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Wikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非について/不要である

132人目方式は不要である[編集]

このコメント依頼は元々、132人目方式とか云われる根拠の曖昧な操作で、他者の編集を排除した記事に対し、この方法は「問題である」という提起から始まっている。ところがいつの間にか、132人目方式を正当化し公式に認め、ガイドラインを造るにはどうするか、というような話になってしまっている。

132人目方式にもし「有用性」があるならそれは何か、念を押して確認したが、それは「既存の投稿に著作権侵害の虞があるときに、新規の投稿が巻き添え削除されるリスクを消す、または減らす為である」というものしかない。

他方、すべての投稿は、ウィキペディアが「誰でも投稿でき、編集できる」という原則を取っている以上、白の投稿はないのであり、濃淡の差はあってもすべてがグレイであると明言した。従って、「著作権侵害の虞がある」というのは、どこまで云っても主観的な判断であり、可能性の問題に過ぎず、人によって、白に見えるとか、確かに黒に近いとか、判断が分かれる。つまり、規準の設定しようがないものである。

更に、132人目方式を実行すると、その結果が意味するのは、先行する投稿者の投稿が「著作権侵害の虞がある」と決めつけたことに実はなる。決めつけていないのなら、そういう変則的な操作はする必要がないのである。従って、132人目方式を実行するというのは、先行する投稿者・編集者を貶めるものに他ならない。編集の結果、自分の投稿が、まったく最新の版からは消えてしまった、というのではなく、「お前の投稿は侵害している可能性があるのだ」というのは、全然別の話である。名誉を回復する余地もないと言える。

オリジナルな文書であれば、「これと同じものはない」という証明はできないからである。もし同じものがあれば、侵害であって黒になり、削除となるが、グレイの場合は、あくまでグレイである。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

誰が132人目方式を必要とするのか[編集]

過去ウィキペディアには多数の優良な投稿がなされ、すでに誰かが編集した記事の上にも多数投稿されて来た。しかし、それらの多数のケースで、132人目方式あるいは、それに類似した安全機能の操作を、是非とも必要だとする意見は寡聞して聞いたことがない。多数の人が、投稿をするとき、先の編集に侵害があるリスクを考えて、投稿が難しいという意識を持ち、問題として提起されていれば、それに対する対応の議論が当然あったはずであるが、そういう議論はなかったと思うし、すでに投稿のある記事の上に、新しい大きな規模の投稿をするのは、ごく普通のことであった。

つまり、132人目方式を「是非必要だ」と主張する人の声が、実際に聞こえないし、過去にもなかったように思える。多数の優秀な編集者が是非必要だという意見なら、これを公式化・ガイドライン制定する意味があるかも知れないが、そういう意見がない。

「巻き込まれ削除のリスク」はもっともらしいが、特定版削除があり、大規模な記事の場合は、さすがに管理者も十分な注意を払うはずである。その程度には管理者を信頼している。

また、分離・排除しないと、過去版から侵害文章が再度入ってくるリスクというのも、そういうリスクもあるが、しかし、投稿は誰がしてもよく、過去版と関係のない新規投稿の編集のなかにも侵害が混じっている可能性があると考えるのが自然である。つまり、どの編集も投稿も、黒と確認できないものはすべてグレイである。

ウィキペディアは、そのようなリスクを承知した上で、投稿する場所である。自己の責任以外の理由で、記事が削除されることがあります、という警告に予めに同意して投稿しているのではないのだろうか。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

記事の成長のパターン[編集]

また記事の成長には、幾つかのタイプがあるということもある。サブカルチャのアニメや人気漫画の記事などは、100人を越える人が、大量の投稿を次々に行い、膨大な記事ができることが多々ある。この種類の記事では、投稿者が若い人が多いということも相乗して、侵害が入る可能性が非常に高くなる。巨大な記事が削除された例は少数ではない。

そして、このような多数の人が参加してできた記事は、削除されると復元が困難で、ほとんど不可能である。

他方、メジャーカルチャ分野の記事の場合、記事がもし成長する場合、階段状の成長をすることが一般によくある。これはどういうことかと云うと、誰か特定の人が、まとまった構成の大きな記事を一度に投稿し、そのとき、記事が階段のステップを一段上がるのである。それから大勢の人が編集に加わっても、差分で見ると、誤字訂正とか、文章の表現の訂正とか、基本的な大きな投稿の枠組みはあまり変化しないことが多い。

このような記事の場合、仮に、階段のステップができる前に侵害文章が入っていて、「巻き添え削除」になったとしても、投稿者は多くの場合、アカウント・ユーザーが多く、記事の復元は、そのユーザーが再投稿することで、可能となる。

(全削除となる記事で、その記事の最終版は、9割以上がわたしのオリジナルな執筆である記事について、再投稿が可能だというので、編集に何の関係もない他人が自分が再投稿するとか云うので、それは「わたしが投稿する」と述べたことについて、「見苦しい」だの「みっともない」などと誹謗し暴言を述べた者が居る。しかし、GFDLの基本では、記事は、書いた者に著作権があり、著作者であるわたしが再投稿するすると云うのが、どこが「見苦しい」ことなのか。この言を述べた人物は、GFDLの基本さえも理解していないと考えるしかないであろう)。

ともあれ、132人目方式は、こういう「裏技」を実行した人間が極めて少数であること、誰も是非必要不可欠だとの意見もなく、逆に、このような方式は、投稿者の名誉を傷つけ、また、どういう混乱や荒らしや問題が起こるかも分からないにも関わらず、公式化の話を進めようと云うのは、根拠のない話である。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

結論[編集]

132人目方式やそれと類似した手法の操作は、原則、禁止。理由は、このような方式が是非必要との主張がなく、この方式で得られるメリットはほとんどなく、逆に問題の方が大きい。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

この方法を用いる人がごく少数であるのならば、わざわざ公式に禁止する必要もないのではないですか? 失礼ですが、Maris stellaさんの今回の発言は、今までの議論を無視して一人で大声を上げているだけのように思います。--微積01 2007年1月28日 (日) 03:12 (UTC)[返信]
「大声をあげている」とはどういう意味ですか? これまでの議論で、多くの意見を考慮してわたしなりの意見も述べてきました。この膨大なログの四分の一ぐらいは、もしかするとわたしの発言かも知れません(冗長という批判があれば甘受します)。結局、何の為に、132人目方式を使うのか、このことを明確に尋ねて、それに対し、答えは、上に述べたことしかありません。「履歴を綺麗にするため」とか「気に入らない投稿は不要なので排除する」とか、「悪戯はどこかに消すのである」などは正当な理由になりません。また、そういう理由を挙げている人を指摘してください。それに対し、賛同があるかどうか。
このような操作が可能なことは、わたし自身知っていました。しかし、まさか実行している人がいるとは思っていなかったというのが率直なところです。しかし、今回削除依頼から展開して、コメント依頼にまでなり、是非の議論となったのです。ここで、「禁止」とするか、「限定公認」とするか、「全面公認」とするか、または「結論なし」とするか、どれかしかありません。上の眠い氏の意見は、取りあえず、白のケースは「禁止」で、まず、「限定禁止」を確立する意見です。その先は、公認するとは述べていません。
今までの議論に、わたしは加わっていたと思いますが、そのなかで、最初から「禁止」という立場です。Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルスで、明白に「削除」としているのは、最初からこのような操作は「荒らしの一種で禁止」という考え、立場だからです。しかし、このような方式にも意味はある、メリットはあるという意見があるので、ここで、その「メリット・有用性・有効性」を尋ね、果たして有効なのか、という疑問も提示しています。これまでの議論とは、そういう議論経過ではないのですか? ある人が行ったような、サブページに移動という提案もありましたが、基本的に、リダイレクトの下に隠すか、サブページに置くかの違いで、これは、132人目方式及びそのヴァリエーションを公認するという結論が出て初めて有効な話です。あるいは、こういう方法なら許容できるのではないかという提案でしょう。しかし、それらを前提にして、「不要である」という結論を述べています。
色々な意見が出た上で、この当たりで結論を出すべきであると考えて、わたしとしての「結論」を記したので、それに対して反論もまたありえるでしょう。ただし、それは「大声を上げる」とか意味のない言葉ではないでしょう。「公式に禁止しないということは、実は、公式に認めると言うことになります。黙認するというのは、承認の一つの形なのです」。これまでは、一部の人が、自分の判断で行って来たことであっても、こうして公的な議論になると、上に述べたように結論を出さないと、「黙認」というのが結論になります。仮に、「禁止ではないが、望ましくない」という結論にしても、これは黙認の形式です。
また、「この方法を用いる人がごく少数である」というのは、今までの話です。この議論の進行結果で、今後どうなるか分からないのです。今後も少数であるのか、今後は誰も使わなくなるのか、今後は、多数の人が使用するのか、そんなことは分からないでしょう。「禁止」と決まっても、132人目方式荒らしというのが発生する可能性があります。もう少し考えて意見を述べてください。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 04:49 (UTC)[返信]
「可能性」とおっしゃるのなら、もちろん今後悪用される可能性もありますが、これまでの多くの事例のように一応は有用に使われることもあるでしょう(Maris stellaさんは今までのも悪用だとしか考えていないようですが、私はそうは思っておりません)。可能性だけで判断する先制防御的なご発言には賛同しかねます。結論を出さず黙認、というのも、一つの結論にはなるでしょう。完全に白黒つける必要はありません。
私が一言だけ言いたいのは、Maris stellaさんは「132人目方式の公式化などは言語道断」と仰っておきながら、この作業を禁止することを「公式化」しようとしていらっしゃる。これはダブルスタンダードではないか、と私には思えるのです。
それと、これは個人的希望なのですが、もう少し短文にまとめてはいただけないでしょうか。紙の手紙などは、書いてから一日置いて読み返せ、とも言います。書いてすぐ投稿するのではなく、少し間を置いてから投稿されてはいかがでしょうか。一朝一夕で終わる議論ではないことは、ここを読んだ誰もが思っていることです。急いで賛成も反対もする必要はありますまい。--微積01 2007年1月28日 (日) 06:17 (UTC)[返信]
132人目方式荒らしという造語は非常に失礼な言い方ではないでしょうか。禁止と仮に決まったとしても、禁止以後も同様の行為を繰り返す人物がいた場合、その人物の名前を冠する話です。132人目さんが荒らしだと誤解されかねない言い方です。--Tiyoringo 2007年1月30日 (火) 17:14 (UTC)[返信]

こちら[1]もあわせて読むと、根本的に、Maris stellaさんは、実情というか状況が分かってないと言えると思います。可能性や、推測から始まって、ぐるぐる推論を繰り返しているうちに、推測が事実に変わってしまっていたり、荒らしという仮定から荒らしという結論を導いていたりといった、類のことも見られますね。私が、移動という機能を4回くらいしか使ってないことすら、知らないでしょう。分析とか解析とかの前に、することがあるかもしれませんね。--132人目 2007年1月28日 (日) 03:39 (UTC)[返信]

132人目さん、いい加減にして戴けませんか。というのは、わたしは、貴方が過去何をしたか、何を言ったか、そう云ったことには一切触れていないはずです。ただ触れているのは、あなたが132人目方式を使い、それをこの場で、肯定し正当化する発言を行ったということだけです。ここでは、132人目方式の是非の話をしているので、関係のない過去の誰が何をしたとか、わたしが何を書いたとか、そういうことを持ち出すと(132人目方式と密接な関係があるなら別ですが)、徒に話が発散するし、また貴方の「ペドの削除」についての引用は不当な個人攻撃です。
更に、Ks aka 98氏の会話ページに書いた文書は、わたし自身の手で削除したものです。書いては見たものの、どうも(内容が混乱しているようで)不適切だと考えたからこそ削除したので、あることを考えて記したが、不適切だと考えて削除したものについてまで、どうして引用して、あれこれ騒ぐのです? やっていることに見境がないというか、欠点に見えるだろう部分を必死に探り出して、文脈や事情(Ks aka 98氏宛のコメントなら、レスが付く前に、自主的に削除しているなどの事実)を無視されて、何でも他人を攻撃できるものなら、探して来て、それで個人攻撃をしようというのでしょうか。
わたしも些か132人目氏に対し、個人攻撃的な文章を書いているところもあるので、その点はお詫びして撤回させて戴きます。ただ、わたしの述べていることは、132人目さんの過去の言動には何も触れていません。触れているのは、132人目方式を使った方だということと、後は、ここでの発言だけです。132人目氏の過去の編集履歴も見ていません。見る必要がないからです。それはここでの主題に関係がないからです。単に132人目方式を使ったのが、132人目氏であるというだけで、それ以外のことは、何も調べていません。どういう事情で使ったかというのも関係しません。
なお、「見苦しい」という言葉にわたしが反応するのが、どこが不自然なのでしょうか。この場では関係のないことで、勝手に「見苦しい」だの「みっともない」などと云うのは、個人攻撃ではありませんか。132人目方式を使った、された人はどう感じると思いますか、というのは、この場での主題として、何もおかしくない質問です。また、132人目方式を問題にしているのは、わたし一人ではなく、そもそもこのコメント依頼はわたしが立てたものではありません。わたしは、意見を述べた以上、仕方なく話の収拾にも加わらねばならないのかと考えているだけです。--Maris stella 2007年1月28日 (日) 04:49 (UTC)[返信]

自らのしてきたことに、根拠があり、自信があるのであれば、堂々としていればいいのですよ。取り乱すというのは、何か思い当たる節があるというだけのことです。私が、その行動を見苦しいと感じた所で、Maris stella さんの行動に、なんらかの束縛が生じるわけでもありません。私は、しないというだけのことです。 Maris stella さんのいう、個人攻撃的な文章というのが、具体的に何を指し、何を撤回したつもりなのか、よくわかりませんので、何とも言えませんが、自らが個人攻撃的な文章を書いたときに、それに対して、返すのであれば、同じ範囲内で同じ程度までしか許しませんというのは、非常に身勝手な要求でしょう。Maris stella さんの方では、この件に対して何の調査もしていない状況で、想像から多数とか少数とかいう話になっていたりもしています。多数とは何人くらいで、少数とは何人くらいのことかも、謎ですが、推測だけを元に論じていると思います。それと、参加は自由ですので、意見を言ったから、話の収拾に加わらなければならない、といったことはありません。いろんな立場の人が残れば残るほど、話は収拾に向かわないでしょう。また、Maris stella さんのように、自らの立場を強引に押し通し続ける人がいればいるほど、いかなる話も収拾はされません。私も、あまり他人の事は言えませんが、長い文章を読むのは、誰しも大変でしょうから、居続けるだけでその場自体が疲弊するといったこともあります。それでは、収拾するという目的は果たせないでしょうね。--132人目 2007年1月28日 (日) 06:55 (UTC)[返信]

Maris stella氏にお願いしたいのですが、まず冗長という指摘は確かに甘んじてお受けいただきたいと思う。例示すると、このページの最初の投稿「私は前からこの問題の本質をわかっており、削除依頼にもXXというコメントをした」とかいうのは一切不要な情報です。こういうのが声が大きいと指摘される所以で私も同様の印象を持ちます。基本的に人は感情で動くものであり、本来は論旨のみで判断すべきである事柄であっても、少しでも長い文章で少しでも「ああ気持ちよく演説しているな」と捉えられてたらどんなに意味のある文章でも読み手の「怠惰」や「先入観」また「嫌悪感」によりまともに読んでもらえない事がほとんどです。私はあなたの論旨は意味あるものとして拝読していますし、長いという要素や文章の雰囲気のみで意味の無いものとかんたんに断じてしまう一部の人も批判します。しかしあなたの投稿はけして整理し、まとめるという役割は担っていないと捉える。ウィキペディアは不特定多数の人間の寄せ書きである以上、またノートは対話集である以上、長大な文章は水が合いません。この点、論文のフォーマットなどとは位置づけが異なります。これはテクニックの問題です。短く論旨に特化しそぎ落とされたクリスプな文章であるほど、つっこまれどころも少なくなります。この議論に関わらず今後他の文書においても、あくまで「対話集」であるということを念頭に善処していただきたいと思う。PS.念のために申し添えておきますが、論旨としては132人目氏のほうの肩をもちMaris stella氏の主張を否定しているということではありません。私自身はこの議論に従うと132人目方式は特に現段階からは禁止されるのが道理だと思います。それは眠い氏やMaris stella氏が取っている根拠と同様です。--218.251.16.97 2007年1月28日 (日) 18:44 (UTC)[返信]

本質を把握してたとか、分かってたと言っていたわりに、何も知らなそうな所は気になりますね。Maris stellaさんと同じような結論に到達した人が他にいたとしても、そこに到った過程は、全く違うかも知れません。たとえば、この記事[2]は、独自の研究と言われ、私がわかる部分だけ読んでも、内容がデタラメなのですが、こんな記事のカテゴリ変更さえも全く認めない、記事に対する執着心や私物化といったところが見えます。こんなどうしようもない記事を、Category:数学者に強引に入れられても、困りますが、Maris stellaさんの出発点は、こういったところにあるのかも知れません。意図的な荒らしになるかもしれない等も、自らに重ねてのことかもしれません。冗長だというのは、Category‐ノート:言語などで 1 年以上も前に、指摘されているようですが、今でもこのような状況なので、直らない事なのかもしれません。--132人目 2007年1月30日 (火) 01:35 (UTC)[返信]