思います。だからと言ってその理由が本名だからって言うのはおかしいよね。ウィキペディアは百科事典であって戸籍じゃあないんだからさ。仮に離婚と再婚を繰り返したらその都度、その都度変えるのかね。芸能人の項目だって本名じゃないでしょ。不敬を承知で言うけど、なぜ百科事典に項目が作られる人物かって言うと皇族だったからであって法的に平民の氏名をもっているって言う理由で本名を項目名にするっていうのなら反対だね。 降嫁して臣籍に入った方の項目を見る理由は皇族だったからでしょう。世間の人は結婚相手の妻としてではなく元皇族であったという存在として見ているのだから。--代言人 2005年12月13日 (火) 13:31 (UTC)
その辺の議論はWikipedia:スタイルマニュアル/人物伝も見て検討すべき課題では?--163.139.28.49 2005年12月14日 (水) 05:57 (UTC)
検索エンジンでの該当件数 ※件数は表示されたとおりだが、身位が女王の方を検索した場合は信頼性が低い(求めていないページがヒットする)。
- 清子内親王
- 紀宮 - 約846000件
- 紀宮清子 - 約102000件
- 黒田清子 - 約74000件
- 清子内親王 - 約39600件
- 紀宮清子内親王 - 約28400件
- 容子内親王
- 千容子 - 約63500件
- 三笠宮容子内親王 - 1020件(三笠宮容子も同数)
- 容子内親王 - - 932件
- 甯子内親王
- 三笠宮 - 61件
- 近衛甯子 - 43件
- 甯子内親王 - 21件
- 三笠宮甯子内親王 - 21件
- 貴子内親王
- 島津貴子 - 約56000件
- 清宮貴子 - 676件
- 貴子内親王 - 644件
- 清宮貴子内親王 - 82件
- 和子内親王
- 孝宮 - 約828000件
- 孝宮和子 - 約62400件
- 鷹司和子 - 781件
- 和子内親王 - 681件
- 孝宮和子内親王 - 204件
- 厚子内親王
- 順宮厚子 - 950件
- 池田厚子 - 328件(別人の生駒市議関連ページも含まれる)
- 順宮厚子内親王 - 240件
- 厚子内親王 - 211件
- 成子内親王
- 照宮成子 - 631件
- 成子内親王 - 395件
- 東久邇成子 - 290件
- 東久邇宮成子 - 215件
- 東久邇宮成子内親王 - 176件
- 照宮成子内親王 - 168件
- 東久邇宮妃成子 - 139件
- 東久邇宮妃成子内親王 - 129件
- 東久邇宮盛厚王妃成子内親王 - 27件(東久邇宮盛厚王妃成子も同数)
- 佳子女王
- 佳子女王 - 約60700件(神田佳子の雪の女王に関するページも含まれる)
- 睦宮佳子 - 約790件
- 睦宮佳子女王 - 318件
- 閑院宮佳子 - 174件
- 閑院宮佳子女王 - 118件
- 徳川佳子 - 該当なし
- 真子女王
- 裕宮真子 - 約21500件
- 裕宮真子女王 - 586件
- 閑院宮真子 - 93件
- 徳川真子 - 該当なし
- 田安真子 - 該当なし
最近の元皇族の方も戦前の元皇族の方も皇族であったときの名前で検索した方がページ数が多い。上記の佳子女王や真子女王は女王を含めると全然関係ないページがヒットするけど閑院宮か幼少時の称号を含めると求めているページが増える。それに比べ結婚後の徳川真子や徳川佳子では1件も該当しなかった。 結婚後の名前は将来的にニーズが低い。まだ項目は無いようだけど「戸田華子」ってやっても誰も知らないだろうしね。ゴシップ的だし。 --代言人 2005年12月14日 (水) 07:07 (UTC)
- 反応が無いけど、皇族であった時の名前で項目を立てる事を提案します--代言人 2005年12月19日 (月) 03:14 (UTC)
やはり、記事内容として、皇族時代、降嫁後とどちらの事績、或いは度合いが強いかという点が判断基準となると思います。正直申し上げて迷いがあり、ご返答が遅れました。未だ確信は得られていません。ただ、私は正式名称を基本とするルールをふまえた上でも私は代言人さんのいわれる検索ヒット数やご夫人としての地位よりも元皇族としての関心を持つことが自然であるというご認識には、十分理解するに足る理由ですし、とても説得性はあると思われます。その一方で百科事典としての表記という指標が加わった際に兼ね合いをどうするかという点に結局、迷いがあるのです。お叱りを受けるかもしれませんが…。ただ、旧皇族時代のお名前を以って合意形成ができる分には反対する理由はありません。もし、否決されるのであれば、原則を個人名とした上で、旧皇族時代の称号なり地位を付記することも第三案としてあっていいと思います。--Suifu 2005年12月20日 (火) 07:12 (UTC)
よくよく、議論をみてみると、民間に入られた女性皇族の名前については、皇族時代のお名前であるというご意見が圧倒的多数なのですね。もし、それで合意形成できるのであれば、個人的に反対するどころか積極的に同意させて頂く次第です。せっかく、多くのご意見がひとつの方向に向いているのであれば、その方向で合意形成を図るもの一手ですね。--Suifu 2005年12月24日 (土) 14:23 (UTC)
度合いの高い方を選ぶのが一番最適だと思います。ただ…話をそれますが島津貴子さんの場合はもう何十年も前のことと島津の名前の方が定着しているので、こういう場合は定着していた「紀宮清子」を使うのがいいと思います。--城史 2005年12月29日 (木) 12:06 (UTC)
議論が停滞しているようですが、池田厚子が投稿されているのでそれに倣い島津貴子で投稿しました。--代言人 2006年1月18日 (水) 10:05 (UTC)
- 検索数に関係なく、紀宮清子から黒田清子に改名するのが妥当と思う。--Yogy 2006年2月8日 (水) 09:05 (UTC)
- 他言語版はすべて黒田清子になっています。--Hyolee2 2006年3月4日 (土) 12:09 (UTC)
- 2005年12月19日 (月) 03:14 (UTC) の自身の発言を撤回し結婚後の氏名案を推します。--代言人(!) 2006年3月4日 (土) 13:46 (UTC)
- 外国語版で確認しました。同じく12月29日の自身の意見を撤回し結婚後の氏名に賛同します。--城史 2006年3月19日 (日) 08:37 (UTC)
- いまさらなんですが、上記の提案に沿って三笠宮甯子を近衛やす子へ、三笠宮容子を千容子へ移動することを提案します。一週間ほど待って異論が出なかった場合、移動保護を解除して移動をかけようと思います。―霧木諒二 2006年9月27日 (水) 19:54 (UTC)
- (報告)両記事について移動保護の解除、移動、リンク元の修正を行ないました。―霧木諒二 2006年10月5日 (木) 07:08 (UTC)
- いまさらなんですが、上記の提案に沿って三笠宮甯子を近衛やす子へ、三笠宮容子を千容子へ移動することを提案します。一週間ほど待って異論が出なかった場合、移動保護を解除して移動をかけようと思います。―霧木諒二 2006年9月27日 (水) 19:54 (UTC)
提案
[編集]本件記事名を「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物について」と改名することを提案します。--呆庵入道 2007年1月20日 (土) 15:25 (UTC)
- (コメント)なぜですか?―霧木諒二 2007年1月20日 (土) 15:53 (UTC)
- 邦英王が東伏見慈洽であり、清子内親王が黒田清子であるのに、東久邇宮稔彦王はなぜか東久邇宮稔彦王であることの妥当性について、コミュニティの判断を仰ぎたいのです。そのための審議の場として、本件記事を活用したいと思います。--呆庵入道 2007年1月22日 (月) 12:11 (UTC)
- 議論が終わっているので、このページは過去ログとして新規でWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物についてを作成してもいいのではないでしょうか。なお上記のご質問ですが、事実上Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/過去ログ#記事名に関するまとめにある水野白楓氏の案に添った形で記事が作られているのではないかと推測します(盛厚王という例外を見つけてしまいましたが)。―霧木諒二 2007年1月23日 (火) 03:35 (UTC)
アドバイスをありがとうございます。もう少し私個人としての意見や問題提起の仕方を練ったうえで、新しいページを作成する方向で考えたいと思います。--呆庵入道 2007年1月23日 (火) 13:20 (UTC)